法句経 / 第九 悪行の部 一二七・一二八
一二七 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て惡業(の報)を免るべき處あることなし。 一二八 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て死の力の及ばざる處あることなし。
新字:一二七 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て悪業(の報)を免るべき処あることなし。 一二八 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て死の力の及ばざる処あることなし。
書き下し
一二七 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て悪業(の報)を免るべき処あることなし。 一二八 虚空に非ず、海の中に非ず、山の穴に入るに非ず、世界の中に於て死の力の及ばざる処あることなし。
現代語訳
虚空でもなく、海のなかでもなく、山の洞に入るのでもなく、この世界のどこにも、悪業の報いを免れられる場所はない。虚空でもなく、海のなかでもなく、山の洞に入るのでもなく、この世界のどこにも、死の力が及ばない場所はない。
解説
同じ形の二偈が並ぶ。虚空にも海にも山の洞にも逃げ場はない——前半は悪業の報いについて、後半は死について。まったく同じ構文を使うことで、悪の報いと死が同じ性質のものとして置かれる。どちらも場所を変えることでは逃れられない。逃げ場を探すこと自体が的外れだ、という言い方である。ここで挙げられている三つの場所が具体的なのも効いている。空へ、海へ、山の奥へ。人が「ここではないどこか」を思うときに向かう方角そのものだ。環境を変えれば変わるという期待を、三方向とも塞いでいる。ならばどうするのか。逃げるのではなく、報いを生む側を変える——第一偈の「諸事意を以て先とし」に戻ることになる。
この章句が説くこと
虚空に非ず海の中に非ず悪業の報い死逃げ場
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