法華経 / 如來壽量品第十六(6)
自我得佛來,所經諸劫數。無量百千萬,億載阿僧祇,常說法教化,無數億眾生。令入於佛道,爾來無量劫, 為度眾生故,方便現涅槃。而實不滅度,常住此說法,我常住於此,以諸神通力。令顛倒眾生,雖近而不見, 眾見我滅度,廣供養舍利。咸皆懷戀慕,而生渴仰心,眾生既信伏,質直意柔軟。一心欲見佛,不自惜身命, 時我及眾僧,俱出靈鷲山。我時語眾生,常在此不滅,以方便力故,現有滅不滅。餘國有眾生,恭敬信樂者, 我復於彼中,為說無上法。汝等不聞此,但謂我滅度,我見諸眾生,沒在於苦惱。故不為現身,令其生渴仰, 因其心戀慕,乃出為說法。神通力如是,於阿僧祇劫,常在靈鷲山,及餘諸住處。眾生見劫盡,大火所燒時,
新字:自我得仏来,所経諸劫数。無量百千万,億載阿僧祇,常説法教化,無数億衆生。令入於仏道,爾来無量劫, 為度衆生故,方便現涅槃。而実不滅度,常住此説法,我常住於此,以諸神通力。令顛倒衆生,雖近而不見, 衆見我滅度,広供養舎利。咸皆懐恋慕,而生渇仰心,衆生既信伏,質直意柔軟。一心欲見仏,不自惜身命, 時我及衆僧,倶出霊鷲山。我時語衆生,常在此不滅,以方便力故,現有滅不滅。余国有衆生,恭敬信楽者, 我復於彼中,為説無上法。汝等不聞此,但謂我滅度,我見諸衆生,没在於苦悩。故不為現身,令其生渇仰, 因其心恋慕,乃出為説法。神通力如是,於阿僧祇劫,常在霊鷲山,及余諸住処。衆生見劫尽,大火所焼時,
書き下し
自ら我れ仏を得てより来、経たる所の諸の劫数は、無量百千万、億載阿僧祇なり。常に法を説き教化して、無数億の衆生をして、仏道に入らしむ。爾しより来、無量劫なり。 衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く。我れ常に此に住すれども、諸の神通力を以て、顛倒の衆生をして、近しと雖も而も見ざらしむ。 衆は我が滅度を見て、広く舎利を供養し、咸く皆恋慕を懐きて、渇仰の心を生ず。衆生既に信伏し、質直にして意柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず。 時に我れ及び衆僧、倶に霊鷲山に出ず。我れ時に衆生に語る、常に此に在りて滅せずと。方便力を以ての故に、滅不滅有ることを現ず。余国に衆生の、恭敬し信楽する者有らば、 我れ復た彼の中に於いて、為に無上の法を説く。汝等は此れを聞かず、但だ我れ滅度すと謂えり。我れ諸の衆生を見るに、苦悩に没在せり。故に為に身を現ぜず、其れをして渇仰を生ぜしむ。 其の心の恋慕するに因りて、乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し、阿僧祇劫に於いて、常に霊鷲山、及び余の諸の住処に在り。衆生は劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、
現代語訳
私が仏となってから経た劫の数は、無量百千万億載阿僧祇です。常に法を説いて教え導き、無数億の衆生を仏道に入らせてきました。それからの時間は無量の劫です。 衆生を救うために、方便として涅槃を示しますが、実際には滅度せず、常にここにいて法を説いています。私は常にここにいても、さまざまな神通力によって、逆さまの見方をしている衆生には、近くにいても見えないようにしています。 人々は私が滅度するのを見て、広く舎利を供養し、みな恋い慕う心を抱き、渇き仰ぐ心を生じます。衆生がすでに信じ従い、素直で心が柔らかくなり、一心に仏にお会いしたいと願い、自分の身命を惜しまなくなったとき、そのとき私と僧たちは、ともに霊鷲山に現れます。そのとき私は衆生に語ります。私は常にここにいて滅しない、と。方便の力によって、滅するあり方と滅しないあり方を示しているのです。他の国で衆生が恭敬し、信じ楽しむなら、私はまたそこで無上の法を説きます。あなたたちはこれを聞かず、ただ私が滅度したと思っています。 私は衆生を見ると、苦悩に沈んでいます。だからあえて身を現さず、渇き仰ぐ心を生じさせます。その心が恋い慕うのに応じて、現れて法を説きます。神通力はこのとおりで、阿僧祇劫のあいだ、常に霊鷲山とそのほかの住処にいます。衆生が劫の終わりに、大火に焼かれると見るときにも、
