法華経 / 隨喜功德品第十八(3)
「又、阿逸多,若人為是經故,往詣僧坊,若坐、若立、須臾聽受,緣是功德,轉身所生,得好上妙象、馬、車乘、珍寶輦輿,及乘天宮。若復有人、於講法處坐,更有人來,勸令坐聽,若分座令坐,是人功德,轉身得帝釋坐處,若梵王坐處,若轉輪聖王所坐之處。」 「阿逸多,若復有人、語餘人言:『有經、名法華,可共往聽。』即受其教,乃至須臾間聞,是人功德,轉身得與陀羅尼菩薩共生一處,利根智慧,百千萬世、終不瘖啞,口氣不臭,舌常無病,口亦無病,齒不垢黑、不黃、不疏,亦不缺落、不差、不曲、唇不下垂,亦不褰縮、不粗澀、不瘡胗,亦不缺壞,亦不喎斜,不厚、不大,亦不黧黑,無諸可惡,鼻不匾□,亦不曲戾,面色不黑,亦不狹長,亦不窊曲,無有一切不可喜相,唇舌牙齒、悉皆嚴好,鼻修、高直,面貌圓滿,眉高而長,額廣、平、正,人相具足,世世所生,見佛聞法、信受教誨。」 「阿逸多,汝且觀是、勸於一人令往聽法,功德如此,何況一心聽說、讀誦,而於大眾、為人分別如說修行?」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:「又、阿逸多,若人為是経故,往詣僧坊,若坐、若立、須臾聴受,縁是功徳,転身所生,得好上妙象、馬、車乗、珍宝輦輿,及乗天宮。若復有人、於講法処坐,更有人来,勧令坐聴,若分座令坐,是人功徳,転身得帝釈坐処,若梵王坐処,若転輪聖王所坐之処。」 「阿逸多,若復有人、語余人言:『有経、名法華,可共往聴。』即受其教,乃至須臾間聞,是人功徳,転身得与陀羅尼菩薩共生一処,利根智慧,百千万世、終不瘖唖,口気不臭,舌常無病,口亦無病,歯不垢黒、不黄、不疏,亦不欠落、不差、不曲、唇不下垂,亦不褰縮、不粗澀、不瘡胗,亦不欠壊,亦不喎斜,不厚、不大,亦不黧黒,無諸可悪,鼻不匾□,亦不曲戻,面色不黒,亦不狭長,亦不窊曲,無有一切不可喜相,唇舌牙歯、悉皆厳好,鼻修、高直,面貌円満,眉高而長,額広、平、正,人相具足,世世所生,見仏聞法、信受教誨。」 「阿逸多,汝且観是、勧於一人令往聴法,功徳如此,何況一心聴説、読誦,而於大衆、為人分別如説修行?」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「又た、阿逸多、若し人、是の経の為の故に、僧坊に往詣し、若しは坐し、若しは立ちて、須臾も聴受せば、是の功徳に縁りて、身を転じて生ずる所に、好き上妙の象、馬、車乗、珍宝の輦輿を得、及び天宮に乗ぜん。若し復た人有りて、講法の処に於いて坐するに、更に人の来たること有らば、勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分かちて坐せしめば、是の人の功徳、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵王の坐処、若しは転輪聖王の坐する所の処を得ん。」 「阿逸多、若し復た人、余人に語りて言わん、『経有り、法華と名づく、共に往きて聴くべし。』と。即ち其の教えを受け、乃至、須臾の間も聞かば、是の人の功徳、身を転じて陀羅尼菩薩と共に一処に生ずることを得、利根智慧にして、百千万世、終に瘖瘂ならず、口気臭からず、舌常に病無く、口も亦た病無く、歯は垢黒ならず、黄ならず、疎ならず、亦た欠落せず、差わず、曲がらず、唇は下垂せず、亦た褰縮せず、粗渋ならず、瘡胗せず、亦た欠壊せず、亦た喎斜ならず、厚からず、大ならず、亦た黧黒ならず、諸の悪む可き無く、鼻は匾□ならず、亦た曲戻ならず、面色黒からず、亦た狭長ならず、亦た窊曲ならず、一切の喜ばざる相有ること無く、唇舌牙歯、悉く皆な厳好にして、鼻は修く高直、面貌円満、眉高くして長く、額広く平らかに正しく、人相具足し、世世に生ずる所、仏を見たてまつり法を聞き、教誨を信受せん。」 「阿逸多、汝、且く是を観よ、一人に勧めて往きて法を聴かしむるすら、功徳此くの如し、何に況んや一心に聴き説き、読誦して、大衆に於いて、人の為に分別し、説の如く修行せんをや。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
