法華経 / 如來神力品第二十一(3)
諸佛救世者,住於大神通,為悅眾生故,現無量神力,舌相至梵天,身放無數光,為求佛道者、現此稀有事。 諸佛謦欬聲、及彈指之聲,周聞十方國,地皆六種動。以佛滅度後、能持是經故,諸佛皆歡喜,現無量神力。 囑累是經故,讚美受持者,於無量劫中、猶故不能盡。是人之功德,無邊無有窮,如十方虛空,不可得邊際。 能持是經者,則為已見我,亦見多寶佛、及諸分身者,又見我今日、教化諸菩薩。能持是經者,令我及分身、 滅度多寶佛,一切皆歡喜。十方現在佛、並過去未來,亦見亦供養,亦令得歡喜。諸佛坐道場,所得秘要法, 能持是經者,不久亦當得。能持是經者,於諸法之義、名字及言辭,樂說無窮盡,如風於空中,一切無障礙。 於如來滅後,知佛所說經,因緣及次第,隨義如實說,如日月光明,能除諸幽冥。斯人行世間,能滅眾生闇, 教無量菩薩、畢竟住一乘。是故有智者、聞此功德利,於我滅度後,應受持斯經,是人於佛道,決定無有疑。
新字:諸仏救世者,住於大神通,為悦衆生故,現無量神力,舌相至梵天,身放無数光,為求仏道者、現此稀有事。 諸仏謦欬声、及弾指之声,周聞十方国,地皆六種動。以仏滅度後、能持是経故,諸仏皆歓喜,現無量神力。 囑累是経故,讃美受持者,於無量劫中、猶故不能尽。是人之功徳,無辺無有窮,如十方虚空,不可得辺際。 能持是経者,則為已見我,亦見多宝仏、及諸分身者,又見我今日、教化諸菩薩。能持是経者,令我及分身、 滅度多宝仏,一切皆歓喜。十方現在仏、並過去未来,亦見亦供養,亦令得歓喜。諸仏坐道場,所得秘要法, 能持是経者,不久亦当得。能持是経者,於諸法之義、名字及言辞,楽説無窮尽,如風於空中,一切無障礙。 於如来滅後,知仏所説経,因縁及次第,随義如実説,如日月光明,能除諸幽冥。斯人行世間,能滅衆生闇, 教無量菩薩、畢竟住一乗。是故有智者、聞此功徳利,於我滅度後,応受持斯経,是人於仏道,決定無有疑。
書き下し
諸仏は世を救う者、大神通に住して、衆生を悦ばしめんが為の故に、無量の神力を現じたもう。舌相は梵天に至り、身より無数の光を放つ。仏道を求むる者の為に、この稀有の事を現じたもう。 諸仏の謦欬の声、及び弾指の声は、周く十方の国に聞こえ、地は皆六種に動ず。仏の滅度の後、能くこの経を持たんが故に、諸仏は皆歓喜して、無量の神力を現じたもう。 この経を嘱累せんが故に、受持する者を讃美すること、無量劫の中にても、猶お尽くすこと能わず。この人の功徳は、無辺にして窮まり有ること無く、十方の虚空の、辺際を得べからざるが如し。 能くこの経を持たん者は、則ち已に我を見、亦多宝仏、及び諸の分身の者を見、又我が今日、諸の菩薩を教化するを見るなり。能くこの経を持たん者は、我及び分身、 滅度の多宝仏をして、一切皆歓喜せしむ。十方の現在の仏、並びに過去未来をも、亦見、亦供養し、亦歓喜を得せしむ。諸仏の道場に坐して、得たまう所の秘要の法を、 能くこの経を持たん者は、久しからずして亦当に得べし。能くこの経を持たん者は、諸法の義、名字及び言辞において、楽説窮まり尽くること無く、風の空中におけるが如く、一切障礙無けん。 如来の滅後に、仏の説きたまう所の経の、因縁及び次第を知り、義に随って如実に説かんこと、日月の光明の、能く諸の幽冥を除くが如くならん。この人、世間に行じて、能く衆生の闇を滅し、 無量の菩薩を教えて、畢竟して一乗に住せしめん。この故に智有る者は、この功徳の利を聞かば、我が滅度の後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑い有ること無けん。
現代語訳
諸仏は世を救う方々で、大いなる神通のうちにあって、衆生を喜ばせるために、限りない神通力を現されます。舌は梵天にまで届き、身体から無数の光を放ちます。仏の道を求める人のために、この稀な出来事を示されるのです。 諸仏の咳払いの音と指を弾く音は、あまねく十方の国に聞こえ、大地はみな六通りに震えます。仏の滅後に、この経を保つ人がいるからこそ、諸仏はみな喜び、限りない神通力を現されます。 この経を託すために、受持する人を讃えることは、無量の年月をかけても言い尽くせません。この人の功徳は果てしなく、十方の虚空に端がないようなものです。 この経を保つ人は、すでに私を見ており、多宝仏や、多くの分身の仏たちを見ており、また私が今日、菩薩たちを教え導く姿をも見ているのです。この経を保つ人は、私と分身の仏、そして涅槃に入られた多宝仏を、みな喜ばせます。