法華経 / 法師功德品第十九(9)
若持法華者,其身甚清淨,如彼淨琉璃,眾生皆喜見,又如淨明鏡,悉見諸色像,菩薩於淨身,皆見世所有, 唯獨自明了,餘人所不見。三千世界中,一切諸群萌,天人阿修羅,地獄鬼畜生,如是諸色像,皆於身中現。 諸天等宮殿,乃至於有頂,鐵圍及彌樓,摩訶彌樓山,諸大海水等,皆於身中現。諸佛及聲聞,佛子菩薩等, 若獨若在眾,說法悉皆現。雖未得無漏,法性之妙身,以清淨常體,一切於中現。 「復次、常精進,若善男子、善女人,如來滅後,受持是經,若讀,若誦,若解說,若書寫,得千二百意功德。以是清淨意根,乃至聞一偈一句,通達無量無邊之義,解是義已,能演說一句一偈、至於一月、四月、乃至一歲,諸所說法,隨其義趣,皆與實相不相違背。若說俗間經書、治世語言、資生業等,皆順正法。三千大千世界、六趣眾生,心之所行,心所動作,心所戲論,皆悉知之,雖未得無漏智慧,而其意根,清淨如此。是人有所思惟、籌量、言說,皆是佛法,無不真實,亦是先佛,經中所說。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:若持法華者,其身甚清浄,如彼浄琉璃,衆生皆喜見,又如浄明鏡,悉見諸色像,菩薩於浄身,皆見世所有, 唯独自明了,余人所不見。三千世界中,一切諸群萌,天人阿修羅,地獄鬼畜生,如是諸色像,皆於身中現。 諸天等宮殿,乃至於有頂,鉄囲及弥楼,摩訶弥楼山,諸大海水等,皆於身中現。諸仏及声聞,仏子菩薩等, 若独若在衆,説法悉皆現。雖未得無漏,法性之妙身,以清浄常体,一切於中現。 「復次、常精進,若善男子、善女人,如来滅後,受持是経,若読,若誦,若解説,若書写,得千二百意功徳。以是清浄意根,乃至聞一偈一句,通達無量無辺之義,解是義已,能演説一句一偈、至於一月、四月、乃至一歳,諸所説法,随其義趣,皆与実相不相違背。若説俗間経書、治世語言、資生業等,皆順正法。三千大千世界、六趣衆生,心之所行,心所動作,心所戯論,皆悉知之,雖未得無漏智慧,而其意根,清浄如此。是人有所思惟、籌量、言説,皆是仏法,無不真実,亦是先仏,経中所説。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
若し法華を持つ者は、其の身甚だ清浄にして、彼の浄き瑠璃の如く、衆生皆な喜び見る。又た浄き明鏡の、悉く諸の色像を見るが如く、菩薩は浄き身に於いて、皆な世の所有を見る。 唯だ独り自ら明了にして、余人の見ざる所なり。三千世界の中の、一切の諸の群萌、天、人、阿修羅、地獄、鬼、畜生、是くの如き諸の色像、皆な身の中に現ず。 諸天等の宮殿、乃至、有頂に於いて、鉄囲及び弥楼、摩訶弥楼山、諸の大海水等、皆な身の中に現ず。諸仏及び声聞、仏子、菩薩等、 若しは独り、若しは衆に在りて、説法したもうこと、悉く皆な現ず。未だ無漏法性の妙身を得ずと雖も、清浄の常の体を以て、一切、中に於いて現ず。 「復た次に、常精進、若し善男子、善女人、如来の滅後に、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、千二百の意の功徳を得ん。是の清浄の意根を以て、乃至、一偈一句を聞くに、無量無辺の義に通達し、是の義を解し已りて、能く一句一偈を演説すること、一月、四月、乃至、一歳に至り、諸の説く所の法、其の義趣に随いて、皆な実相と相違背せず。若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説くも、皆な正法に順ぜん。三千大千世界の六趣の衆生の、心の行ずる所、心の動作する所、心の戯論する所、皆な悉く之を知らん。未だ無漏の智慧を得ずと雖も、而も其の意根の清浄なること此くの如し。是の人の思惟、籌量、言説する所有るは、皆な是れ仏法にして、真実ならざる無く、亦た是れ先仏の経の中に説きたまう所なり。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
