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法句経 / 第一 双叙の部 九〜一一 袈裟に応ずる者

九 自ら濁穢を離れずして濁穢の衣を著んとするも、自制と眞實とを缺くときは彼は濁穢の衣に應ぜず。 一〇 自ら濁穢を吐き、專ら善く諸の戒を念じ、自制と眞實とを具ふるときは彼は濁穢の衣に應ず。 一一 不實を實と謂ひ又實を不實と見る人は、實を了解せずして邪思惟に住す。

新字:九 自ら濁穢を離れずして濁穢の衣を著んとするも、自制と真実とを欠くときは彼は濁穢の衣に応ぜず。 一〇 自ら濁穢を吐き、専ら善く諸の戒を念じ、自制と真実とを具ふるときは彼は濁穢の衣に応ず。 一一 不実を実と謂ひ又実を不実と見る人は、実を了解せずして邪思惟に住す。

書き下し

九 自ら濁穢を離れずして濁穢の衣を著んとするも、自制と真実とを欠くときは彼は濁穢の衣に応ぜず。 一〇 自ら濁穢を吐き、専ら善く諸の戒を念じ、自制と真実とを具ふるときは彼は濁穢の衣に応ず。 一一 不実を実と謂ひ又実を不実と見る人は、実を了解せずして邪思惟に住す。

現代語訳

自らの汚れを離れないまま袈裟(濁穢の衣、僧の衣)を身にまとおうとしても、自制と真実とを欠いているならば、その人は袈裟にふさわしくない。自らの汚れを吐き出し、ひたすらよく諸々の戒を心にとどめ、自制と真実とを備えているならば、その人は袈裟にふさわしい。真実でないものを真実と思い、また真実を真実でないと見る人は、真実を理解できず、誤った考えにとどまる。

解説

双叙の部は対句で進む。九・十偈は出家の衣をめぐる一対である。荻原が「濁穢の衣」と訳したのは袈裟のことで、パーリ語では「汚れ(kasāva)を離れずに、黄褐色の衣(kāsāva)をまとう」という語呂合わせになっている。袈裟とは本来、濁った色に染めた布を指し、華美を捨てた印だった。ところが、その濁った色の衣を着ても、心の汚れを吐き出していなければ衣に応じないという。衣は同じでも、着る人によって資格が変わるのである。十一偈は話を転じ、実でないものを実と見る人は邪な思いにとどまると言う。形と中身の取り違えは、衣の話と地続きだ。肩書や制服は資格の証しではあるが、資格そのものではない。その差を埋めるのは、本人の自制と誠実さだけである。

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