十方の今の仏、過去と未来の仏をも見、供養し、喜ばせます。諸仏が道場に坐して得られた秘められた要の法を、 この経を保つ人は、遠くない将来に自分も得るでしょう。この経を保つ人は、諸々の法の意味、名前や言葉について、説くことが尽きることなく、風が空中をさえぎられず吹くように、すべてが滞りなくなります。 如来の滅後に、仏の説かれた経の因縁と順序を知り、意味に従って如実に説くなら、それは日月の光が暗闇を除くようなものです。この人は世間で行じて衆生の闇を滅し、 無数の菩薩を教え、最後には一乗に落ち着かせるでしょう。だから智慧ある者は、この功徳の利益を聞いたなら、私の滅後にこの経を受持しなさい。この人は仏道において、疑いなく定まっているのです。
解説

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法華経・如來神力品第二十一(1)その時、千世界微塵に等しき菩薩摩訶薩の、地より湧出せし者、皆仏前において、一心に合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、「世尊よ、我等、仏の滅後、世尊の分身の在す所の国土、滅度の処において、当に広くこの経を説くべし。所以は何ん。我等も亦自ら、この真浄の大法を得て、受持し、読誦し、解説し、書写して、これを供養せんと欲するが故なり。」 その時世尊、文殊師利等、無量百千万億の旧より娑婆世界に住せる菩薩摩訶薩、及び諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人非人等の、一切の衆前において、大神力を現じ、広長舌を出だして上は梵世に至らしめ、一切の毛孔より、無量無数の色光を放ちて、皆悉く十方世界を遍く照らしたまう。衆宝樹下、師子座上の諸仏も、亦復かくの如く、広長舌を出だし、無量の光を放ちたまう。釈迦牟尼仏、及び宝樹下の諸仏、神力を現じたまう時、百千歳を満たし、然して後に還って舌相を摂めたまう。一時に謦欬し、倶共に弾指したまう。この二つの音声、遍く十方の諸仏の世界に至り、地、皆六種に震動す。その中の衆生、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人非人等は、仏の神力を以ての故に、皆この娑婆世界の、無量無辺百千万億の衆宝樹下、師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏の、多宝如来と共に、宝塔の中に在して師子座に坐したまうを見、又無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、恭敬して釈迦牟尼仏を囲繞せるを見る。既にこれを見已りて、皆大いに歓喜し、未曾有なることを得たり。
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法華経・法師功德品第十九(9)若し法華を持つ者は、其の身甚だ清浄にして、彼の浄き瑠璃の如く、衆生皆な喜び見る。又た浄き明鏡の、悉く諸の色像を見るが如く、菩薩は浄き身に於いて、皆な世の所有を見る。 唯だ独り自ら明了にして、余人の見ざる所なり。三千世界の中の、一切の諸の群萌、天、人、阿修羅、地獄、鬼、畜生、是くの如き諸の色像、皆な身の中に現ず。 諸天等の宮殿、乃至、有頂に於いて、鉄囲及び弥楼、摩訶弥楼山、諸の大海水等、皆な身の中に現ず。諸仏及び声聞、仏子、菩薩等、 若しは独り、若しは衆に在りて、説法したもうこと、悉く皆な現ず。未だ無漏法性の妙身を得ずと雖も、清浄の常の体を以て、一切、中に於いて現ず。 「復た次に、常精進、若し善男子、善女人、如来の滅後に、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、千二百の意の功徳を得ん。是の清浄の意根を以て、乃至、一偈一句を聞くに、無量無辺の義に通達し、是の義を解し已りて、能く一句一偈を演説すること、一月、四月、乃至、一歳に至り、諸の説く所の法、其の義趣に随いて、皆な実相と相違背せず。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説くも、皆な正法に順ぜん。三千大千世界の六趣の衆生の、心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆な悉く之を知らん。