「また阿逸多よ、もし人がこの経のために僧坊に行き、座り、あるいは立って、少しのあいだでも聴き受けるなら、その功徳によって、生まれ変わった先で、すばらしい象、馬、車、珍宝の輿を得、さらに天の宮殿にも乗るでしょう。またもし人が、法を講じる場で座っているときに、ほかの人が来たら、座って聴くよう勧め、あるいは座を分けて座らせるなら、その人の功徳によって、生まれ変わった先で、帝釈天の座、梵天王の座、転輪聖王の座る所を得るでしょう。」 「阿逸多よ、またもし人が、ほかの人に『経があります。法華経といいます。一緒に聴きに行きましょう』と語り、その勧めを受けて、ほんの少しのあいだでも聞くなら、この人の功徳によって、生まれ変わった先で陀羅尼を得た菩薩と同じ所に生まれ、聡明で、百千万世のあいだ決して口がきけなくならず、息は臭わず、舌も口も常に病気がなく、歯は汚れて黒くならず、黄ばまず、まばらでなく、欠け落ちず、乱れず、曲がらず、唇は垂れ下がらず、縮まず、粗くなく、できものもなく、欠け壊れず、ゆがまず、厚くなく、大きすぎず、黒ずまず、すべて嫌な点がなく、鼻は平たく□ならず、曲がらず、顔色は黒くなく、細長くなく、くぼまず、あらゆる好ましくない相がなく、唇、舌、歯がすべて端正で、鼻は長く高く通り、顔かたちは円満で、眉は高く長く、額は広く平らかで正しく、人相がそなわり、生まれるたびに、仏にお会いして法を聞き、教えを信じ受けるでしょう。」 「阿逸多よ、あなたはこれを見なさい。一人に勧めて法を聴きに行かせるだけでも、功徳はこのようです。まして一心に聴き、説き、読誦し、大衆の中で人のために分別して説明し、説かれたとおりに修行する者の功徳はなおさらです。」 そのとき世尊は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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法華経・隨喜功德品第十八(4)若し人、法会に於いて、是の経典を聞くことを得、乃至、一偈なりとも、随喜して他の為に説き、是くの如く展転して教え、第五十に至らん。最後の人の獲る福、今、当に之を分別すべし。 大施主の、無量の衆に供給し、八十歳を具満して、意の欲する所に随うこと有らんが如し。彼の衰老の相、髪白く面皺み、歯疎に形枯竭せるを見て、其の死の久しからざるを念い、 我れ今、応当に教えて、道果を得しむべしと。即ち方便して、涅槃の真実の法を説かん、世は皆な牢固ならず、水の沫、泡、焔の如し、汝等、咸な応当に、疾く厭離の心を生ずべしと。 諸人、是の法を聞きて、皆な阿羅漢を得、六神通、三明、八解脱を具足せん。最後の第五十の、一偈を聞きて随喜せる、是の人の福は彼に勝ること、譬喩を為すべからず。 是くの如く展転して聞かば、其の福すら尚お無量なり、何に況んや法会に於いて、初めて聞きて随喜せん者をや。若し一人に勧めて、引き将いて法華を聴かしめ、此の経は深妙にして、千万劫にも遇い難しと言い、 即ち教えを受けて往きて聴き、乃至、須臾も聞かば、斯の人の福報、今、当に分別して説くべし。世世に口患無く、歯は疎、黄、黒ならず、唇は厚、褰、欠ならず、悪む可き相有ること無く、 舌は乾、黒、短ならず、鼻は高く修く且つ直く、額は広くして平正に、面目悉く端厳にして、人の喜び見る所となり、口気は臭穢無く、優鉢華の香、当に其の口より出づべし。 若し故に僧坊に詣でて、法華経を聴かんと欲し、須臾も聞きて歓喜せば、今、当に其の福を説くべし。後に天人の中に生まれて、妙なる象馬車、珍宝の輦輿を得、及び天の宮殿に乗ぜん。 若し講法の処に於いて、人に勧めて坐して経を聴かしめば、是の福の因縁にて、釈、梵、転輪の座を得ん。何に況んや一心に聴き、其の義趣を解説し、説の如く修行せんをや、其の福は量るべからず。
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法華経・隨喜功德品第十八(1)爾の時、弥勒菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、「世尊、若し善男子、善女人有りて、是の法華経を聞きて、随喜せん者は、幾所の福をか得ん。」と、偈を説いて言さく、 世尊の滅度の後に、 其れ是の経を聞くこと有りて、 若し能く随喜せん者は、 幾所の福をか得ると為す。 爾の時、仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、「阿逸多、如来の滅後に、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、及び余の智者、若しは長、若しは幼、是の経を聞きて随喜し已り、法会より出でて、余の処に至り、若しは僧坊に在り、若しは空閑地、若しは城邑、巷陌、聚落、田里にして、其の聞く所の如く、父母、宗親、善友、知識の為に、力に随いて演説せば、是の諸人等、聞き已りて随喜し、復た行きて転教し、余の人聞き已りて、亦た随喜して転教し、是くの如く展転して、第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子、善女人の随喜の功徳、我れ今、之を説かん、汝、当に善く聴くべし。」
