法華経 / 如來壽量品第十六(3)
「諸善男子,如來所演經典,皆為度脫眾生,或說己身,或說他身,或示己身,或示他身,或示己事,或示他事,諸所言說,皆實不虛。所以者何。如來如實知見三界之相,無有生死,若退若出,亦無在世、及滅度者,非實非虛,非如非異,不如三界,見於三界,如斯之事,如來明見,無有錯謬。以諸眾生有種種性、種種欲、種種行、種種憶想分別故,欲令生諸善根,以若干因緣、譬喻、言辭、種種說法,所作佛事,未曾暫廢。如是,我成佛已來、甚大久遠,壽命無量阿僧祇劫,常住不滅。」 「諸善男子,我本行菩薩道、所成壽命,今猶未盡,復倍上數。然今非實滅度,而便唱言,當取滅度,如來以是方便,教化眾生。所以者何。若佛久住於世,薄德之人,不種善根,貧窮下賤,貪著五欲,入於憶想妄見網中,若見如來常在不滅,便起憍恣、而懷厭怠,不能生難遭之想、恭敬之心,是故如來以方便說:『比丘當知,諸佛出世,難可值遇。』所以者何。諸薄德人,過無量百千萬億劫,或有見佛,或不見者,以此事故,我作是言:『諸比丘,如來難可得見。』斯眾生等、聞如是語,必當生於難遭之想,心懷戀慕,渴仰於佛,便種善根,是故如來雖不實滅,而言滅度。」
新字:「諸善男子,如来所演経典,皆為度脱衆生,或説己身,或説他身,或示己身,或示他身,或示己事,或示他事,諸所言説,皆実不虚。所以者何。如来如実知見三界之相,無有生死,若退若出,亦無在世、及滅度者,非実非虚,非如非異,不如三界,見於三界,如斯之事,如来明見,無有錯謬。以諸衆生有種種性、種種欲、種種行、種種憶想分別故,欲令生諸善根,以若干因縁、譬喩、言辞、種種説法,所作仏事,未曽暫廃。如是,我成仏已来、甚大久遠,寿命無量阿僧祇劫,常住不滅。」 「諸善男子,我本行菩薩道、所成寿命,今猶未尽,復倍上数。然今非実滅度,而便唱言,当取滅度,如来以是方便,教化衆生。所以者何。若仏久住於世,薄徳之人,不種善根,貧窮下賤,貪著五欲,入於憶想妄見網中,若見如来常在不滅,便起憍恣、而懐厭怠,不能生難遭之想、恭敬之心,是故如来以方便説:『比丘当知,諸仏出世,難可値遇。』所以者何。諸薄徳人,過無量百千万億劫,或有見仏,或不見者,以此事故,我作是言:『諸比丘,如来難可得見。』斯衆生等、聞如是語,必当生於難遭之想,心懐恋慕,渇仰於仏,便種善根,是故如来雖不実滅,而言滅度。」
書き下し
「諸の善男子よ、如来の演べたもう所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或いは己身を説き、或いは他身を説き、或いは己身を示し、或いは他身を示し、或いは己事を示し、或いは他事を示す。諸の言説する所は、皆実にして虚ならず。所以は何ん。如来は如実に三界の相を知見し、生死、若しは退、若しは出有ること無く、亦た在世、及び滅度の者無し。実に非ず虚に非ず、如に非ず異に非ず。三界の三界を見るが如くならず。斯の如き事を、如来は明らかに見て、錯謬有ること無し。諸の衆生に種種の性、種種の欲、種種の行、種種の憶想分別有るを以ての故に、諸の善根を生ぜしめんと欲して、若干の因縁・譬喩・言辞を以て、種種に法を説き、作す所の仏事は、未だ曽て暫くも廃せず。是の如く、我れ成仏してより已来、甚だ大いに久遠にして、寿命は無量阿僧祇劫なり、常住にして滅せず。」 「諸の善男子よ、我れ本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今猶お未だ尽きず、復た上の数に倍せり。然るに今、実の滅度に非ずして、便ち当に滅度を取るべしと唱言す。如来は是の方便を以て、衆生を教化す。所以は何ん。若し仏、久しく世に住すれば、薄徳の人は善根を種えず、貧窮下賤にして、五欲に貪著し、憶想妄見の網の中に入らん。若し如来の常に在して滅せざるを見ば、便ち憍恣を起こして、厭怠を懐き、難遭の想い、恭敬の心を生ずること能わず。是の故に如来は方便を以て説く、『比丘よ、当に知るべし、諸仏の出世は、値遇すべきこと難し』と。所以は何ん。諸の薄徳の人は、無量百千万億劫を過ぎて、或いは仏を見る有り、或いは見ざる者有ればなり。此の事を以ての故に、我れ是の言を作す、『諸の比丘よ、如来は見ることを得べきこと難し』と。斯の衆生等は、是の如き語を聞かば、必ず当に難遭の想いを生じ、心に恋慕を懐き、仏を渇仰し、便ち善根を種えん。是の故に如来は、実には滅せずと雖も、而も滅度すと言う。」
現代語訳
