法華経 / 藥草喻品第五(3)
破有法王、出現世間,隨眾生欲,種種說法。如來尊重,智慧深遠,久默斯要,不務速說。 有智若聞,則能信解,無智疑悔,則為永失。是故迦葉,隨力為說,以種種緣、令得正見。 迦葉當知,譬如大雲,起於世間,遍覆一切,慧雲含潤,電光晃曜,雷聲遠震,令眾悅豫。 日光掩蔽,地上清涼,靉靆垂布、如可承攬。其雨普等,四方俱下,流澍無量,率土充洽。 山川險谷、幽邃所生,卉木藥草,大小諸樹,百穀苗稼,甘蔗葡萄,雨之所潤,無不豐足, 乾地普洽,藥木並茂。其雲所出,一味之水,草木叢林,隨分受潤。一切諸樹,上中下等, 稱其大小,各得生長,根莖枝葉,華果光色,一雨所及,皆得鮮澤。如其體相、性分大小, 所潤是一,而各滋茂。佛亦如是,出現於世,譬如大雲、普覆一切。既出於世,為諸眾生、 分別演說、諸法之實。大聖世尊,於諸天人、一切眾中、而宣是言,我為如來,兩足之尊,
新字:破有法王、出現世間,随衆生欲,種種説法。如来尊重,智慧深遠,久黙斯要,不務速説。 有智若聞,則能信解,無智疑悔,則為永失。是故迦葉,随力為説,以種種縁、令得正見。 迦葉当知,譬如大雲,起於世間,遍覆一切,慧雲含潤,電光晃曜,雷声遠震,令衆悦予。 日光掩蔽,地上清涼,靉靆垂布、如可承攬。其雨普等,四方倶下,流澍無量,率土充洽。 山川険谷、幽邃所生,卉木薬草,大小諸樹,百穀苗稼,甘蔗葡萄,雨之所潤,無不豊足, 乾地普洽,薬木並茂。其雲所出,一味之水,草木叢林,随分受潤。一切諸樹,上中下等, 称其大小,各得生長,根茎枝葉,華果光色,一雨所及,皆得鮮沢。如其体相、性分大小, 所潤是一,而各滋茂。仏亦如是,出現於世,譬如大雲、普覆一切。既出於世,為諸衆生、 分別演説、諸法之実。大聖世尊,於諸天人、一切衆中、而宣是言,我為如来,両足之尊,
書き下し
有を破る法王、世間に出現して、衆生の欲に随い、種種に法を説く。如来は尊重にして、智慧深遠なり、久しく斯の要を黙して、速やかに説くことを務めず。 智有らば若し聞かば、則ち能く信解し、智無きは疑悔して、則ち為れ永く失う。是の故に迦葉、力に随いて為に説き、種種の縁を以て、正見を得しむ。 迦葉、当に知るべし、譬えば大雲の、世間に起り、遍く一切を覆うが如し、慧雲は潤いを含み、電光は晃曜し、雷声は遠く震い、衆をして悦豫せしむ。 日光は掩蔽せられ、地上は清涼にして、靉靆と垂れ布き、承け攬るべきが如し。其の雨は普く等しく、四方に俱に下り、流れ澍ぐこと無量にして、率土充ち洽う。 山川険谷の、幽邃に生ずる所の、卉木薬草、大小の諸樹、百穀の苗稼、甘蔗葡萄、雨の潤す所、豊足せざる無し、 乾ける地は普く洽い、薬木並びに茂る。其の雲の出す所の、一味の水を、草木叢林、分に随いて潤いを受く。一切の諸樹、上中下等、 其の大小に称いて、各生長することを得、根茎枝葉、華果の光色、一雨の及ぶ所、皆鮮沢を得。其の体相、性分の大小の如く、 潤う所は是れ一なれども、而も各滋茂す。仏も亦是くの如し、世に出現すること、譬えば大雲の、普く一切を覆うが如し。既に世に出でて、諸の衆生の為に、 諸法の実を分別し演説す。大聖世尊、諸の天人、一切衆の中に於て、是の言を宣ぶ、我は如来、両足の尊為り、
現代語訳
