法華経 / 如來壽量品第十六(7)
我此土安隱,天人常充滿。園林諸堂閣,種種寶莊嚴,寶樹多花果,眾生所遊樂。諸天擊天鼓,常作眾伎樂, 雨曼陀羅花,散佛及大眾。我淨土不毀,而眾見燒盡,憂怖諸苦惱,如是悉充滿。是諸罪眾生,以惡業因緣, 過阿僧祇劫,不聞三寶名。諸有修功德,柔和質直者,則皆見我身,在此而說法。或時為此眾,說佛壽無量, 久乃見佛者,為說佛難值。我智力如是,慧光照無量,壽命無數劫,久修業所得。汝等有智者,勿於此生疑, 當斷令永盡,佛語實不虛。如醫善方便,為治狂子故,實在而言死,無能說虛妄。我亦為世父,救諸苦患者, 為凡夫顛倒,實在而言滅。以常見我故,而生憍恣心,放逸著五欲,墮於惡道中。我常知眾生,行道不行道, 隨所應可度,為說種種法。每自作是意,以何令眾生,得入無上惠,速成就佛身。
新字:我此土安隠,天人常充満。園林諸堂閣,種種宝荘厳,宝樹多花果,衆生所遊楽。諸天撃天鼓,常作衆伎楽, 雨曼陀羅花,散仏及大衆。我浄土不毀,而衆見焼尽,憂怖諸苦悩,如是悉充満。是諸罪衆生,以悪業因縁, 過阿僧祇劫,不聞三宝名。諸有修功徳,柔和質直者,則皆見我身,在此而説法。或時為此衆,説仏寿無量, 久乃見仏者,為説仏難値。我智力如是,慧光照無量,寿命無数劫,久修業所得。汝等有智者,勿於此生疑, 当断令永尽,仏語実不虚。如医善方便,為治狂子故,実在而言死,無能説虚妄。我亦為世父,救諸苦患者, 為凡夫顛倒,実在而言滅。以常見我故,而生憍恣心,放逸著五欲,堕於悪道中。我常知衆生,行道不行道, 随所応可度,為説種種法。毎自作是意,以何令衆生,得入無上恵,速成就仏身。
書き下し
我が此の土は安穏にして、天・人常に充満せり。園林・諸の堂閣、種種の宝もて荘厳し、宝樹に花果多くして、衆生の遊楽する所なり。諸天は天鼓を撃ちて、常に衆の伎楽を作し、曼陀羅華を雨らして、仏及び大衆に散ず。 我が浄土は毀れざるに、而も衆は焼け尽くと見、憂怖の諸の苦悩、是の如く悉く充満せり。是の諸の罪の衆生は、悪業の因縁を以て、阿僧祇劫を過ぐれども、三宝の名を聞かず。 諸の功徳を修め、柔和質直なる者有らば、則ち皆我が身の、此に在りて法を説くを見る。或る時は此の衆の為に、仏寿無量なりと説き、久しくして乃ち仏を見る者には、為に仏は値い難しと説く。 我が智力は是の如く、慧光は無量を照らし、寿命は無数劫なり。久しく業を修して得る所なり。汝等有智の者は、此に於いて疑いを生ずること勿れ。当に断じて永く尽きしむべし。仏語は実にして虚ならず。 医の善き方便をもって、狂子を治せんが為の故に、実には在るに而も死すと言うに、能く虚妄を説くもの無きが如し。我れも亦た為れ世の父として、諸の苦患を救う者なり。凡夫の顛倒せるが為に、実には在るに而も滅すと言う。 常に我れを見るを以ての故に、而も憍恣の心を生じ、放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕せん。我れ常に衆生の、道を行ずると、道を行ぜざるとを知り、度すべき所に随いて、為に種種の法を説く。 毎に自ら是の意を作す、何を以てか衆生をして、無上の慧に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと。
現代語訳
私のこの国土は安らかで、天人が常に満ちています。園や林、堂や楼閣は、さまざまな宝で飾られ、宝樹には花や実が多くなり、衆生が遊び楽しむところです。諸天は天の鼓を打ち、常に多くの楽を奏で、曼陀羅華を降らして、仏と大衆の上に散らします。 私の浄土は壊れていないのに、人々は焼け尽きると見て、憂いや恐れ、さまざまな苦悩がこのように満ちています。こうした罪ある衆生は、悪い行いの因縁によって、阿僧祇劫を過ぎても、三宝の名を聞きません。 もろもろの功徳を修め、柔和で素直な者は、みな私の身がここにあって法を説いているのを見ます。ある時はこの人々のために、仏の寿命は無量であると説き、久しくしてようやく仏を見る者には、仏には出会い難いと説きます。 私の智慧の力はこのようで、智慧の光は無量の世界を照らし、寿命は無数の劫に及びます。長い修行によって得たものです。智慧あるあなたたちは、これについて疑いを生じてはなりません。疑いを断って永く尽きさせなさい。仏のことばは真実で偽りではありません。 医者が巧みな方便によって、狂った子どもを治すために、実際には生きているのに死んだと言っても、その医者を虚妄を説くとは誰も言えないのと同じです。私もまた世の父であり、さまざまな苦しみを救う者です。凡夫が逆さまの見方をしているために、実際にはいるのに滅したと言います。 常に私を見ているなら、おごりの心を生じ、放逸になって五欲に執着し、悪道の中に堕ちるでしょう。私は常に、衆生が道を行じているか否かを知り、救うのにふさわしい形に従って、種々の法を説きます。いつも自分でこう思っています。どのようにすれば、衆生を無上の智慧に入らせ、速やかに仏の身を成就させられるだろう、と。
解説

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