法華経 / 隨喜功德品第十八(1)
爾時、彌勒菩薩摩訶薩白佛言:「世尊,若有善男子、善女人,聞是法華經、隨喜者,得幾所福?」而說偈言: 世尊滅度後, 其有聞是經, 若能隨喜者, 為得幾所福。 爾時佛告彌勒菩薩摩訶薩:「阿逸多,如來滅後,若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,及餘智者、若長若幼,聞是經、隨喜已,從法會出,至於餘處,若在僧坊,若空閒地,若城邑、巷陌、聚落、田裏,如其所聞,為父母、宗親、善友、知識、隨力演說,是諸人等,聞已、隨喜,復行轉教,餘人聞已,亦隨喜轉教,如是展轉、至第五十,阿逸多,其第五十善男子、善女人,隨喜功德,我今說之,汝當善聽。」
新字:爾時、弥勒菩薩摩訶薩白仏言:「世尊,若有善男子、善女人,聞是法華経、随喜者,得幾所福?」而説偈言: 世尊滅度後, 其有聞是経, 若能随喜者, 為得幾所福。 爾時仏告弥勒菩薩摩訶薩:「阿逸多,如来滅後,若比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,及余智者、若長若幼,聞是経、随喜已,従法会出,至於余処,若在僧坊,若空閒地,若城邑、巷陌、聚落、田裏,如其所聞,為父母、宗親、善友、知識、随力演説,是諸人等,聞已、随喜,復行転教,余人聞已,亦随喜転教,如是展転、至第五十,阿逸多,其第五十善男子、善女人,随喜功徳,我今説之,汝当善聴。」
書き下し
爾の時、弥勒菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、「世尊、若し善男子、善女人有りて、是の法華経を聞きて、随喜せん者は、幾所の福をか得ん。」と、偈を説いて言さく、 世尊の滅度の後に、 其れ是の経を聞くこと有りて、 若し能く随喜せん者は、 幾所の福をか得ると為す。 爾の時、仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、「阿逸多、如来の滅後に、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、及び余の智者、若しは長、若しは幼、是の経を聞きて随喜し已り、法会より出でて、余の処に至り、若しは僧坊に在り、若しは空閑地、若しは城邑、巷陌、聚落、田里にして、其の聞く所の如く、父母、宗親、善友、知識の為に、力に随いて演説せば、是の諸人等、聞き已りて随喜し、復た行きて転教し、余の人聞き已りて、亦た随喜して転教し、是くの如く展転して、第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子、善女人の随喜の功徳、我れ今、之を説かん、汝、当に善く聴くべし。」
現代語訳
そのとき弥勒菩薩大士は仏に申し上げました。「世尊、もし善男子善女人がいて、この法華経を聞いて随喜するなら、どれほどの福を得るのでしょうか。」そして偈を説いて言いました。 世尊の滅度の後に、 この経を聞くことがあって、 もしよく随喜する者がいれば、 どれほどの福を得るのでしょうか。 そのとき仏は弥勒菩薩大士に告げられました。「阿逸多よ、如来の滅後に、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、およびその他の智者、年長の者も若い者も、この経を聞いて随喜し、法会を出て、他の場所、僧坊や、静かな野、城や町、路地、村里、田畑に至って、聞いたとおりに、父母、親族、善い友、知人のために、力に応じて説き聞かせ、これらの人々が聞いて随喜し、さらに行ってまた別の人に教え、その人たちも聞いて随喜し、また別の人に教えるというふうに、次々と伝わって第五十番目に至ったとします。阿逸多よ、その第五十番目の善男子善女人の随喜の功徳を、私はこれから説きます。あなたはよく聴きなさい。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
法華経・隨喜功德品第十八(4)若し人、法会に於いて、是の経典を聞くことを得、乃至、一偈なりとも、随喜して他の為に説き、是くの如く展転して教え、第五十に至らん。最後の人の獲る福、今、当に之を分別すべし。 大施主の、無量の衆に供給し、八十歳を具満して、意の欲する所に随うこと有らんが如し。彼の衰老の相、髪白く面皺み、歯疎に形枯竭せるを見て、其の死の久しからざるを念い、 我れ今、応当に教えて、道果を得しむべしと。即ち方便して、涅槃の真実の法を説かん、世は皆な牢固ならず、水の沫、泡、焔の如し、汝等、咸な応当に、疾く厭離の心を生ずべしと。 諸人、是の法を聞きて、皆な阿羅漢を得、六神通、三明、八解脱を具足せん。最後の第五十の、一偈を聞きて随喜せる、是の人の福は彼に勝ること、譬喩を為すべからず。 是くの如く展転して聞かば、其の福すら尚お無量なり、何に況んや法会に於いて、初めて聞きて随喜せん者をや。若し一人に勧めて、引き将いて法華を聴かしめ、此の経は深妙にして、千万劫にも遇い難しと言い、 即ち教えを受けて往きて聴き、乃至、須臾も聞かば、斯の人の福報、今、当に分別して説くべし。世世に口患無く、歯は疎、黄、黒ならず、唇は厚、褰、欠ならず、悪む可き相有ること無く、 舌は乾、黒、短ならず、鼻は高く修く且つ直く、額は広くして平正に、面目悉く端厳にして、人の喜び見る所となり、口気は臭穢無く、優鉢華の香、当に其の口より出づべし。 若し故に僧坊に詣でて、法華経を聴かんと欲し、須臾も聞きて歓喜せば、今、当に其の福を説くべし。後に天人の中に生まれて、妙なる象馬車、珍宝の輦輿を得、及び天の宮殿に乗ぜん。 若し講法の処に於いて、人に勧めて坐して経を聴かしめば、是の福の因縁にて、釈、梵、転輪の座を得ん。何に況んや一心に聴き、其の義趣を解説し、説の如く修行せんをや、其の福は量るべからず。