解説

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法華経・如來壽量品第十六(3)「諸の善男子よ、如来の演べたもう所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或いは己身を説き、或いは他身を説き、或いは己身を示し、或いは他身を示し、或いは己事を示し、或いは他事を示す。諸の言説する所は、皆実にして虚ならず。所以は何ん。如来は如実に三界の相を知見し、生死、若しは退、若しは出有ること無く、亦た在世、及び滅度の者無し。実に非ず虚に非ず、如に非ず異に非ず。三界の三界を見るが如くならず。斯の如き事を、如来は明らかに見て、錯謬有ること無し。諸の衆生に種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁・譬喩・言辞を以て、種種に法を説き、作す所の仏事は、未だ曽て暫くも廃せず。是の如く、我れ成仏してより已来、甚だ大いに久遠にして、寿命は無量阿僧祇劫なり、常住にして滅せず。」 「諸の善男子よ、我れ本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今猶お未だ尽きず、復た上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非ずして、便ち当に滅度を取るべしと唱言す。如来は是の方便を以て、衆生を教化す。所以は何ん。若し仏、久しく世に住すれば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賤にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入らん。若し如来の常に在して滅せざるを見ば、便ち憍恣を起こして、厭怠を懐き、難遭の想い、恭敬の心を生ずること能わず。是の故に如来は方便を以て説く、『比丘よ、当に知るべし、諸仏の出世は、値遇すべきこと難し』と。所以は何ん。諸の薄徳の人は、無量百千万億劫を過ぎて、或いは仏を見る有り、或いは見ざる者有ればなり。此の事を以ての故に、我れ是の言を作す、『諸の比丘よ、如来は見ることを得べきこと難し』と。斯の衆生等は、是の如き語を聞かば、必ず当に難遭の想いを生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰し、便ち善根を種えん。是の故に如来は、実には滅せずと雖も、而も滅度すと言う。」
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法華経・如來壽量品第十六(2)爾の時、仏、大菩薩衆に告げたまわく、「諸の善男子よ、今当に分明に汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著けたると及び著けざるとを、尽く以て塵と為し、一塵を一劫とせん。我れ成仏してより已来、復た此れに過ぐること百千万億那由他阿僧祇劫なり。是れより来、我れ常に此の娑婆世界に在りて説法教化し、亦た余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於いても、衆生を導利す。」 「諸の善男子よ、是の中間に於いて、我れ燃灯仏等を説き、又復た其の涅槃に入るを言うも、是の如きは皆方便を以て分別せるなり。諸の善男子よ、若し衆生有りて、我が所に来至すれば、我れ仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じ、度すべき所に随いて、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦た復た現じて当に涅槃に入るべしと言い、又た種種の方便を以て、微妙の法を説き、能く衆生をして歓喜の心を発さしむ。諸の善男子よ、如来は諸の衆生の、小法を楽い、徳薄く垢重き者を見ては、是の人の為に、我れ少くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我れ実に成仏してより已来、久遠なること斯くの若し。但だ方便を以て、衆生を教化し、仏道に入らしめんとて、是の如き説を作す。」