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法華経・分別功德品第十七(7)「阿逸多、若し我が滅後に、是の経典を聞きて、能く受持すること有り、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめば、則ち為れ僧坊を起立するなり。赤栴檀を以て、諸の殿堂三十有二を作り、高さ八多羅樹、高広厳好にして、百千の比丘、其の中に止まり、園林、浴池、経行、禅窟、衣服、飲食、床褥、湯薬、一切の楽具、其の中に充満せん。是くの如き僧坊、堂閣、若干百千万億、其の数無量なり。此を以て現前に、我、及び比丘僧に供養するなり。是の故に我れ説く、如来の滅後に、若し受持、読誦し、他人の為に説き、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、経巻を供養すること有らば、復た塔寺を起て、及び僧坊を造り、衆僧を供養することを須いず。況んや復た人有りて能く是の経を持ち、兼ねて布施、持戒、忍辱、精進、一心、智慧を行ぜんをや。其の徳最も勝れ、無量無辺なり。譬えば虚空の、東西南北、四維、上下、無量無辺なるが如く、是の人の功徳も、亦復た是くの如く無量無辺にして、疾く一切種智に至らん。若し人、是の経を読誦し受持し、他人の為に説き、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、復た能く塔を起て、及び僧坊を造り、声聞の衆僧を供養し讃歎し、亦た百千万億の讃歎の法を以て、菩薩の功徳を讃歎し、又た他人の為に、種種の因縁をもて、義に随いて此の法華経を解説し、復た能く清浄に戒を持ち、柔和なる者と共に同止し、忍辱にして瞋ること無く、志念堅固に、常に坐禅を貴び、諸の深定を得、精進勇猛にして、諸の善法を摂し、利根智慧にして、善く問難に答えん。」 「阿逸多、若し我が滅後に、諸の善男子、善女人、是の経典を受持し読誦せん者、復た是くの如き諸の善功徳有らば、当に知るべし、是の人は已に道場に趨き、阿耨多羅三藐三菩提に近づき、道樹の下に坐するなり。阿逸多、是の善男子、善女人、若しは坐し、若しは立ち、若しは経行せん処には、此の中に便ち応に塔を起つべし。一切の天人、皆な応に供養すること仏の塔の如くすべし。」
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法華経・分別功德品第十七(6)「又た、阿逸多、若し仏の寿命の長遠なるを聞きて、其の言趣を解せば、是の人の得る所の功徳、限量有ること無く、能く如来の無上の慧を起こさん。何に況んや広く是の経を聞き、若しは人をして聞かしめ、若しは自ら持ち、若しは人をして持たしめ、若しは自ら書き、若しは人をして書かしめ、若しは華、香、瓔珞、幢幡、繒蓋、香油、酥燈を以て、経巻を供養せんをや。是の人の功徳、無量無辺にして、能く一切種智を生ぜん。阿逸多、若し善男子、善女人、我が寿命の長遠なるを説くを聞き、深心に信解せば、則ち為れ仏の常に耆闍崛山に在りて、大菩薩、諸の声聞衆と共に、囲繞せられて法を説きたもうを見ん。又た此の娑婆世界の、其の地は瑠璃にして、坦然として平正なり、閻浮檀金もて以て八道を界い、宝樹行列し、諸の台楼観、皆な悉く宝もて成り、其の菩薩衆、咸な其の中に処するを見ん。若し能く是くの如く観ずる者有らば、当に知るべし、是れを深信解の相と為す。」 「又た復た如来の滅後に、若し是の経を聞きて、毀呰せずして、随喜の心を起こさば、当に知るべし、已に深信解の相と為す、何に況んや読誦し受持する者をや、斯の人は則ち為れ如来を頂戴するなり。阿逸多、是の善男子、善女人は、我が為に復た塔寺を起て、及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず。所以は何ん。是の善男子、善女人、是の経典を受持し読誦する者は、為に已に塔を起て、僧坊を造立し、衆僧を供養するなり。則ち為れ仏舎利を以て、七宝の塔を起て、高広漸く小にして、梵天に至り、諸の幡蓋、及び衆の宝鈴、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、衆鼓、伎楽、簫、笛、箜篌、種種の舞戯、妙なる音声を以て、歌唄讃頌せば、則ち為れ無量千万億劫に於いて、是の供養を作し已れるなり。」
