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法華経 / 藥王菩薩本事品第二十三(5)

「爾時一切眾生喜見菩薩復自念言:『我雖作是供養,心猶未足,我今當更供養舍利。』便語諸菩薩大弟子、及天龍、夜叉、等一切大眾:『汝等當一心念,我今供養日月淨明德佛舍利。』作是語已,即於八萬四千塔前,燃百福莊嚴臂七萬二千歲、而以供養,令無數求聲聞眾、無量阿僧祇人、發阿耨多羅三藐三菩提心,皆使得住現一切色身三昧。」 「爾時諸菩薩、天、人、阿修羅、等,見其無臂,憂惱悲哀、而作是言:『此一切眾生喜見菩薩,是我等師,教化我者,而今燒臂,身不具足。』於時一切眾生喜見菩薩、於大眾中立此誓言:『我捨兩臂,必當得佛金色之身,若實不虛,令我兩臂還復如故。』作是誓已,自然還復,由斯菩薩福德智慧淳厚所致。當爾之時,三千大千世界、六種震動,天雨寶華,一切人天、得未曾有。」 佛告宿王華菩薩:「於汝意云何,一切眾生喜見菩薩,豈異人乎,今藥王菩薩是也,其所捨身布施,如是無量百千萬億那由他數。宿王華,若有發心欲得阿耨多羅三藐三菩提者,能燃手指、乃至足一指、供養佛塔,勝以國城妻子、及三千大千國土山林河池、諸珍寶物、而供養者,若復有人,以七寶滿三千大千世界,供養於佛、及大菩薩、辟支佛、阿羅漢,是人所得功德,不如受持此法華經、乃至一四句偈,其福最多。」

新字:「爾時一切衆生喜見菩薩復自念言:『我雖作是供養,心猶未足,我今当更供養舎利。』便語諸菩薩大弟子、及天竜、夜叉、等一切大衆:『汝等当一心念,我今供養日月浄明徳仏舎利。』作是語已,即於八万四千塔前,燃百福荘厳臂七万二千歳、而以供養,令無数求声聞衆、無量阿僧祇人、発阿耨多羅三藐三菩提心,皆使得住現一切色身三昧。」 「爾時諸菩薩、天、人、阿修羅、等,見其無臂,憂悩悲哀、而作是言:『此一切衆生喜見菩薩,是我等師,教化我者,而今焼臂,身不具足。』於時一切衆生喜見菩薩、於大衆中立此誓言:『我捨両臂,必当得仏金色之身,若実不虚,令我両臂還復如故。』作是誓已,自然還復,由斯菩薩福徳智慧淳厚所致。当爾之時,三千大千世界、六種震動,天雨宝華,一切人天、得未曽有。」 仏告宿王華菩薩:「於汝意云何,一切衆生喜見菩薩,豈異人乎,今薬王菩薩是也,其所捨身布施,如是無量百千万億那由他数。宿王華,若有発心欲得阿耨多羅三藐三菩提者,能燃手指、乃至足一指、供養仏塔,勝以国城妻子、及三千大千国土山林河池、諸珍宝物、而供養者,若復有人,以七宝満三千大千世界,供養於仏、及大菩薩、辟支仏、阿羅漢,是人所得功徳,不如受持此法華経、乃至一四句偈,其福最多。」

