法華経 / 從地湧出品第十五(3)
爾時世尊、於菩薩大眾中而作是言:「如是、如是,諸善男子,如來安樂,少病、少惱,諸眾生等,易可化度,無有疲勞。所以者何。是諸眾生,世世已來、常受我化,亦於過去諸佛、恭敬尊重,種諸善根。此諸眾生,始見我身,聞我所說,即皆信受、入如來慧。除先修習、學小乘者,如是之人,我今亦令得聞是經,入於佛慧。」爾時諸大菩薩而說偈言: 善哉善哉,大雄世尊,諸眾生等,易可化度。能問諸佛,甚深智慧,聞已信行,我等隨喜。 於時世尊讚歎上首諸大菩薩:「善哉、善哉,善男子,汝等能於如來、發隨喜心。」爾時彌勒菩薩及八千恒河沙諸菩薩眾、皆作是念:「我等從昔已來,不見不聞如是大菩薩摩訶薩眾、從地湧出,住世尊前,合掌、供養,問訊如來。」 時彌勒菩薩摩訶薩、知八千恒河沙諸菩薩等、心之所念,並欲自決所疑,合掌向佛,以偈問曰:
新字:爾時世尊、於菩薩大衆中而作是言:「如是、如是,諸善男子,如来安楽,少病、少悩,諸衆生等,易可化度,無有疲労。所以者何。是諸衆生,世世已来、常受我化,亦於過去諸仏、恭敬尊重,種諸善根。此諸衆生,始見我身,聞我所説,即皆信受、入如来慧。除先修習、学小乗者,如是之人,我今亦令得聞是経,入於仏慧。」爾時諸大菩薩而説偈言: 善哉善哉,大雄世尊,諸衆生等,易可化度。能問諸仏,甚深智慧,聞已信行,我等随喜。 於時世尊讃嘆上首諸大菩薩:「善哉、善哉,善男子,汝等能於如来、発随喜心。」爾時弥勒菩薩及八千恒河沙諸菩薩衆、皆作是念:「我等従昔已来,不見不聞如是大菩薩摩訶薩衆、従地湧出,住世尊前,合掌、供養,問訊如来。」 時弥勒菩薩摩訶薩、知八千恒河沙諸菩薩等、心之所念,並欲自決所疑,合掌向仏,以偈問曰:
書き下し
爾の時、世尊は、菩薩大衆の中に於いて是の言を作したまわく、「是の如し、是の如し。諸の善男子よ、如来は安楽にして、少病少悩なり。諸の衆生等は、化度すべきこと易くして、疲労有ること無し。所以は何ん。是の諸の衆生は、世世已来、常に我が化を受け、亦た過去の諸仏に於いて、恭敬し尊重して、諸の善根を種えたり。此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が所説を聞きて、即ち皆信受して、如来の慧に入る。先に修習して小乗を学べる者を除く。是の如き人も、我れ今亦た是の経を聞くことを得しめて、仏慧に入らしめん」と。爾の時、諸の大菩薩、偈を説いて言わく、 善いかな善いかな、大雄世尊よ。諸の衆生等は、化度すべきこと易し。能く諸仏の、甚深の智慧を問い、聞き已りて信じ行ず。我等は随喜す。 時に世尊、上首の諸の大菩薩を讃歎したまわく、「善いかな、善いかな、善男子よ。汝等は能く如来に於いて、随喜の心を発せり」と。爾の時、弥勒菩薩、及び八千恒河沙の諸の菩薩衆は、皆是の念を作さく、「我等は昔より已来、是の如き大菩薩摩訶薩衆の、地より湧出し、世尊の前に住して、合掌し供養して、如来に問訊するを、見ず聞かず」と。 時に弥勒菩薩摩訶薩は、八千恒河沙の諸の菩薩等の心に念ずる所を知り、並びに自ら所疑を決せんと欲して、合掌して仏に向かい、偈を以て問いて曰く、
現代語訳
そのとき世尊は、菩薩の大衆の中でこう言われました。「そのとおりです、そのとおりです。善男子たちよ、如来は安楽で、病や悩みは少なく、人々は教え導きやすく、疲れることもありません。なぜなら、これらの人々は、幾世にもわたって常に私の教化を受け、また過去の諸仏にも恭敬し尊重して、善い根を植えてきたからです。この人々は、初めて私の身を見、私の説くことを聞いただけで、すぐに信じて受け入れ、如来の智慧に入ります。ただし、以前から小乗を学んでいる者は除きます。そのような人にも、今私はこの経を聞かせ、仏の智慧に入らせましょう」と。そのとき諸の大菩薩は偈を説いて言いました。 すばらしいことです、大雄世尊よ。人々は教え導きやすいのですね。諸仏の深い智慧をよく問い、聞いて信じ行ずる人々です。私たちは随喜します。 そのとき世尊は、上首の大菩薩たちを讃えられました。「すばらしい、善男子たちよ。あなたたちは如来に対して、随喜の心を起こしました」と。そのとき弥勒菩薩と、八千のガンジス川の砂ほどの数の菩薩たちはみな、こう思いました。「私たちは昔から今まで、このような大菩薩たちが地から湧き出し、世尊の前に立ち、合掌して供養し、如来にお見舞いを述べるのを、見たことも聞いたこともない」と。 そのとき弥勒菩薩摩訶薩は、八千のガンジス川の砂ほどの菩薩たちが心に思うことを知り、自分の疑いも解決したいと思って、合掌して仏に向かい、偈で問いました。
解説

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法華経・從地湧出品第十五(9)仏は昔、釈種より出家して、伽耶に近き、菩提樹に坐したまえり。爾しより来、尚お未だ久しからず。此の諸の仏子等は、其の数量るべからず。久しく已に仏道を行じ、神通力に住す。 善く菩薩の道を学び、世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し。地より湧出して、皆恭敬の心を起こし、世尊の前に住せり。是の事は思議し難し。云何ぞ信ずべけんや。 仏の得道は甚だ近く、成就したまう所は甚だ多し。願わくは衆の疑いを除くために、実の如く分別して説きたまえ。譬えば少壮の人の、年始めて二十五なるが、人に百歳の子を示すに、髪白くして面皺あり、 是れ等は我が所生なり、子も亦た是れを父と説かんに、父は少くして子は老ゆ。世を挙げて信ぜざる所なり。世尊も亦た是の如し。道を得たまいてより来、甚だ近し。是の諸の菩薩等は、志は固くして怯弱無く、 無量劫より来、菩薩の道を行じ、難問答に巧みにして、其の心に畏るる所無し。忍辱の心は決定し、端正にして威徳有り、十方の仏の讃めたもう所、善く能く分別して説く。 人の衆に在るを楽わず、常に禅定に在るを好む。仏道を求めんが為の故に、下の空の中に住せり。我等は仏より聞きて、此の事に於いて疑い無し。願わくは仏、未来の為に、演説して開解せしめたまえ。 若し此の経に於いて、疑いを生じ信ぜざる者有らば、即ち当に悪道に堕つべし。願わくは今解説したまえ。是の無量の菩薩は、云何ぞ少時に於いて、教化して発心せしめ、不退の地に住せしめたまいしや。
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