「善男子たちよ、如来が述べる経典は、みな衆生を救うためのものです。ある時は自分の身について説き、ある時は他者の身について説き、ある時は自分の身を示し、ある時は他者の身を示し、ある時は自分の事を示し、ある時は他者の事を示します。語るところはみな真実で、偽りではありません。なぜなら、如来は三界の相をありのままに知り見て、そこには生死も、退くことも出ることもなく、世にいる者も、滅度する者もいないからです。実でもなく虚でもなく、如でもなく異でもありません。三界の人が三界を見るようには見ません。このようなことを、如来ははっきり見ていて、誤りがありません。衆生にはさまざまな性質、欲、行い、思い込みや分別があるので、善い根を生じさせようとして、いろいろな因縁、譬喩、言葉で種々に法を説き、仏としての仕事は、一時もやめたことがありません。このように、私が成仏してからは、きわめて長い時間が経ち、寿命は無量阿僧祇劫で、常にあって滅びません。」 「善男子たちよ、私がもと菩薩道を行じて得た寿命は、今もなお尽きておらず、上に述べた数の倍あります。しかし今、実際には滅度するのではないのに、まもなく滅度すると唱えます。如来はこの方便によって衆生を教化するのです。なぜなら、もし仏が長く世にとどまるなら、徳の薄い人は善根を植えず、貧しく卑しくなり、五欲に執着し、思い込みと誤った見方の網の中に入るでしょう。もし如来が常にいて滅びないのを見れば、おごり、いい気になり、いとう心や怠りを起こし、出会えたことの稀さを思う心や、恭敬の心を生じることができません。だから如来は方便によって説きます。『比丘たちよ、知りなさい、諸仏が世に出ることは、出会うのが難しいことだ』と。なぜなら、徳の薄い人は、無量百千万億劫を過ぎて、仏を見ることがあるか、見ないままの者もいるからです。この理由で、私は『比丘たちよ、如来には会うことが難しい』と言うのです。この衆生たちは、このことばを聞いて、必ず出会えることの稀さを思い、心に恋い慕い、仏を渇き仰ぎ、善根を植えるでしょう。だから如来は、実際には滅しなくても、滅度すると言うのです。」
解説

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法華経・如來壽量品第十六(6)自ら我れ仏を得てより来、経たる所の諸の劫数は、無量百千万、億載阿僧祇なり。常に法を説き教化して、無数億の衆生をして、仏道に入らしむ。爾しより来、無量劫なり。 衆生を度せんが為の故に、方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く。我れ常に此に住すれども、諸の神通力を以て、顛倒の衆生をして、近しと雖も而も見ざらしむ。 衆は我が滅度を見て、広く舎利を供養し、咸く皆恋慕を懐きて、渇仰の心を生ず。衆生既に信伏し、質直にして意柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず。 時に我れ及び衆僧、倶に霊鷲山に出ず。我れ時に衆生に語る、常に此に在りて滅せずと。方便力を以ての故に、滅不滅有ることを現ず。余国に衆生の、恭敬し信楽する者有らば、 我れ復た彼の中に於いて、為に無上の法を説く。汝等は此れを聞かず、但だ我れ滅度すと謂えり。我れ諸の衆生を見るに、苦悩に没在せり。故に為に身を現ぜず、其れをして渇仰を生ぜしむ。 其の心の恋慕するに因りて、乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し、阿僧祇劫に於いて、常に霊鷲山、及び余の諸の住処に在り。衆生は劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、
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法華経・如來壽量品第十六(2)爾の時、仏、大菩薩衆に告げたまわく、「諸の善男子よ、今当に分明に汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著けたると及び著けざるとを、尽く以て塵と為し、一塵を一劫とせん。我れ成仏してより已来、復た此れに過ぐること百千万億那由他阿僧祇劫なり。是れより来、我れ常に此の娑婆世界に在りて説法教化し、亦た余処の百千万億那由他阿僧祇の国に於いても、衆生を導利す。」 「諸の善男子よ、是の中間に於いて、我れ燃灯仏等を説き、又復た其の涅槃に入るを言うも、是の如きは皆方便を以て分別せるなり。