法華経 / 囑累品第二十二(2)
時諸菩薩摩訶薩、聞佛作是說已,皆大歡喜、遍滿其身,益加恭敬,屈躬、低頭、合掌向佛,俱發聲言:「如世尊敕,當具奉行,唯、然,世尊,願不有慮。」諸菩薩摩訶薩眾,如是三反、俱發聲言:「如世尊敕,當具奉行,唯、然,世尊,願不有慮。」爾時釋迦牟尼佛令十方來諸分身佛、各還本土,而作是言:「諸佛各隨所安,多寶佛塔、還可如故。」說是語時,十方無量分身諸佛、坐寶樹下師子座上者,及多寶佛,並上行等無邊阿僧祇菩薩大眾,舍利弗等聲聞四眾,及一切世間、天、人、阿修羅、等,聞佛所說,皆大歡喜。
新字:時諸菩薩摩訶薩、聞仏作是説已,皆大歓喜、遍満其身,益加恭敬,屈躬、低頭、合掌向仏,倶発声言:「如世尊勅,当具奉行,唯、然,世尊,願不有慮。」諸菩薩摩訶薩衆,如是三反、倶発声言:「如世尊勅,当具奉行,唯、然,世尊,願不有慮。」爾時釈迦牟尼仏令十方来諸分身仏、各還本土,而作是言:「諸仏各随所安,多宝仏塔、還可如故。」説是語時,十方無量分身諸仏、坐宝樹下師子座上者,及多宝仏,並上行等無辺阿僧祇菩薩大衆,舎利弗等声聞四衆,及一切世間、天、人、阿修羅、等,聞仏所説,皆大歓喜。
書き下し
時に諸の菩薩摩訶薩、仏のこの説を作したまうを聞き已りて、皆大いに歓喜し、遍く其の身に満ち、益ます恭敬を加え、躬を屈し、頭を低れ、合掌して仏に向かい、倶に声を発して言わく、「世尊の敕の如く、当に具さに奉行すべし。唯然なり、世尊よ、願わくは慮い有らざれ。」諸の菩薩摩訶薩衆、かくの如く三反、倶に声を発して言わく、「世尊の敕の如く、当に具さに奉行すべし。唯然なり、世尊よ、願わくは慮い有らざれ。」その時、釈迦牟尼仏、十方より来たれる諸の分身仏をして、各本土に還らしめ、この言を作したまわく、「諸仏よ、各安んずる所に随いたまえ。多宝仏の塔は、還って故の如くすべし。」この語を説きたまう時、十方無量の分身の諸仏の、宝樹の下の師子座の上に坐したまえる者、及び多宝仏、並びに上行等の無辺阿僧祇の菩薩大衆、舎利弗等の声聞の四衆、及び一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞き、皆大いに歓喜せり。
現代語訳
そのとき菩薩たちは、仏がこう説かれるのを聞いて、みな大いに喜び、その喜びが全身に満ちあふれ、いっそう敬いを深め、身をかがめ、頭を下げ、合掌して仏に向かい、声をそろえて申し上げました。「世尊の仰せのとおり、すべて謹んで行います。そのとおりです、世尊よ、どうかご心配なさらないでください。」菩薩たちはこのように三度、声をそろえて申し上げました。「世尊の仰せのとおり、すべて謹んで行います。そのとおりです、世尊よ、どうかご心配なさらないでください。」そのとき釈迦牟尼仏は、十方から来ていた分身の仏たちをそれぞれの国土に帰し、こう言われました。「諸仏よ、それぞれ安らかな所にお戻りください。多宝仏の塔も、もとのとおりにしてください。」この言葉を説かれたとき、十方の無数の分身の諸仏で、宝樹の下の師子座に坐っておられた方々、多宝仏、上行たち果てしない数の菩薩、舎利弗たち声聞の四衆、そしてすべての世間の天・人・阿修羅たちは、仏の説かれたことを聞いて、みな大いに歓喜しました。
解説

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法華経・見寶塔品第十一(2)爾の時、菩薩摩訶薩有り、名を大楽説といい、一切世間の天・人・阿修羅等の心の疑う所を知って、仏に白して言さく、世尊、「何の因縁を以て、此の宝塔の地より湧出し、又、其の中より是の音声を発すること有る。」爾の時、仏、大楽説菩薩に告げたまわく、「此の宝塔の中には、如来の全身有します。乃往過去、東方無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名づく。彼の中に仏有し、号を多宝と曰う。其の仏、菩薩道を行ぜし時、大誓願を作したまわく、『若し我成仏して滅度の後、十方の国土に、法華経を説く処有らば、我が塔廟は、是の経を聴かんが為の故に、其の前に湧現して、為に証明と作り、讃めて、善き哉と言わん。』と。」 「彼の仏、成道し已って、滅度に臨む時、天人大衆の中に於いて、諸の比丘に告げたまわく、『我が滅度の後、我が全身を供養せんと欲せば、応に一の大塔を起つべし。』と。