法句経 / 第九 悪行の部 一二六 四つの行方
一二六 或ものは胎に托し、惡業を造れるものは地獄に(生れ)、行ひ正しきものは天に往き、心の穢無きものは涅槃に入る。
新字:一二六 或ものは胎に托し、悪業を造れるものは地獄に(生れ)、行ひ正しきものは天に往き、心の穢無きものは涅槃に入る。
書き下し
一二六 或ものは胎に托し、悪業を造れるものは地獄に(生れ)、行ひ正しきものは天に往き、心の穢無きものは涅槃に入る。
現代語訳
ある者は(再び人の)胎に宿り、悪い行いをした者は地獄に(生まれ)、行いの正しい者は天に往き、心の汚れのない者は涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に入る。
解説
死後の行方を四つに分けて示す一偈である。ある者は再び人の母胎に宿り、悪業をなした者は地獄に生まれ、行いの正しい者は天界に往き、心の汚れを尽くした者は涅槃に入る。古代インドでは、生き物は行いに応じて生まれ変わりを続けるという輪廻の世界観が広く共有されていた。この偈もその枠組みの言葉で語られている。注目したいのは、天に往くことが最終地点になっていない点である。天界もまた輪廻のうちにあり、功徳が尽きれば再び生まれ変わる。善い行いは天をもたらすが、そこから抜け出すのは心の汚れを尽くした者だけだという。善行と解脱が区別されているのである。良い結果を出すことと、結果に縛られなくなることは別だ、という区別は、評価に追われる働き方を考えるうえで示唆的である。
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