法華経 / 隨喜功德品第十八(2)
「若四百萬億阿僧祇世界六趣四生眾生,卵生、胎生、濕生、化生,若有形、無形,有想、無想,非有想、非無想,無足、二足、四足、多足、如是等、在眾生數者,有人求福,隨其所欲娛樂之具、皆給與之,一一眾生、與滿閻浮提金、銀、琉璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸妙珍寶,及象、馬、車乘,七寶所成宮殿樓閣等,是大施主、如是布施、滿八十年已,而作是念:『我已施眾生娛樂之具、隨意所欲,然此眾生、皆已衰老,年過八十,發白、面皺,將死不久,我當以佛法而訓導之。』即集此眾生,宣佈法化,示教利喜,一時皆得須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道,盡諸有漏,於深禪定、皆得自在,具八解脫。於汝意云何,是大施主所得功德、寧為多否?」 彌勒白佛言:「世尊,是人功德甚多,無量無邊,若是施主、但施眾生一切樂具,功德無量,何況令得阿羅漢果。」佛告彌勒:「我今分明語汝,是人以一切樂具、施於四百萬億阿僧祇世界六趣眾生,又令得阿羅漢果,所得功德,不如是第五十人聞法華經一偈、隨喜功德,百分、千分、百千萬億分、不及其一,乃至算數譬喻所不能知。阿逸多,如是第五十人展轉聞法華經隨喜功德,尚無量無邊阿僧祇,何況最初於會中、聞而隨喜者,其福復勝,無量無邊阿僧祇、不可得比。」
新字:「若四百万億阿僧祇世界六趣四生衆生,卵生、胎生、湿生、化生,若有形、無形,有想、無想,非有想、非無想,無足、二足、四足、多足、如是等、在衆生数者,有人求福,随其所欲娯楽之具、皆給与之,一一衆生、与満閻浮提金、銀、琉璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸妙珍宝,及象、馬、車乗,七宝所成宮殿楼閣等,是大施主、如是布施、満八十年已,而作是念:『我已施衆生娯楽之具、随意所欲,然此衆生、皆已衰老,年過八十,発白、面皺,将死不久,我当以仏法而訓導之。』即集此衆生,宣佈法化,示教利喜,一時皆得須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道,尽諸有漏,於深禅定、皆得自在,具八解脱。於汝意云何,是大施主所得功徳、寧為多否?」 弥勒白仏言:「世尊,是人功徳甚多,無量無辺,若是施主、但施衆生一切楽具,功徳無量,何況令得阿羅漢果。」仏告弥勒:「我今分明語汝,是人以一切楽具、施於四百万億阿僧祇世界六趣衆生,又令得阿羅漢果,所得功徳,不如是第五十人聞法華経一偈、随喜功徳,百分、千分、百千万億分、不及其一,乃至算数譬喩所不能知。阿逸多,如是第五十人展転聞法華経随喜功徳,尚無量無辺阿僧祇,何況最初於会中、聞而随喜者,其福復勝,無量無辺阿僧祇、不可得比。」
書き下し
「若し四百万億阿僧祇の世界の六趣四生の衆生、卵生、胎生、湿生、化生、若しは有形、無形、有想、無想、非有想、非無想、無足、二足、四足、多足、是くの如き等の、衆生の数に在る者に、有る人、福を求めて、其の欲する所の娯楽の具に随いて、皆な之を給与し、一一の衆生に、閻浮提に満つる金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、諸の妙なる珍宝、及び象、馬、車乗、七宝の成ずる所の宮殿楼閣等を与えん。是の大施主、是くの如く布施すること、八十年を満じ已りて、是の念を作さん、『我れ已に衆生に娯楽の具を施して、意に随い欲する所にせしも、然るに此の衆生、皆な已に衰老して、年八十を過ぎ、髪白く面皺み、将に死すること久しからざらんとす。我れ当に仏法を以て之を訓導すべし。』と。即ち此の衆生を集めて、法を宣布して化し、示教利喜せば、一時に皆な須陀洹道、斯陀含道、阿那含道、阿羅漢道を得、諸の有漏を尽くし、深禅定に於いて皆な自在を得、八解脱を具えん。汝が意に於いて云何、是の大施主の得る所の功徳、寧ろ多しと為すや否や。」 弥勒、仏に白して言さく、「世尊、是の人の功徳甚だ多く、無量無辺なり。若し是の施主、但だ衆生に一切の楽具を施すのみにても、功徳無量なり、何に況んや阿羅漢果を得しめんをや。」仏、弥勒に告げたまわく、「我れ今、分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以て、四百万億阿僧祇世界の六趣の衆生に施し、又た阿羅漢果を得しめて、得る所の功徳も、是の第五十の人の、法華経の一偈を聞きて随喜せる功徳に如かず、百分、千分、百千万億分にして、其の一にも及ばず、乃至、算数譬喩の知ること能わざる所なり。阿逸多、是くの如き第五十の人の、展転して法華経を聞きて随喜せる功徳すら、尚お無量無辺阿僧祇なり、何に況んや最初に会の中に於いて、聞きて随喜せる者は、其の福復た勝れて、無量無辺阿僧祇にして、比ぶることを得べからず。」
