法華経 / 隨喜功德品第十八(4)
若人於法會,得聞是經典、乃至於一偈,隨喜為他說,如是展轉教、至於第五十,最後人獲福、今當分別之。 如有大施主,供給無量眾,具滿八十歲、隨意之所欲,見彼衰老相,發白而面皺,齒疏形枯竭,念其死不久, 我今應當教、令得於道果。即為方便說、涅槃真實法,世皆不牢固,如水沫泡焰,汝等咸應當、疾生厭離心。 諸人聞是法,皆得阿羅漢,具足六神通、三明八解脫。最後第五十,聞一偈隨喜,是人福勝彼、不可為譬喻。 如是展轉聞,其福尚無量,何況於法會、初聞隨喜者。若有勸一人、將引聽法華,言此經深妙,千萬劫難遇, 即受教往聽,乃至須臾聞,斯人之福報,今當分別說。世世無口患,齒不疏黃黑,唇不厚褰缺,無有可惡相, 舌不乾黑短,鼻高修且直,額廣而平正,面目悉端嚴,為人所喜見,口氣無臭穢,優缽華之香、當從其口出。 若故詣僧坊,欲聽法華經,須臾聞歡喜,今當說其福。後生天人中,得妙象馬車、珍寶之輦輿,及乘天宮殿。 若於講法處、勸人坐聽經,是福因緣得、釋梵轉輪座。何況一心聽,解說其義趣,如說而修行,其福不可量。
新字:若人於法会,得聞是経典、乃至於一偈,随喜為他説,如是展転教、至於第五十,最後人獲福、今当分別之。 如有大施主,供給無量衆,具満八十歳、随意之所欲,見彼衰老相,発白而面皺,歯疏形枯竭,念其死不久, 我今応当教、令得於道果。即為方便説、涅槃真実法,世皆不牢固,如水沫泡炎,汝等咸応当、疾生厭離心。 諸人聞是法,皆得阿羅漢,具足六神通、三明八解脱。最後第五十,聞一偈随喜,是人福勝彼、不可為譬喩。 如是展転聞,其福尚無量,何況於法会、初聞随喜者。若有勧一人、将引聴法華,言此経深妙,千万劫難遇, 即受教往聴,乃至須臾聞,斯人之福報,今当分別説。世世無口患,歯不疏黄黒,唇不厚褰欠,無有可悪相, 舌不乾黒短,鼻高修且直,額広而平正,面目悉端厳,為人所喜見,口気無臭穢,優鉢華之香、当従其口出。 若故詣僧坊,欲聴法華経,須臾聞歓喜,今当説其福。後生天人中,得妙象馬車、珍宝之輦輿,及乗天宮殿。 若於講法処、勧人坐聴経,是福因縁得、釈梵転輪座。何況一心聴,解説其義趣,如説而修行,其福不可量。
書き下し
若し人、法会に於いて、是の経典を聞くことを得、乃至、一偈なりとも、随喜して他の為に説き、是くの如く展転して教え、第五十に至らん。最後の人の獲る福、今、当に之を分別すべし。 大施主の、無量の衆に供給し、八十歳を具満して、意の欲する所に随うこと有らんが如し。彼の衰老の相、髪白く面皺み、歯疎に形枯竭せるを見て、其の死の久しからざるを念い、 我れ今、応当に教えて、道果を得しむべしと。即ち方便して、涅槃の真実の法を説かん、世は皆な牢固ならず、水の沫、泡、焔の如し、汝等、咸な応当に、疾く厭離の心を生ずべしと。 諸人、是の法を聞きて、皆な阿羅漢を得、六神通、三明、八解脱を具足せん。最後の第五十の、一偈を聞きて随喜せる、是の人の福は彼に勝ること、譬喩を為すべからず。 是くの如く展転して聞かば、其の福すら尚お無量なり、何に況んや法会に於いて、初めて聞きて随喜せん者をや。若し一人に勧めて、引き将いて法華を聴かしめ、此の経は深妙にして、千万劫にも遇い難しと言い、 即ち教えを受けて往きて聴き、乃至、須臾も聞かば、斯の人の福報、今、当に分別して説くべし。世世に口患無く、歯は疎、黄、黒ならず、唇は厚、褰、欠ならず、悪む可き相有ること無く、 舌は乾、黒、短ならず、鼻は高く修く且つ直く、額は広くして平正に、面目悉く端厳にして、人の喜び見る所となり、口気は臭穢無く、優鉢華の香、当に其の口より出づべし。 若し故に僧坊に詣でて、法華経を聴かんと欲し、須臾も聞きて歓喜せば、今、当に其の福を説くべし。後に天人の中に生まれて、妙なる象馬車、珍宝の輦輿を得、及び天の宮殿に乗ぜん。 若し講法の処に於いて、人に勧めて坐して経を聴かしめば、是の福の因縁にて、釈、梵、転輪の座を得ん。何に況んや一心に聴き、其の義趣を解説し、説の如く修行せんをや、其の福は量るべからず。
現代語訳
もし人が法会でこの経典を聞くことができ、ほんの一偈であっても、喜んで他の人に説き、このように次々に教え伝えて第五十番目に至ったとします。その最後の人の得る福を、いま分けて説きましょう。 大施主が量りない人々に供給し、八十年を満たして、望むままにするとします。その人たちの衰え老いた姿、白い髪、皺だらけの顔、まばらな歯、痩せ枯れた体を見て、死が遠くないことを思い、 私はいま、教えて悟りの果を得させるべきだと考えます。そこで方便をもって、涅槃の真実の法を説きます。世の中はみな堅固ではなく、水の泡や炎のようなものです。あなたたちはみな、すみやかに厭い離れる心を起こしなさいと。 人々はこの法を聞いて、みな阿羅漢を得、六神通、三明、八解脱をそなえます。最後の第五十番目の人が、一偈を聞いて随喜する福は、その大施主の福にまさること、譬えようもありません。 このように次々に聞いて伝わるだけでも、その福はなお量りがありません。まして、法会で最初に聞いて随喜した者の福はなおさらです。もし一人に勧めて、連れてきて法華経を聴かせ、この経は深く妙で、千万劫にも出会いがたいと言い、 その人が教えを受けて聴きに行き、ほんの少しのあいだでも聞くなら、その人の福の報いを、いま分けて説きましょう。生まれるたびに口の病がなく、歯は疎らでも黄ばんでも黒くもなく、唇は厚くも、縮んでも、欠けてもおらず、嫌な相がなく、 舌は乾いておらず、黒くも、短くもなく、鼻は高く長くまっすぐで、額は広く平らかで正しく、顔立ちはみな端正で、人に喜んで見られ、息に臭みがなく、優鉢羅華の香りが口から出るでしょう。 もし進んで僧坊に行き、法華経を聴こうとして、少しのあいだ聞いて歓喜するなら、その福を、いま説きましょう。後に天や人の中に生まれて、すばらしい象や馬や車、珍宝の輿を得、さらに天の宮殿に乗るでしょう。 もし法を講じる場で、人に勧めて座って経を聴かせるなら、この福の因縁によって、帝釈、梵天、転輪聖王の座を得るでしょう。まして一心に聴き、その意味を解き明かし、説かれたとおりに修行する者の福は、量ることができません。
解説

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