法華経 / 藥王菩薩本事品第二十三(4)
「說是偈已,而白父言:『日月淨明德佛、今故現在。我先供養佛已,得解一切眾生語言陀羅尼,復聞是法華經八百千萬億那由他、甄迦羅、頻婆羅、阿 婆、等,偈。大王,我今當還供養此佛。』白已即坐七寶之台,上升虛空,高七多羅樹,往到佛所,頭面禮足,合十指爪,以偈讚佛: 容顏甚奇妙, 光明照十方, 我適曾供養, 今復還親覲。 爾時一切眾生喜見菩薩說是偈已,而白佛言:『世尊,世尊猶故在世。』爾時日月淨明德佛、告一切眾生喜見菩薩:『善男子,我涅槃時到,滅盡時至,汝可安施床座,我於今夜、當般涅槃。』又敕一切眾生喜見菩薩:『善男子,我以佛法、囑累於汝、及諸菩薩、大弟子,並阿耨多羅三藐三菩提法,亦以三千大千七寶世界、諸寶樹、寶台、及給侍諸天、悉付於汝,我滅度後,所有舍利、亦付囑汝,當令流布,廣設供養,應起若干千塔。』如是日月淨明德佛、敕一切眾生喜見菩薩已,於夜後分、入於涅槃。 爾時一切眾生喜見菩薩見佛滅度,悲感、懊惱,戀慕於佛,即以海此岸栴檀為𧂐、供養佛身,而以燒之。火滅已後,收取舍利,作八萬四千寶瓶、以起八萬四千塔,高三世界,表剎莊嚴,垂諸幡蓋,懸眾寶鈴。
新字:「説是偈已,而白父言:『日月浄明徳仏、今故現在。我先供養仏已,得解一切衆生語言陀羅尼,復聞是法華経八百千万億那由他、甄迦羅、頻婆羅、阿 婆、等,偈。大王,我今当還供養此仏。』白已即坐七宝之台,上升虚空,高七多羅樹,往到仏所,頭面礼足,合十指爪,以偈讃仏: 容顔甚奇妙, 光明照十方, 我適曽供養, 今復還親覲。 爾時一切衆生喜見菩薩説是偈已,而白仏言:『世尊,世尊猶故在世。』爾時日月浄明徳仏、告一切衆生喜見菩薩:『善男子,我涅槃時到,滅尽時至,汝可安施床座,我於今夜、当般涅槃。』又勅一切衆生喜見菩薩:『善男子,我以仏法、囑累於汝、及諸菩薩、大弟子,並阿耨多羅三藐三菩提法,亦以三千大千七宝世界、諸宝樹、宝台、及給侍諸天、悉付於汝,我滅度後,所有舎利、亦付囑汝,当令流布,広設供養,応起若干千塔。』如是日月浄明徳仏、勅一切衆生喜見菩薩已,於夜後分、入於涅槃。 爾時一切衆生喜見菩薩見仏滅度,悲感、懊悩,恋慕於仏,即以海此岸栴檀為𧂐、供養仏身,而以焼之。火滅已後,収取舎利,作八万四千宝瓶、以起八万四千塔,高三世界,表刹荘厳,垂諸幡蓋,懸衆宝鈴。
書き下し
「偈を説き已りて、父に白して言わく、『日月浄明徳仏は、今故に現在したもう。我、先に仏を供養し已りて、一切衆生語言陀羅尼を解することを得、復この法華経の八百千万億那由他・甄迦羅・頻婆羅・阿 婆等の偈を聞けり。大王よ、我、今当に還ってこの仏を供養すべし。』と。白し已りて即ち七宝の台に坐し、上りて虚空に昇ること、高さ七多羅樹、仏の所に往到し、頭面に足を礼し、十指の爪を合わせ、偈を以て仏を讃えたてまつる。 容顔甚だ奇妙にして、光明は十方を照らす。我、適に曾て供養し、今復還って親覲す。 その時、一切衆生喜見菩薩、この偈を説き已りて、仏に白して言さく、『世尊よ、世尊は猶故在世したもう。』その時、日月浄明徳仏、一切衆生喜見菩薩に告げたまわく、『善男子よ、我が涅槃の時到り、滅尽の時至れり。汝、床座を安施すべし。我、今夜において、当に般涅槃すべし。』又、一切衆生喜見菩薩に敕したまわく、『善男子よ、我、仏法を以て、汝、及び諸の菩薩・大弟子に囑累し、並びに阿耨多羅三藐三菩提の法をも、亦三千大千七宝の世界、諸の宝樹・宝台、及び給侍の諸天を以て、悉く汝に付す。我が滅度の後、有らゆる舎利も、亦汝に付囑す。当に流布せしめ、広く供養を設け、応に若干千の塔を起つべし。』かくの如く日月浄明徳仏、一切衆生喜見菩薩に敕し已りて、夜の後分において、涅槃に入りたまえり。 その時、一切衆生喜見菩薩、仏の滅度を見て、悲感し、懊悩し、仏を恋慕して、即ち海此岸の栴檀を以て𧂐と為し、仏身を供養して、これを焼けり。火滅して已後、舎利を収取し、八万四千の宝瓶を作りて、以て八万四千の塔を起つ。高さは三世界、表刹荘厳し、諸の幡蓋を垂れ、衆の宝鈴を懸けたり。
現代語訳
「偈を説き終えて、父にこう申し上げました。『日月浄明徳仏は、今もなおおられます。私は先に仏を供養したことで、あらゆる衆生の言葉を理解できる陀羅尼を得、またこの法華経の、八百千万億那由多、甄迦羅、頻婆羅、阿□婆などの数の偈を聞きました。大王よ、私は今から戻って、この仏を供養しようと思います。』と。申し上げて、すぐに七宝の台に坐り、虚空に上り、高さは七本の多羅樹ほどになって、仏のもとに行き、頭を足に付けて礼をし、十本の指を合わせて、偈で仏を讃えました。 お姿は実に不思議で、光は十方を照らします。私はかつて供養し、今またお側にお仕えしに来ました。 そのとき一切衆生喜見菩薩は、この偈を説き終えて、仏に申し上げました。『世尊よ、世尊はまだ世におられるのですね。』そのとき日月浄明徳仏は、一切衆生喜見菩薩に告げられました。『善男子よ、私の涅槃の時が来た。滅びる時が至った。あなたは座を整えなさい。私は今夜、涅槃に入る。』また言われました。『善男子よ、私は仏の法を、あなたと、菩薩たち、大弟子たちに託し、無上の悟りの法も、三千大千の七宝の世界、宝樹、宝台、仕える天の神々も、すべてあなたに託す。私の滅後の遺骨も、あなたに託す。それを広く行き渡らせ、供養を設け、多くの塔を建てなさい。』このように言い終え、日月浄明徳仏は、夜の後半に涅槃に入られました。 そのとき一切衆生喜見菩薩は、仏の滅度を見て、悲しみ悩み、仏を恋い慕い、海此岸の栴檀を薪にして仏の身を供養し、これを焼きました。火が消えた後、遺骨を拾い集め、八万四千の宝の瓶に収め、八万四千の塔を建てました。その高さは三つの世界に及び、塔の先は飾られ、旗や天蓋を垂らし、多くの宝の鈴を懸けました。
解説

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