未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること此くの如し。是の人の思惟、籌量、言説する所有るは、皆な是れ仏法にして、真実ならざる無く、亦た是れ先仏の経の中に説きたまう所なり。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・分別功德品第十七(8)爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 若し我が滅度の後に、能く此の経を奉持せば、斯の人の福は無量にして、上に説く所の如し。是れ則ち一切の諸の供養を具足せり。舎利を以て塔を起て、七宝にて荘厳し、 表刹甚だ高広にして、漸く小にして梵天に至り、宝鈴千万億、風動けば妙なる音を出す。又た無量劫に於いて、此の塔を供養し、華、香、諸の瓔珞、天衣、衆の伎楽、 香油、酥燈を燃やして、周匝して常に照明す。悪世、法末の時に、能く是の経を持たん者は、則ち為れ已に上の如く、諸の供養を具足せるなり。若し能く此の経を持たば、則ち仏の現在せるが如し、 牛頭栴檀をもて、僧坊を起てて供養し、堂は三十二有り、高さ八多羅樹、上饌妙なる衣服、床臥皆な具足し、百千の衆の住処、園林、諸の浴池、 経行、及び禅窟、種種に皆な厳好なり。若し信解の心有りて、受持し読誦し書き、若しは復た人をして書かしめ、及び経巻を供養し、華、香、末香を散じ、須曼、薝蔔、 阿提目多伽を以て、薫油もて常に之を燃やさば、是くの如く供養する者は、無量の功徳を得ん。虚空の無辺なるが如く、其の福も亦た是くの如し。況んや復た此の経を持ち、兼ねて布施、持戒、 忍辱、禅定を楽い、瞋らず悪口せず、塔廟を恭敬し、諸の比丘に謙下せんをや。自ら高ぶる心を遠離し、常に智慧を思惟し、問難有るも瞋らず、隨順して為に解説せば、 若し能く是の行を行ぜば、功徳量るべからず。若し此の法師の、是くの如き徳を成就せるを見ば、応に天華を以て散じ、天衣もて其の身を覆い、頭面に足を接して礼し、心を生じて仏の想いの如くすべし。 又た応に是の念を作すべし、久しからずして道場に詣り、無漏無為を得て、広く諸の人天を利せんと。其の所住止の処、経行し若しは坐臥し、乃至、一偈を説かば、是の中に応に塔を起つべし、 荘厳して妙好ならしめ、種種に以て供養せよ。仏子の此の地に住するは、則ち是れ仏の受用したもうなり、常に其の中に在りて、経行し及び坐臥したもう。
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法華経・法師功德品第十九(10)是の人は意清浄にして、明利にして濁穢無し。此の妙なる意根を以て、上中下の法を知る。乃至、一偈を聞きて、無量の義に通達し、次第に法の如く説くこと、月、四月より歳に至る。 是の世界の内外の、一切の諸の衆生、若しは天、龍及び人、夜叉、鬼神等、其の六趣の中に在りて、念う所の若干種なるを、法華を持つ報いにて、一時に皆な悉く知る。 十方の無数の仏の、百福荘厳の相にて、衆生の為に法を説きたもうを、悉く聞きて能く受持す。無量の義を思惟し、説法も亦た無量にして、終始忘錯せず、法華を持つを以ての故なり。 悉く諸法の相を知り、義に随いて次第を識り、名字語言に達して、知る所の如く演説す。此の人の説く所有るは、皆な是れ先仏の法なり、此の法を演ぶるを以ての故に、衆に於いて畏るる所無し。 法華経を持つ者は、意根の浄きこと斯くの若し。未だ無漏を得ずと雖も、先に是くの如き相有り。是の人、此の経を持ちて、稀有の地に安住し、一切衆生の為に、歓喜して愛敬せらる。 能く千万種の、善巧の語言を以て、分別して法を説く、法華経を持つが故なり。
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法華経・如來神力品第二十一(2)即時に諸天、虚空の中において、高声に唱えて言わく、「この無量無辺百千万億阿僧祇の世界を過ぎて、国有り、娑婆と名づく。この中に仏有り、釈迦牟尼と名づく。今、諸の菩薩摩訶薩のために、大乗経の、妙法蓮華、菩薩を教うる法、仏の護念したまう所なるを説きたもう。汝等、当に深心に随喜すべし。亦当に釈迦牟尼仏を礼拝し供養すべし。」かの諸の衆生、虚空の中の声を聞き已りて、合掌して娑婆世界に向かい、かくの如き言をなさく、「南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。」