-
法華経・隨喜功德品第十八(2)「若し四百万億阿僧祇の世界の六趣四生の衆生、卵生、胎生、湿生、化生、若しは有形、無形、有想、無想、非有想、非無想、無足、二足、四足、多足、是くの如き等の、衆生の数に在る者に、有る人、福を求めて、其の欲する所の娯楽の具に随いて、皆な之を給与し、一一の衆生に、閻浮提に満つる金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸の妙なる珍宝、及び象、馬、車乗、七宝の成ずる所の宮殿楼閣等を与えん。是の大施主、是くの如く布施すること、八十年を満じ已りて、是の念を作さん、『我れ已に衆生に娯楽の具を施して、意に随い欲する所にせしも、然るに此の衆生、皆な已に衰老して、年八十を過ぎ、髪白く面皺み、将に死すること久しからざらんとす。我れ当に仏法を以て之を訓導すべし。』と。即ち此の衆生を集めて、法を宣布して化し、示教利喜せば、一時に皆な須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道を得、諸の有漏を尽くし、深禅定に於いて皆な自在を得、八解脱を具えん。汝が意に於いて云何、是の大施主の得る所の功徳、寧ろ多しと為すや否や。」 弥勒、仏に白して言さく、「世尊、是の人の功徳甚だ多く、無量無辺なり。若し是の施主、但だ衆生に一切の楽具を施すのみにても、功徳無量なり、何に況んや阿羅漢果を得しめんをや。」仏、弥勒に告げたまわく、「我れ今、分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以て、四百万億阿僧祇世界の六趣の衆生に施し、又た阿羅漢果を得しめて、得る所の功徳も、是の第五十の人の、法華経の一偈を聞きて随喜せる功徳に如かず、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至、算数譬喩の知ること能わざる所なり。阿逸多、是くの如き第五十の人の、展転して法華経を聞きて随喜せる功徳すら、尚お無量無辺阿僧祇なり、何に況んや最初に会の中に於いて、聞きて随喜せる者は、其の福復た勝れて、無量無辺阿僧祇にして、比ぶることを得べからず。」
-
法華経・隨喜功德品第十八(3)「又た、阿逸多、若し人、是の経の為の故に、僧坊に往詣し、若しは坐し、若しは立ちて、須臾も聴受せば、是の功徳に縁りて、身を転じて生ずる所に、好き上妙の象、馬、車乗、珍宝の輦輿を得、及び天宮に乗ぜん。若し復た人有りて、講法の処に於いて坐するに、更に人の来たること有らば、勧めて坐して聴かしめ、若しは座を分かちて坐せしめば、是の人の功徳、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵王の坐処、若しは転輪聖王の坐する所の処を得ん。」 「阿逸多、若し復た人、余人に語りて言わん、『経有り、法華と名づく、共に往きて聴くべし。』と。即ち其の教えを受け、乃至、須臾の間も聞かば、是の人の功徳、身を転じて陀羅尼菩薩と共に一処に生ずることを得、利根智慧にして、百千万世、終に瘖瘂ならず、口気臭からず、舌常に病無く、口も亦た病無く、歯は垢黒ならず、黄ならず、疎ならず、亦た欠落せず、差わず、曲がらず、唇は下垂せず、亦た褰縮せず、粗渋ならず、瘡胗せず、亦た欠壊せず、亦た喎斜ならず、厚からず、大ならず、亦た黧黒ならず、諸の悪む可き無く、鼻は匾□ならず、亦た曲戻ならず、面色黒からず、亦た狭長ならず、亦た窊曲ならず、一切の喜ばざる相有ること無く、唇舌牙歯、悉く皆な厳好にして、鼻は修く高直、面貌円満、眉高くして長く、額広く平らかに正しく、人相具足し、世世に生ずる所、仏を見たてまつり法を聞き、教誨を信受せん。」 「阿逸多、汝、且く是を観よ、一人に勧めて往きて法を聴かしむるすら、功徳此くの如し、何に況んや一心に聴き説き、読誦して、大衆に於いて、人の為に分別し、説の如く修行せんをや。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
-