有を破る法の王が、世間に現れ、人々の願いに従って、さまざまに法を説きます。如来は尊く重く、智慧は深く遠く、この肝心なところを長く黙して、急いで説くことに努めません。智慧のある者が聞けば信じて理解できますが、智慧のない者は疑い悔いて、永く失うことになります。だから迦葉よ、力に応じて説き、さまざまな縁によって、正しい見方を得させるのです。 迦葉よ、知りなさい。たとえば大雲が世間に起こり、あまねく一切を覆うようなものです。智慧の雲は潤いを含み、稲妻は輝き、雷の音は遠くまで震えて、人々を喜ばせます。日の光は覆い隠され、地上は涼しくなり、雲は低く垂れ込めて手に受け止められそうです。その雨はあまねく等しく、四方に一斉に降り、量りなく注いで、大地の隅々まで潤います。山や川、険しい谷、奥深い所に生える草木や薬草、大小さまざまな樹、あらゆる穀物の苗、サトウキビやブドウまで、雨に潤されて豊かに足りないものはありません。乾いた地はあまねく潤い、薬になる木々もそろって茂ります。その雲が出す同じ味の水を、草木や林は、それぞれの分に応じて受けます。すべての樹は上中下の違いがあり、それぞれの大小に応じて育ち、根、茎、枝、葉、花や実の色つやも、ひとつの雨が及ぶだけで、みな鮮やかに潤います。それぞれの体の形や性質の大小に応じ、潤うものは同じなのに、各々が栄えます。仏もまたこのとおり、世に現れるのは大雲があまねく一切を覆うようなものです。世に出られて、人々のために、諸法の真実を分けて説かれます。大聖世尊は、天人の一切の衆の中でこう宣べられます。私は如来、二本足の者の中で最も尊い者である、と。
解説

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法華経・藥草喻品第五(4)世間に出でて、猶お大雲の、一切を充潤するが如し、枯槁の衆生をば、皆苦を離れしめ、安穏の楽、世間の楽、及び涅槃の楽を得しむ。 諸の天人衆、一心に善く聴け、皆応に此に到りて、無上尊に覲うべし。我は世尊為り、能く及ぶ者無し、衆生を安穏にせんが故に、世に現ず、 大衆の為に、甘露の浄法を説く。其の法は一味にして、解脱涅槃なり、一妙音を以て、斯の義を演暢し、常に大乗の為に、因縁を作す。 我、一切を観るに、普く皆平等にして、彼此、愛憎の心有ること無し。我、貪著無く、亦た限礙無し、恒に一切の為に、平等に法を説く、 一人の為にするが如く、衆多にも亦然り。常に法を演説して、曾て他事無し、去来坐立、終に疲厭せず、世間に充足すること、雨の普く潤すが如し。 貴賤上下、持戒毀戒、威儀具足、及び具足せざる、正見邪見、利根鈍根にも、等しく法雨を雨ふらして、懈倦無し。 一切衆生の、我が法を聞く者は、力の受くる所に随いて、諸地に住す。或いは人天、転輪聖王、釈梵諸王に処するは、是れ小薬草なり。 無漏の法を知り、能く涅槃を得、六神通を起し、及び三明を得、独り山林に処して、常に禅定を行じ、縁覚の証を得るは、是れ中薬草なり。 世尊の処を求め、我当に作仏すべしとて、精進定を行ずるは、是れ上薬草なり。又、諸の仏子、専ら仏道に心を専らにし、常に慈悲を行じ、自ら作仏することを知り、
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法華経・藥草喻品第五(5)決定して疑い無きは、是れを小樹と名づく。神通に安住し、不退の輪を転じ、無量億、百千の衆生を度するは、是くの如き菩薩を、名づけて大樹と為す。 仏の平等に説きたもうこと、一味の雨の如し、衆生の性に随いて、受くる所不同なること、彼の草木の、稟くる所各異なるが如し、仏は此の喩を以て、方便して開示したもう、 種種の言辞をもて、一法を演説したもうも、仏の智慧に於ては、海の一滴の如し。