種種の華・香・瓔珞・幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝妙物を以て、皆共に遙かに娑婆世界に散ず。散ずる所の諸物、十方より来たること、譬えば雲の集まるが如く、変じて宝帳と成り、遍くこの間の諸仏の上を覆う。時に十方世界、通達して無礙なること、一仏土の如し。 その時、仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、「諸仏の神力は、かくの如く無量無辺にして不可思議なり。もし我、この神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫において、嘱累のための故に、この経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わず。要を以てこれを言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆この経において宣示顕説す。この故に汝等、如来の滅後において、応当に一心に受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すべし。所在の国土に、もし受持し、読誦し、解説し、書写し、説の如く修行すること有り、もしは経巻の住する処、もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎においても、もしは殿堂にても、もしは山谷曠野にても、この中に皆、応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、この処は即ちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏ここにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃したまえばなり。」 その時世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・法師品第十(3)若し仏道に住して、自然智を成就せんと欲せば、常に当に勤めて、法華を受持する者を供養すべし。其れ疾く一切種智慧を得んと欲すること有らば、当に是の経を受持し、並びに持者を供養すべし。 若し能く、妙法華経を受持する者有らば、当に知るべし、仏の所使にして、諸の衆生を愍念すと。諸有る能く妙法華経を受持する者は、清浄の土を捨てて、衆を愍れむが故に此に生ず。 当に知るべし、是の如き人は、自在に生ぜんと欲する所にして、能く此の悪世に於いて、広く無上の法を説く。応に天の華香、及び天の宝衣服、天上の妙宝聚を以て、説法者を供養すべし。 吾が滅後の悪世に、能く是の経を持つ者をば、当に合掌して礼敬すること、世尊を供養するが如くすべし。上饌・衆の甘美、及び種種の衣服をもて、是の仏子を供養し、冀わくは須臾も聞くことを得ん。 若し能く後世に、是の経を受持せん者は、我、遣わして人中に在りて、如来の事を行ぜしむ。若し一劫の中に、常に不善の心を懐き、色を作して仏を罵らば、無量の重罪を獲ん。 其れ是の法華経を読誦し持つこと有らん者を、須臾も悪言を加えば、其の罪、復た彼に過ぎん。人有りて仏道を求め、而も一劫の中に、合掌して我が前に在り、無数の偈を以て讃えんに、 是の仏を讃うるに由るが故に、無量の功徳を得ん。持経者を歎美せば、其の福、復た彼に過ぎん。八十億劫に於いて、最妙の色・声、及び香・味・触を以て、持経者を供養せんに、 是の如く供養し已って、若し須臾も聞くことを得ば、則ち応に自ら欣慶すべし、我、今、大利を獲たりと。藥王、今汝に告ぐ、我が説く所の諸経の中に於いて、此の経の中に、法華最も第一なり。 爾の時、仏、復た藥王菩薩摩訶薩に告げたまわく、「我が説く所の経典は、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経は、最も難信難解なり。藥王、此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所にして、昔より已来、未だ曽て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや。」