其の仏、神通願力をもて、十方世界の、在在処処に、若し法華経を説く者有らば、彼の宝塔、皆、其の前に湧出し、全身、塔中に在して、讃めて、『善き哉、善き哉。』と言う。」 「大楽説よ、今、多宝如来の塔は、法華経を説くを聞くが故に、地より湧出して、讃めて、『善き哉、善き哉。』と言う。」 是の時、大楽説菩薩、如来の神力を以ての故に、仏に白して言さく、「世尊、我等、願わくは此の仏身を見たてまつらんと欲す。」仏、大楽説菩薩摩訶薩に告げたまわく、「是の多宝仏には、深重の願有り。若し我が宝塔、法華経を聴かんが為の故に、諸仏の前に出ずる時、其れ我が身を以て四衆に示さんと欲すること有らば、彼の仏の分身の諸仏の、十方世界に在りて法を説きたもうを、尽く還して一処に集めて、然して後に我が身乃ち出現せんのみ、と。」 「大楽説よ、我が分身の諸仏の、十方世界に在りて法を説く者を、今、応当に集むべし。」
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法華経・囑累品第二十二(1)その時、釈迦牟尼仏、法座より起ち、大神力を現じ、右手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、この言を作したまわく、「我、無量百千万億阿僧祇劫において、この得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今、以て汝等に付嘱す。汝等、応当に一心にこの法を流布して、広く増益せしむべし。」かくの如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、この言を作したまわく、「我、無量百千万億阿僧祇劫において、この得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今、以て汝等に付嘱す。汝等、当に受持し、読誦し、広くこの法を宣べて、一切衆生をして、普く聞知することを得せしむべし。所以は何ん。如来は大慈悲有りて、諸の慳吝無く、亦所畏無く、能く衆生に、仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧を与えたもう。如来は一切衆生の大施主なり。汝等も亦応に如来の法に随学して、慳吝を生ずること勿れ。未来世において、もし善男子・善女人の、如来の智慧を信ずる者有らば、当に為に演説して、この法華経を聞知することを得しめ、その人をして仏慧を得しめんが為なり。もし衆生の信受せざる者有らば、当に如来の余の深法の中において、示教利喜すべし。汝等もし能くかくの如くせば、則ち已に諸仏の恩に報ゆるなり。」
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法華経・從地湧出品第十五(2)是の諸の菩薩は地より出で已りて、各、虚空の七宝の妙塔の多宝如来・釈迦牟尼仏の所に詣り、到り已りて、二世尊に向かい頭面に足を礼し、及び諸の宝樹下の師子座上の仏の所に至りても、亦た皆礼を作し、右に繞ること三匝し、合掌し恭敬して、諸の菩薩の種種の讃法を以て、而も讃歎し、住して一面に在りて、欣楽して二世尊を瞻仰す。是の諸の菩薩摩訶薩は、初め湧出せしより、諸の菩薩の種種の讃法を以て、而も仏を讃め、是の如くして時の間、五十小劫を経たり。是の時、釈迦牟尼仏は黙然として坐したまい、及び諸の四衆も、亦た皆黙然たること五十小劫なり。仏の神力の故に、諸の大衆をして、半日の如しと謂わしむ。爾の時、四衆も、亦た仏の神力を以ての故に、諸の菩薩の、無量百千万億の国土の虚空に遍満せるを見る。 是の菩薩衆の中に、四導師有り。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も上首唱導の師と為り、大衆の前に在りて、各共に合掌し、釈迦牟尼仏を観て問訊して言わく、「世尊、少病少悩にして、安楽に行じたもうや。度すべき所の者は、教えを受くること易きや。世尊をして疲労を生ぜしめざるや」と。 爾の時、四大菩薩、偈を説いて言わく、 世尊は安楽にして、少病少悩にいましますや。衆生を教化して、疲倦無きを得たもうや。又た諸の衆生は、化を受くること易きや。世尊をして、疲労を生ぜしめざるや。
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