現代語訳
「もし四百万億阿僧祇の世界の六道四生の衆生、すなわち卵生、胎生、湿生、化生、形のあるもの、ないもの、想のあるもの、ないもの、想があるのでもないのでもないもの、足のないもの、二本足、四本足、多足のもの、このようなあらゆる生きものがいるとして、ある人が福を求めて、それぞれの望む娯楽の具をみなに与え、一人一人の衆生に、閻浮提に満ちるほどの金、銀、瑠璃、硨磲、瑪瑙、珊瑚、琥珀、さまざまな妙なる珍宝、そして象、馬、車、七宝でできた宮殿や楼閣などを与えるとします。この大施主がこのように八十年間布施をし終えて、こう思います。『私はすでに衆生に望むままの娯楽の具を施した。ところがこの衆生はみな衰え老いて、年は八十を過ぎ、髪は白く顔は皺だらけで、まもなく死ぬだろう。私は仏法によって彼らを導こう。』そこで衆生を集め、法を宣べて教え導き、示し、教え、利益を与え、喜ばせると、たちまちみな須陀洹の道、斯陀含の道、阿那含の道、阿羅漢の道を得て、すべての煩悩を尽くし、深い禅定でみな自在を得、八解脱をそなえます。あなたはどう思いますか。この大施主の得る功徳は多いでしょうか、そうではないでしょうか。」 弥勒は仏に申し上げました。「世尊、この人の功徳は非常に多く、量りなく果てしがありません。この施主がただ衆生にすべての楽しみの具を施しただけでも功徳は量りないのに、まして阿羅漢果を得させたのですから。」仏は弥勒に告げられました。「私はいま、はっきりとあなたに語りましょう。この人が、すべての楽しみの具を四百万億阿僧祇の世界の六道の衆生に施し、さらに阿羅漢果を得させて得る功徳も、第五十番目の人が法華経の一偈を聞いて随喜する功徳に及びません。百分、千分、百千万億分の一にも及ばず、数や譬えでは知ることができません。阿逸多よ、このように第五十番目の人が次々に伝え聞いて法華経を随喜する功徳でさえ、なお量りなく果てしないのです。まして、最初に法会の中で聞いて随喜した者の福は、さらにまさり、量りなく果てしなく、比べることができません。」
解説

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法華経・隨喜功德品第十八(4)若し人、法会に於いて、是の経典を聞くことを得、乃至、一偈なりとも、随喜して他の為に説き、是くの如く展転して教え、第五十に至らん。最後の人の獲る福、今、当に之を分別すべし。 大施主の、無量の衆に供給し、八十歳を具満して、意の欲する所に随うこと有らんが如し。彼の衰老の相、髪白く面皺み、歯疎に形枯竭せるを見て、其の死の久しからざるを念い、 我れ今、応当に教えて、道果を得しむべしと。即ち方便して、涅槃の真実の法を説かん、世は皆な牢固ならず、水の沫、泡、焔の如し、汝等、咸な応当に、疾く厭離の心を生ずべしと。 諸人、是の法を聞きて、皆な阿羅漢を得、六神通、三明、八解脱を具足せん。最後の第五十の、一偈を聞きて随喜せる、是の人の福は彼に勝ること、譬喩を為すべからず。 是くの如く展転して聞かば、其の福すら尚お無量なり、何に況んや法会に於いて、初めて聞きて随喜せん者をや。若し一人に勧めて、引き将いて法華を聴かしめ、此の経は深妙にして、千万劫にも遇い難しと言い、 即ち教えを受けて往きて聴き、乃至、須臾も聞かば、斯の人の福報、今、当に分別して説くべし。世世に口患無く、歯は疎、黄、黒ならず、唇は厚、褰、欠ならず、悪む可き相有ること無く、 舌は乾、黒、短ならず、鼻は高く修く且つ直く、額は広くして平正に、面目悉く端厳にして、人の喜び見る所となり、口気は臭穢無く、優鉢華の香、当に其の口より出づべし。 若し故に僧坊に詣でて、法華経を聴かんと欲し、須臾も聞きて歓喜せば、今、当に其の福を説くべし。後に天人の中に生まれて、妙なる象馬車、珍宝の輦輿を得、及び天の宮殿に乗ぜん。 若し講法の処に於いて、人に勧めて坐して経を聴かしめば、是の福の因縁にて、釈、梵、転輪の座を得ん。何に況んや一心に聴き、其の義趣を解説し、説の如く修行せんをや、其の福は量るべからず。
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