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法華経・如來壽量品第十六(7)我が此の土は安穏にして、天・人常に充満せり。園林・諸の堂閣、種種の宝もて荘厳し、宝樹に花果多くして、衆生の遊楽する所なり。諸天は天鼓を撃ちて、常に衆の伎楽を作し、曼陀羅華を雨らして、仏及び大衆に散ず。 我が浄土は毀れざるに、而も衆は焼け尽くと見、憂怖の諸の苦悩、是の如く悉く充満せり。是の諸の罪の衆生は、悪業の因縁を以て、阿僧祇劫を過ぐれども、三宝の名を聞かず。 諸の功徳を修め、柔和質直なる者有らば、則ち皆我が身の、此に在りて法を説くを見る。或る時は此の衆の為に、仏寿無量なりと説き、久しくして乃ち仏を見る者には、為に仏は値い難しと説く。 我が智力は是の如く、慧光は無量を照らし、寿命は無数劫なり。久しく業を修して得る所なり。汝等有智の者は、此に於いて疑いを生ずること勿れ。当に断じて永く尽きしむべし。仏語は実にして虚ならず。 医の善き方便をもって、狂子を治せんが為の故に、実には在るに而も死すと言うに、能く虚妄を説くもの無きが如し。我れも亦た為れ世の父として、諸の苦患を救う者なり。凡夫の顛倒せるが為に、実には在るに而も滅すと言う。 常に我れを見るを以ての故に、而も憍恣の心を生じ、放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕せん。我れ常に衆生の、道を行ずると、道を行ぜざるとを知り、度すべき所に随いて、為に種種の法を説く。 毎に自ら是の意を作す、何を以てか衆生をして、無上の慧に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと。
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法華経・方便品第二(10)終に小乗をもって、衆生を済度せず。仏、自ら大乗に住し、其の得たまえる所の法の如く、 定慧の力をもって荘厳し、此れを以て衆生を度す。自ら無上道、大乗平等の法を証し、 若し小乗をもって化すること、乃至一人にもせば、我れ則ち慳貪に堕さん、此の事は不可なり。 若し人、信じて仏に帰すれば、如来は欺誑せず、亦た貪嫉の意も無く、諸法の中の悪を断ず。 故に仏は十方に於いて、独り畏るる所無し。我れ相をもって身を厳り、光明、世間を照らす。 無量の衆に尊ばるる所にして、為に実相の印を説く。舎利弗当に知るべし、我れ本と誓願を立てて、 一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す。我が昔の願の如きは、今者已に満足せり、 一切の衆生を化して、皆な仏道に入らしむ。若し我れ衆生に遇わば、尽く教うるに仏道をもってすれども、 無智の者は錯乱して、迷惑して教えを受けず。我れ此の衆生の、未だ曾て善本を修せず、 堅く五欲に著し、癡愛の故に悩みを生ずるを知る。諸欲の因縁をもって、三悪道に墜堕し、 六趣の中に輪廻して、備に諸の苦毒を受く。胎に受けたる微形は、世世に常に増長し、 薄徳少福の人は、衆苦に逼迫せられ、邪見の稠林に入り、有若しは無等と、 此の諸見に依止して、六十二を具足す。深く虚妄の法に著し、堅く受けて捨つべからず、 我慢自ら矜高に、諂曲にして心不実なり。千万億劫に於いて、仏の名字を聞かず、 亦た正法を聞かず。是くの如き人は度し難し。是の故に舎利弗、我れ為に方便を設け、 諸の苦を尽くす道を説き、之に示すに涅槃をもってす。我れ涅槃を説くと雖も、是れも亦た真の滅に非ず、 諸法は本より来、常に自ら寂滅の相なり。仏子、道を行じ已りて、来世に作仏することを得ん。 我に方便力有り、三乗の法を開示す。一切の諸の世尊は、皆な一乗の道を説きたもう。 今、此の諸の大衆は、皆な応に疑惑を除くべし。諸仏の語は異なること無く、唯だ一にして二乗無し。 過去の無数劫、無量の滅度の仏、百千万億種にして、其の数、量るべからず。