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法華経・隨喜功德品第十八(2)「若し四百万億阿僧祇の世界の六趣四生の衆生、卵生、胎生、湿生、化生、若しは有形、無形、有想、無想、非有想、非無想、無足、二足、四足、多足、是くの如き等の、衆生の数に在る者に、有る人、福を求めて、其の欲する所の娯楽の具に随いて、皆な之を給与し、一一の衆生に、閻浮提に満つる金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸の妙なる珍宝、及び象、馬、車乗、七宝の成ずる所の宮殿楼閣等を与えん。是の大施主、是くの如く布施すること、八十年を満じ已りて、是の念を作さん、『我れ已に衆生に娯楽の具を施して、意に随い欲する所にせしも、然るに此の衆生、皆な已に衰老して、年八十を過ぎ、髪白く面皺み、将に死すること久しからざらんとす。我れ当に仏法を以て之を訓導すべし。』と。即ち此の衆生を集めて、法を宣布して化し、示教利喜せば、一時に皆な須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道を得、諸の有漏を尽くし、深禅定に於いて皆な自在を得、八解脱を具えん。汝が意に於いて云何、是の大施主の得る所の功徳、寧ろ多しと為すや否や。」 弥勒、仏に白して言さく、「世尊、是の人の功徳甚だ多く、無量無辺なり。若し是の施主、但だ衆生に一切の楽具を施すのみにても、功徳無量なり、何に況んや阿羅漢果を得しめんをや。」仏、弥勒に告げたまわく、「我れ今、分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以て、四百万億阿僧祇世界の六趣の衆生に施し、又た阿羅漢果を得しめて、得る所の功徳も、是の第五十の人の、法華経の一偈を聞きて随喜せる功徳に如かず、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至、算数譬喩の知ること能わざる所なり。阿逸多、是くの如き第五十の人の、展転して法華経を聞きて随喜せる功徳すら、尚お無量無辺阿僧祇なり、何に況んや最初に会の中に於いて、聞きて随喜せる者は、其の福復た勝れて、無量無辺阿僧祇にして、比ぶることを得べからず。」
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法華経・法師品第十(6)爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 諸の懈怠を捨てんと欲せば、応当に此の経を聴くべし。是の経は聞くことを得難く、信受する者も亦た難し。人の渇して水を需め、高原に窄鑿するに、猶お乾燥の土を見て、水を去ること尚お遠きを知り、 漸く湿土の泥を見て、決定して水に近きを知るが如し。藥王、汝当に知るべし、是の如き諸人等は、法華経を聞かざれば、仏智を去ること甚だ遠し。若し是の深経を聞かば、声聞の法を決了す。 是れ諸経の王なり。聞き已って諦らかに思惟せば、当に知るべし、此の人等は、仏の智慧に近し。若し人、此の経を説かば、応に如来の室に入り、如来の衣を著て、如来の座に坐すべし。 衆に処して畏るる所無く、広く為に分別して説け。大慈悲を室と為し、柔和忍辱を衣とし、諸法の空を座と為して、此に処して為に法を説け。若し此の経を説く時、人有りて悪口して罵り、 刀杖・瓦石を加うとも、仏を念ずるが故に応に忍ぶべし。我は千万億土に、清浄堅固の身を現じ、無量億劫に於いて、衆生の為に法を説く。若し我が滅度の後、能く此の経を説かん者には、 我、化の四衆、比丘・比丘尼、及び清信の士女を遣わして、法師を供養し、諸の衆生を引導し、之を集めて法を聴かしめん。若し人、悪を加えんと欲して、刀杖及び瓦石あらば、 則ち変化の人を遣わして、之が為に衛護を作さん。若し説法の人、独り空閑処に在りて、寂寞として人の声無く、此の経典を読誦せば、我、爾の時、為に清浄光明の身を現ぜん。 若し章句を忘失せば、為に説いて通利せしめん。若し人、是の徳を具えて、或いは四衆の為に説き、空処にて経を読誦せば、皆、我が身を見ることを得ん。若し人、空閑に在らば、我、天・竜王、 夜叉・鬼神等を遣わして、為に聴法の衆と作さしめん。是の人は説法を楽い、分別して罣礙無く、諸仏の護念したもうが故に、能く大衆をして喜ばしむ。若し法師に親近せば、速やかに菩薩道を得ん。 是の師に隨順して学ばば、恒沙の仏を見ることを得ん。