諸の善男子よ、若し衆生有りて、我が所に来至すれば、我れ仏眼を以て、其の信等の諸根の利鈍を観じ、度すべき所に随いて、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き、亦た復た現じて当に涅槃に入るべしと言い、又た種種の方便を以て、微妙の法を説き、能く衆生をして歓喜の心を発さしむ。諸の善男子よ、如来は諸の衆生の、小法を楽い、徳薄く垢重き者を見ては、是の人の為に、我れ少くして出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我れ実に成仏してより已来、久遠なること斯くの若し。但だ方便を以て、衆生を教化し、仏道に入らしめんとて、是の如き説を作す。」
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法華経・如來壽量品第十六(7)我が此の土は安穏にして、天・人常に充満せり。園林・諸の堂閣、種種の宝もて荘厳し、宝樹に花果多くして、衆生の遊楽する所なり。諸天は天鼓を撃ちて、常に衆の伎楽を作し、曼陀羅華を雨らして、仏及び大衆に散ず。 我が浄土は毀れざるに、而も衆は焼け尽くと見、憂怖の諸の苦悩、是の如く悉く充満せり。是の諸の罪の衆生は、悪業の因縁を以て、阿僧祇劫を過ぐれども、三宝の名を聞かず。 諸の功徳を修め、柔和質直なる者有らば、則ち皆我が身の、此に在りて法を説くを見る。或る時は此の衆の為に、仏寿無量なりと説き、久しくして乃ち仏を見る者には、為に仏は値い難しと説く。 我が智力は是の如く、慧光は無量を照らし、寿命は無数劫なり。久しく業を修して得る所なり。汝等有智の者は、此に於いて疑いを生ずること勿れ。当に断じて永く尽きしむべし。仏語は実にして虚ならず。 医の善き方便をもって、狂子を治せんが為の故に、実には在るに而も死すと言うに、能く虚妄を説くもの無きが如し。我れも亦た為れ世の父として、諸の苦患を救う者なり。凡夫の顛倒せるが為に、実には在るに而も滅すと言う。 常に我れを見るを以ての故に、而も憍恣の心を生じ、放逸にして五欲に著し、悪道の中に堕せん。我れ常に衆生の、道を行ずると、道を行ぜざるとを知り、度すべき所に随いて、為に種種の法を説く。 毎に自ら是の意を作す、何を以てか衆生をして、無上の慧に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと。
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法華経・如來壽量品第十六(1)爾の時、仏、諸の菩薩及び一切の大衆に告げたまわく、「諸の善男子よ、汝等は当に如来の誠諦の語を信解すべし」と。復た大衆に告げたまわく、「汝等は当に如来の誠諦の語を信解すべし」と。又復た諸の大衆に告げたまわく、「汝等は当に如来の誠諦の語を信解すべし」と。是の時、菩薩大衆の、弥勒を首と為せるもの、合掌して仏に白して言さく、「世尊、惟だ願わくは之を説きたまえ。我等は当に仏語を信受すべし」と。是の如く三たび白し已りて、復た言さく、「惟だ願わくは之を説きたまえ。我等は当に仏語を信受すべし」と。 爾の時、世尊は、諸の菩薩の三請して止まざるを知りて、之に告げて言わく、「汝等は諦かに聴け。如来の秘密神通の力を。一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆謂えらく、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からざる、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと。然るに善男子よ、我れ実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり。」 「譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有りて、抹して微塵と為し、東方の五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんに、諸の善男子よ、意に於いて云何。是の諸の世界は、思惟し校計して、其の数を知ることを得べきや否や。」 弥勒菩薩等は、倶に仏に白して言さく、「世尊、是の諸の世界は、無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦た心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏は、無漏智を以てするも、思惟して其の限数を知ること能わじ。我等は阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於いては、亦た達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界は、無量無辺なり。」