もし法華経を持つ者は、その身が非常に清らかで、あの清らかな瑠璃のように、衆生はみな喜んで見ます。また清らかな明鏡がすべての姿を映すように、菩薩は清らかな身の中に、世の中のあらゆるものを見ます。 ただ自分だけがはっきりと知り、他の人には見えません。三千世界の中の、すべての衆生、天、人、阿修羅、地獄、鬼、畜生、このような諸々の姿が、みな身の中に現れます。 諸天の宮殿から有頂天に至るまで、鉄囲山、弥楼山、摩訶弥楼山、多くの大海の水など、みな身の中に現れます。諸仏、声聞、仏の子、菩薩たちが、 ひとりでも、衆の中にいても、説法しておられるのが、すべて現れます。まだ煩悩のない法性の妙なる身を得ていなくても、清らかな常の身体で、すべてがその中に現れるのです。 「さらに次に、常精進よ、もし善男子善女人が、如来の滅後にこの経を受持し、読み、誦し、解説し、書き写すなら、千二百の意の功徳を得るでしょう。この清らかな意根で、たとえ一偈一句を聞いても、量りなく果てしない意味に通じ、その意味を理解して、一句一偈を、一か月、四か月、さらには一年にわたって説くことができ、説く法はその趣旨に従って、みな実相に背くことがありません。もし世間の書物、世を治める言葉、生計を立てる仕事などを説いても、すべて正しい法にかなっています。三千大千世界の六道の衆生の、心の動き、心の働き、心の戯論を、すべて知ることができます。まだ煩悩のない智慧を得ていなくても、その意根の清らかさはこのようです。この人が思い、はかり、語ることは、みな仏法であり、真実でないものはなく、また先の仏たちが経の中で説かれたことなのです。」 そのとき世尊は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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法華経・法師功德品第十九(1)爾の時、仏、常精進菩薩摩訶薩に告げたまわく、「若し善男子、善女人、是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、是の人は当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳し、皆な清浄ならしめん。是の善男子、善女人は、父母所生の清浄の肉眼にて、三千大千世界の、内外の所有る山林河海、下は阿鼻地獄に至り、上は有頂に至るまでを見、亦た其の中の一切の衆生、及び業の因縁、果報、生処を見て、悉く見、悉く知らん。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 若し大衆の中に於いて、畏るる所無き心を以て、是の法華経を説かば、汝、其の功徳を聴け。是の人は八百の、功徳殊勝の眼を得、是を以て荘厳するが故に、其の目甚だ清浄なり。 父母所生の眼にて、悉く三千界を見る。内外の弥楼山、須弥、及び鉄囲、並びに諸余の山林、大海江河の水、下は阿鼻獄に至り、上は有頂の処に至るまで、 其の中の諸の衆生、一切皆な悉く見る。未だ天眼を得ずと雖も、肉眼の力、是くの如し。
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法華経・法師功德品第十九(7)「復た次に、常精進、若し善男子、善女人、是の経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せば、千二百の舌の功徳を得ん。若しは好き、若しは醜き、若しは美き、美からざる、及び諸の苦渋の物も、其の舌根に在れば、皆な変じて上味と成り、天の甘露の如く、美からざる者無し。若し舌根を以て、大衆の中に於いて演説する所有らば、深妙の声を出して、能く其の心に入り、皆な歓喜快楽せしめん。又た諸の天子、天女、釈、梵の諸天、是の深妙の音声の、演説する所の言論の次第有るを聞きて、皆な悉く来たり聴かん。及び諸の龍、龍女、夜叉、夜叉女、乾闥婆、乾闥婆女、阿修羅、阿修羅女、迦楼羅、迦楼羅女、緊那羅、緊那羅女、摩睺羅伽、摩睺羅伽女、法を聴かんが為の故に、皆な来たり親近して、恭敬し供養せん。及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、国王、王子、群臣、眷属、小転輪王、大転輪王、七宝千子、内外の眷属、其の宮殿に乗じて、倶に来たり法を聴かん。是の菩薩の善く法を説くを以ての故なり。婆羅門、居士、国内の人民、其の形寿を尽くして、随侍し供養せん。又た諸の声聞、辟支仏、菩薩、諸仏は、常に楽いて之を見たもう。是の人の所在の方面には、諸仏皆な其の処に向かいて法を説きたもう、悉く能く一切の仏法を受持し、又た能く深妙の法音を出さん。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、