法華経・從地湧出品第十五(3)爾の時、世尊は、菩薩大衆の中に於いて是の言を作したまわく、「是の如し、是の如し。諸の善男子よ、如来は安楽にして、少病少悩なり。諸の衆生等は、化度すべきこと易くして、疲労有ること無し。所以は何ん。是の諸の衆生は、世世已来、常に我が化を受け、亦た過去の諸仏に於いて、恭敬し尊重して、諸の善根を種えたり。此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞きて、即ち皆信受して、如来の慧に入る。先に修習して小乗を学べる者を除く。是の如き人も、我れ今亦た是の経を聞くことを得しめて、仏慧に入らしめん」と。爾の時、諸の大菩薩、偈を説いて言わく、 善いかな善いかな、大雄世尊よ。諸の衆生等は、化度すべきこと易し。能く諸仏の、甚深の智慧を問い、聞き已りて信じ行ず。我等は随喜す。 時に世尊、上首の諸の大菩薩を讃歎したまわく、「善いかな、善いかな、善男子よ。汝等は能く如来に於いて、随喜の心を発せり」と。爾の時、弥勒菩薩、及び八千恒河沙の諸の菩薩衆は、皆是の念を作さく、「我等は昔より已来、是の如き大菩薩摩訶薩衆の、地より湧出し、世尊の前に住して、合掌し供養して、如来に問訊するを、見ず聞かず」と。 時に弥勒菩薩摩訶薩は、八千恒河沙の諸の菩薩等の心に念ずる所を知り、並びに自ら所疑を決せんと欲して、合掌して仏に向かい、偈を以て問いて曰く、
-
法華経・分別功德品第十七(3)仏、稀有の法を説きたもう、昔より未だ曽て聞かざる所なり。世尊は大力有り、寿命量るべからず。無数の仏子、世尊の分別して、法利を得る者を説きたもうを聞きて、歓喜、身に充ち遍し。 或いは不退地に住し、或いは陀羅尼を得、或いは無礙楽説、万億の旋総持あり。或いは大千界、微塵数の菩薩有りて、各各皆な能く不退の法輪を転ず。 復た中千界、微塵数の菩薩有りて、各各皆な能く清浄の法輪を転ず。復た小千界、微塵数の菩薩有りて、余の各八生在りて、当に仏道を成ずることを得べし。 復た四三二、此くの如き四天下、微塵の諸の菩薩、数に随いて生じて仏と成らん。或いは一四天下、微塵数の菩薩、余、一生在ること有りて、当に一切智を成ずべし。 是くの如き等の衆生、仏の寿の長遠なるを聞きて、無量の無漏、清浄の果報を得。復た八世界、微塵数の衆生有りて、仏の寿命を説きたもうを聞きて、皆な無上心を発す。 世尊、無量、不可思議の法を説きたもう、多く饒益する所有ること、虚空の無辺なるが如し。天の曼陀羅、摩訶曼陀羅を雨らし、釈梵、恒沙の如く、無数の仏土より来たる。 栴檀、沈水を雨らし、繽紛として乱れ墜つること、鳥の空を飛びて下るが如く、諸仏に供散す。天鼓、虚空の中に、自然に妙なる声を出し、天衣千万種、旋転して来下す。 衆宝の妙なる香炉に、無価の香を焼き、自然に悉く周遍して、諸の世尊に供養す。其の大菩薩衆、七宝の幡蓋を執り、高妙なること万億種、次第に梵天に至る。 一一の諸仏の前に、宝幢、勝れたる幡を懸く。亦た千万の偈を以て、諸の如来を歌詠す。是くの如き種種の事、昔より未だ曽て有らざる所なり、仏の寿の無量なるを聞きて、一切皆な歓喜す。 仏の名、十方に聞こえ、広く衆生を饒益し、一切、善根を具えて、以て無上心を助く。
-
法華経・法師品第十(1)爾の時、世尊、薬王菩薩に因りて、八万の大士に告げたまわく、「薬王、汝是の大衆の中の、無量の諸天、竜王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と非人、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是の如き等の類、咸仏前に於て、妙法華経の一偈一句、乃至一念も随喜する者は、我皆授記を与う、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」 仏、薬王に告げたまわく、「又如来の滅度の後に、若し人有りて、妙法華経の乃至一偈一句を聞き、一念も随喜せば、我も亦阿耨多羅三藐三菩提の記を授与す。若し復人有りて、妙法華経を受持し、読誦し、解説し、書写し、乃至一偈をも、此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くし、種種に供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、乃至合掌恭敬せば、薬王、当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就し、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ぜり。」 「薬王、若し人有りて問わん、何等の衆生か、未来世に於て、当に作仏することを得べきと。応に是の諸人等は、未来世に於て、必ず作仏することを得べしと示すべし。何を以ての故に。若し善男子、善女人、法華経に於て、乃至一句も、受持し、読誦し、解説し、書写し、種種に経巻を供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、合掌恭敬せば、是の人は、一切世間の応に瞻奉すべき所にして、応に如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩にして、阿耨多羅三藐三菩提を成就し、衆生を哀愍して、願って此の間に生まれ、広く妙法華経を演べ分別す。何ぞ況んや尽く能く受持して、種種に供養せんをや。」