我、法雨を雨ふらして、世間に充満し、一味の法を、力に随いて修行すること、 彼の叢林、薬草諸樹の、其の大小に随いて、漸く増して茂り好きが如し。諸仏の法は、常に一味を以て、諸の世間をして、普く具足を得しめ、 漸次に修行して、皆道果を得しむ。声聞縁覚の、山林に処し、最後身に住して、法を聞きて果を得るは、是れを薬草と名づけ、各増長することを得。 若し諸の菩薩の、智慧堅固にして、三界を了達し、最上乗を求むるは、是れを小樹と名づけて、増長することを得。復た禅に住して、神通力を得、 諸法の空なるを聞きて、心大いに歓喜し、無数の光を放ちて、諸の衆生を度するは、是れを大樹と名づけて、増長することを得。是くの如く迦葉、仏の説く所の法は、 譬えば大雲の、一味の雨を以て、人華を潤し、各実を成ずることを得しむるが如し。迦葉、当に知るべし、諸の因縁、種種の譬喩を以て、仏道を開示するは、 是れ我が方便なり、諸仏も亦然り。今、汝等の為に、最も実なる事を説く、諸の声聞衆は、皆滅度に非ず、汝等が行ずる所は、是れ菩薩道なり、 漸漸に修学して、悉く当に成仏すべし。
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法華経・法師品第十(6)爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 諸の懈怠を捨てんと欲せば、応当に此の経を聴くべし。是の経は聞くことを得難く、信受する者も亦た難し。人の渇して水を需め、高原に窄鑿するに、猶お乾燥の土を見て、水を去ること尚お遠きを知り、 漸く湿土の泥を見て、決定して水に近きを知るが如し。藥王、汝当に知るべし、是の如き諸人等は、法華経を聞かざれば、仏智を去ること甚だ遠し。若し是の深経を聞かば、声聞の法を決了す。 是れ諸経の王なり。聞き已って諦らかに思惟せば、当に知るべし、此の人等は、仏の智慧に近し。若し人、此の経を説かば、応に如来の室に入り、如来の衣を著て、如来の座に坐すべし。 衆に処して畏るる所無く、広く為に分別して説け。大慈悲を室と為し、柔和忍辱を衣とし、諸法の空を座と為して、此に処して為に法を説け。若し此の経を説く時、人有りて悪口して罵り、 刀杖・瓦石を加うとも、仏を念ずるが故に応に忍ぶべし。我は千万億土に、清浄堅固の身を現じ、無量億劫に於いて、衆生の為に法を説く。若し我が滅度の後、能く此の経を説かん者には、 我、化の四衆、比丘・比丘尼、及び清信の士女を遣わして、法師を供養し、諸の衆生を引導し、之を集めて法を聴かしめん。若し人、悪を加えんと欲して、刀杖及び瓦石あらば、 則ち変化の人を遣わして、之が為に衛護を作さん。若し説法の人、独り空閑処に在りて、寂寞として人の声無く、此の経典を読誦せば、我、爾の時、為に清浄光明の身を現ぜん。 若し章句を忘失せば、為に説いて通利せしめん。若し人、是の徳を具えて、或いは四衆の為に説き、空処にて経を読誦せば、皆、我が身を見ることを得ん。若し人、空閑に在らば、我、天・竜王、 夜叉・鬼神等を遣わして、為に聴法の衆と作さしめん。是の人は説法を楽い、分別して罣礙無く、諸仏の護念したもうが故に、能く大衆をして喜ばしむ。若し法師に親近せば、速やかに菩薩道を得ん。 是の師に隨順して学ばば、恒沙の仏を見ることを得ん。
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