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法華経・方便品第二(10)終に小乗をもって、衆生を済度せず。仏、自ら大乗に住し、其の得たまえる所の法の如く、 定慧の力をもって荘厳し、此れを以て衆生を度す。自ら無上道、大乗平等の法を証し、 若し小乗をもって化すること、乃至一人にもせば、我れ則ち慳貪に堕さん、此の事は不可なり。 若し人、信じて仏に帰すれば、如来は欺誑せず、亦た貪嫉の意も無く、諸法の中の悪を断ず。 故に仏は十方に於いて、独り畏るる所無し。我れ相をもって身を厳り、光明、世間を照らす。 無量の衆に尊ばるる所にして、為に実相の印を説く。舎利弗当に知るべし、我れ本と誓願を立てて、 一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す。我が昔の願の如きは、今者已に満足せり、 一切の衆生を化して、皆な仏道に入らしむ。若し我れ衆生に遇わば、尽く教うるに仏道をもってすれども、 無智の者は錯乱して、迷惑して教えを受けず。我れ此の衆生の、未だ曾て善本を修せず、 堅く五欲に著し、癡愛の故に悩みを生ずるを知る。諸欲の因縁をもって、三悪道に墜堕し、 六趣の中に輪廻して、備に諸の苦毒を受く。胎に受けたる微形は、世世に常に増長し、 薄徳少福の人は、衆苦に逼迫せられ、邪見の稠林に入り、有若しは無等と、 此の諸見に依止して、六十二を具足す。深く虚妄の法に著し、堅く受けて捨つべからず、 我慢自ら矜高に、諂曲にして心不実なり。千万億劫に於いて、仏の名字を聞かず、 亦た正法を聞かず。是くの如き人は度し難し。是の故に舎利弗、我れ為に方便を設け、 諸の苦を尽くす道を説き、之に示すに涅槃をもってす。我れ涅槃を説くと雖も、是れも亦た真の滅に非ず、 諸法は本より来、常に自ら寂滅の相なり。仏子、道を行じ已りて、来世に作仏することを得ん。 我に方便力有り、三乗の法を開示す。一切の諸の世尊は、皆な一乗の道を説きたもう。 今、此の諸の大衆は、皆な応に疑惑を除くべし。諸仏の語は異なること無く、唯だ一にして二乗無し。 過去の無数劫、無量の滅度の仏、百千万億種にして、其の数、量るべからず。
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法華経・化城喻品第七(12)「諸の比丘、我等沙弥為りし時、各各無量百千万億恒河沙等の衆生を教化し、我より法を聞きて、阿耨多羅三藐三菩提の為にせしむ。此の諸の衆生、今に於て声聞地に住する者有り、我常に阿耨多羅三藐三菩提を教化す。是の諸人等は、応に是の法を以て、漸く仏道に入るべし。所以は何ん。如来の智慧は信じ難く解し難ければなり。爾の時、化する所の無量恒河沙等の衆生とは、汝等諸の比丘、及び我が滅度の後の未来世の中の声聞の弟子、是れなり。我が滅度の後、復弟子有りて、是の経を聞かず、菩薩の所行を知らず覚らずして、自ら所得の功徳に於て、滅度の想を生じ、当に涅槃に入るべし。我、余国に於て作仏し、更に異名有らん。是の人、滅度の想を生じ、涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て、仏の智慧を求め、是の経を聞くことを得て、惟だ仏乗を以てのみ滅度を得、更に余乗無し。諸の如来の方便説法を除く。」 「諸の比丘、若し如来、自ら涅槃の時到り、衆又清浄にして、信解堅固に、空の法を了達し、深く禅定に入ると知れば、便ち諸の菩薩及び声聞衆を集めて、為に是の経を説く。世間に二乗にして滅度を得ること有ること無し。惟だ一仏乗にして滅度を得るのみ。比丘当に知るべし、如来の方便は、深く衆生の性に入る。其の小法を志楽し、深く五欲に著するが如きは、是れ等の為の故に、涅槃を説く。是の人若し聞かば、則ち便ち信受す。」