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法華経・化城喻品第七(12)「諸の比丘、我等沙弥為りし時、各各無量百千万億恒河沙等の衆生を教化し、我より法を聞きて、阿耨多羅三藐三菩提の為にせしむ。此の諸の衆生、今に於て声聞地に住する者有り、我常に阿耨多羅三藐三菩提を教化す。是の諸人等は、応に是の法を以て、漸く仏道に入るべし。所以は何ん。如来の智慧は信じ難く解し難ければなり。爾の時、化する所の無量恒河沙等の衆生とは、汝等諸の比丘、及び我が滅度の後の未来世の中の声聞の弟子、是れなり。我が滅度の後、復弟子有りて、是の経を聞かず、菩薩の所行を知らず覚らずして、自ら所得の功徳に於て、滅度の想を生じ、当に涅槃に入るべし。我、余国に於て作仏し、更に異名有らん。是の人、滅度の想を生じ、涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て、仏の智慧を求め、是の経を聞くことを得て、惟だ仏乗を以てのみ滅度を得、更に余乗無し。諸の如来の方便説法を除く。」 「諸の比丘、若し如来、自ら涅槃の時到り、衆又清浄にして、信解堅固に、空の法を了達し、深く禅定に入ると知れば、便ち諸の菩薩及び声聞衆を集めて、為に是の経を説く。世間に二乗にして滅度を得ること有ること無し。惟だ一仏乗にして滅度を得るのみ。比丘当に知るべし、如来の方便は、深く衆生の性に入る。其の小法を志楽し、深く五欲に著するが如きは、是れ等の為の故に、涅槃を説く。是の人若し聞かば、則ち便ち信受す。」
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法華経・方便品第二(2)世雄は量るべからず、諸天及び世人、一切衆生の類、能く仏を知る者無し。 仏の力、無所畏、解脱、諸の三昧、及び仏の諸の余の法、能く測量する者無し。 本と無数の仏に従いて、具足して諸の道を行じ、甚深微妙の法は、見難く了すべきこと難し。 無量億劫に於いて、此の諸の道を行じ已りて、道場に果を成ずることを得、我れ已に悉く知見せり。 是くの如き大果報、種種の性相の義は、我れ及び十方の仏のみ、乃ち能く是の事を知る。 是の法は示すべからず、言辞の相寂滅す。諸余の衆生の類は、能く解することを得る者有ること無し、 諸の菩薩衆の、信力堅固なる者を除く。諸仏の弟子衆の、曾て諸仏を供養し、 一切の漏已に尽き、是の最後身に住せる、是くの如き諸人等も、其の力の堪えざる所なり。 仮使い世間に満てるもの、皆な舎利弗の如くにして、尽く思いて共に度量するも、仏智を測ること能わじ。 正使い十方に満てるもの、皆な舎利弗の如く、及び余の諸の弟子も、亦た十方の刹に満ちて、 尽く思いて共に度量するも、亦復た知ること能わじ。辟支仏の利智、無漏の最後身も、 亦た十方界に満ちて、其の数、竹林の如くならんも、斯れ等、一心を共にして、億無量劫に於いて、 仏の実智を思わんと欲するも、少分をも知ること能わじ。新発意の菩薩の、無数の仏を供養し、 諸の義趣を了達し、又た能く善く法を説くもの、稲・麻・竹・葦の如く、十方の刹に充満し、 一心に妙智を以て、恒河沙劫に於いて、咸な皆な共に思量するも、仏智を知ること能わじ。 不退の諸の菩薩の、其の数恒沙の如く、一心に共に思い求むるも、亦復た知ること能わじ。 又た舎利弗に告ぐ、無漏不思議の、甚深微妙の法を、我れ今已に具に得たり、 唯だ我のみ是の相を知る、十方の仏も亦た然り。舎利弗当に知るべし、諸仏の語は異なること無し、 仏の所説の法に於いて、当に大信力を生ずべし。世尊の法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし。 諸の声聞衆、及び縁覚乗を求むる者に告ぐ、我れ苦縛を脱して、涅槃を逮得せしむる者は、 仏は方便力を以て、三乗の教を示す。衆生処処に著するを、之を引きて出ずることを得しむ。