書き下し

「その時、一切衆生喜見菩薩、復自ら念じて言わく、『我、この供養を作すと雖も、心猶お未だ足らず。我、今当に更に舎利を供養すべし。』と。便ち諸の菩薩・大弟子、及び天・竜・夜叉等の一切の大衆に語らく、『汝等、当に一心に念ずべし。我、今、日月浄明徳仏の舎利を供養せん。』この語を作し已りて、即ち八万四千の塔の前において、百福荘厳の臂を燃やすこと七万二千歳にして、以て供養し、無数の声聞を求むる衆、無量阿僧祇の人をして、阿耨多羅三藐三菩提心を発さしめ、皆現一切色身三昧に住することを得せしめたり。」 「その時、諸の菩薩・天・人・阿修羅等、その臂無きを見て、憂悩悲哀して、この言を作さく、『この一切衆生喜見菩薩は、これ我等が師にして、我を教化する者なり。而るに今、臂を焼き、身具足せず。』時に一切衆生喜見菩薩、大衆の中において、この誓言を立つ、『我、両臂を捨てて、必ず当に仏の金色の身を得べし。もし実にして虚しからずんば、我が両臂をして、還復して故の如くならしめよ。』この誓いを作し已りて、自然に還復せり。斯の菩薩の福徳智慧淳厚の致す所なり。その時に当たり、三千大千世界、六種に震動し、天は宝華を雨らし、一切の人天、未曾有なることを得たり。」 仏、宿王華菩薩に告げたまわく、「汝が意においていかん。一切衆生喜見菩薩は、あに異人ならんや。今の薬王菩薩これなり。その捨身布施すること、かくの如く無量百千万億那由他の数なり。宿王華よ、もし発心して阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲する者有り、能く手の指、乃至足の一指を燃やして、仏塔に供養せば、国城・妻子、及び三千大千の国土・山林・河池・諸の珍宝物を以て供養する者に勝る。もし復人有りて、七宝を以て三千大千世界に満たして、仏、及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せんに、この人の得る所の功徳も、この法華経、乃至一四句偈を受持するに如かず。その福、最も多し。」

現代語訳

「そのとき一切衆生喜見菩薩は、またこう思いました。私はこの供養をしたが、心はまだ満ち足りない。今、さらに遺骨を供養しよう、と。そこで菩薩たち、大弟子たち、天や竜や夜叉などのすべての大衆に語りました。『あなたたちは一心に念じなさい。私は今、日月浄明徳仏の遺骨を供養します。』こう言い終えて、八万四千の塔の前で、百の福で飾られた腕を燃やし、七万二千年にわたって供養を続けました。それによって、声聞の道を求める無数の人々、数えきれない人々に、無上の悟りを求める心を起こさせ、みな現一切色身三昧に落ち着かせました。」 「そのとき菩薩たち、天・人・阿修羅たちは、その腕がないのを見て、嘆き悲しんで言いました。『この一切衆生喜見菩薩は私たちの師であり、私たちを教え導いてくださった方だ。それなのに今、腕を焼いて身体が不自由になられた。』そのとき一切衆生喜見菩薩は、大衆の中で誓いを立てました。『私は両腕を捨てた。必ず仏の金色の身を得るだろう。もしこの言葉が真実で偽りがないなら、私の両腕を元どおりにしてほしい。』この誓いを立てると、腕は自然に元に戻りました。この菩薩の福徳と智慧が厚いことによるものです。そのとき三千大千世界は六通りに震え動き、天は宝の花を降らせ、すべての人と天の神々は、いまだかつてない思いを得ました。」 仏は宿王華菩薩に告げられました。「あなたはどう思うか。一切衆生喜見菩薩は別の人だろうか。今の薬王菩薩がそれです。その身を捨てて施したことは、このように無量百千万億那由他もの数に及びます。宿王華よ、もし悟りを求める心を起こした人が、手の指や足の指一本でも燃やして仏塔に供養するなら、国や城や妻子、また三千大千世界の国土や山林や河や池や珍宝で供養する人よりも勝れています。さらに、七宝を三千大千世界に満たして、仏、大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養する人がいても、その人の得る功徳は、この法華経を受持し、わずか四句の偈であっても受け持つことには及びません。その福が最も多いのです。」

解説

前節に続き、遺骨の供養のために腕を焼く場面と、それを失った菩薩が誓いによって腕を取り戻す話、さらに仏が、その菩薩が今の薬王菩薩だと明かす部分です。焼身や焼臂は、当時の世界観にもとづく極端な献身の物語で、経文自体が現実の模範として勧めているわけではないとする見方が仏学では一般的です。むしろ結びで、財宝の供養より経の一句を受け持つ方が福が多いと比較している点に注目できます。大きな見せ場より、身につけて実践する小さな学びが価値を持つという主張は、日々の仕事の積み重ねにも通じます。
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この章句が説くこと

薬王菩薩燃臂供養誓言受持四句偈財施と法施

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