法華経 / 從地湧出品第十五(9)
佛昔從釋種、出家近伽耶,坐於菩提樹,爾來尚未久。此諸佛子等,其數不可量,久已行佛道,住於神通力, 善學菩薩道,不染世間法,如蓮華在水,從地而湧出,皆起恭敬心,住於世尊前。是事難思議,云何而可信, 佛得道甚近、所成就甚多,願為除眾疑,如實分別說。譬如少壯人,年始二十五,示人百歲子,發白而面皺, 是等我所生,子亦說是父,父少而子老,舉世所不信。世尊亦如是,得道來甚近。是諸菩薩等,志固無怯弱, 從無量劫來、而行菩薩道,巧於難問答,其心無所畏,忍辱心決定,端正有威德,十方佛所讚,善能分別說, 不樂在人眾,常好在禪定,為求佛道故,於下空中住。我等從佛聞、於此事無疑,願佛為未來,演說令開解。 若有於此經、生疑不信者,即當墮惡道。願今為解說,是無量菩薩,云何於少時、教化令發心,而住不退地。
新字:仏昔従釈種、出家近伽耶,坐於菩提樹,爾来尚未久。此諸仏子等,其数不可量,久已行仏道,住於神通力, 善学菩薩道,不染世間法,如蓮華在水,従地而湧出,皆起恭敬心,住於世尊前。是事難思議,云何而可信, 仏得道甚近、所成就甚多,願為除衆疑,如実分別説。譬如少壮人,年始二十五,示人百歳子,発白而面皺, 是等我所生,子亦説是父,父少而子老,舉世所不信。世尊亦如是,得道来甚近。是諸菩薩等,志固無怯弱, 従無量劫来、而行菩薩道,巧於難問答,其心無所畏,忍辱心決定,端正有威徳,十方仏所讃,善能分別説, 不楽在人衆,常好在禅定,為求仏道故,於下空中住。我等従仏聞、於此事無疑,願仏為未来,演説令開解。 若有於此経、生疑不信者,即当堕悪道。願今為解説,是無量菩薩,云何於少時、教化令発心,而住不退地。
書き下し
仏は昔、釈種より出家して、伽耶に近き、菩提樹に坐したまえり。爾しより来、尚お未だ久しからず。此の諸の仏子等は、其の数量るべからず。久しく已に仏道を行じ、神通力に住す。 善く菩薩の道を学び、世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し。地より湧出して、皆恭敬の心を起こし、世尊の前に住せり。是の事は思議し難し。云何ぞ信ずべけんや。 仏の得道は甚だ近く、成就したまう所は甚だ多し。願わくは衆の疑いを除くために、実の如く分別して説きたまえ。譬えば少壮の人の、年始めて二十五なるが、人に百歳の子を示すに、髪白くして面皺あり、 是れ等は我が所生なり、子も亦た是れを父と説かんに、父は少くして子は老ゆ。世を挙げて信ぜざる所なり。世尊も亦た是の如し。道を得たまいてより来、甚だ近し。是の諸の菩薩等は、志は固くして怯弱無く、 無量劫より来、菩薩の道を行じ、難問答に巧みにして、其の心に畏るる所無し。忍辱の心は決定し、端正にして威徳有り、十方の仏の讃めたもう所、善く能く分別して説く。 人の衆に在るを楽わず、常に禅定に在るを好む。仏道を求めんが為の故に、下の空の中に住せり。我等は仏より聞きて、此の事に於いて疑い無し。願わくは仏、未来の為に、演説して開解せしめたまえ。 若し此の経に於いて、疑いを生じ信ぜざる者有らば、即ち当に悪道に堕つべし。願わくは今解説したまえ。是の無量の菩薩は、云何ぞ少時に於いて、教化して発心せしめ、不退の地に住せしめたまいしや。
現代語訳
仏は昔、釈迦族から出家し、伽耶の近くで菩提樹の下に坐されました。それからまだ長い時間がたっていません。この多くの仏子たちは、その数は量れず、久しく仏道を行じ、神通力に住しています。菩薩の道をよく学び、世間の法に染まらないさまは、蓮の華が水の中にありながら濁りに染まらないようです。地から湧き出て、みな恭敬の心を起こし、世尊の前に立っています。この事は思い量り難く、どうして信じられるでしょうか。 仏が道を得られたのはごく近い時なのに、成就されたものはあまりにも多いのです。どうか皆の疑いを除くため、ありのままに分けて説いてください。たとえば、年がやっと二十五歳の若い盛りの人が、髪が白く顔にしわのある百歳の人を子として示し、「この人は私が生んだ子です」と言い、その子もまた若者を父と言うなら、父は若く子は老いていることになり、世を挙げて信じないことです。世尊もまたそのようです。道を得てからの時間は、ごく近いのです。 この菩薩たちは、志は固く怯えがなく、無量の劫の昔から菩薩の道を行じ、難しい問答に巧みで、その心に恐れるところがありません。忍辱の心は定まり、端正で威徳があり、十方の仏に讃えられ、よく分別して説くことができます。人の衆の中にいることを好まず、常に禅定にいることを好み、仏道を求めるために、下の空の中に住んでいます。私たちは仏から聞いたので、この事に疑いはありません。どうか仏よ、未来の人々のために、説いて理解させてください。 もしこの経について疑いを生じ、信じない者があれば、悪道に堕ちるでしょう。どうか今、解き明かしてください。この無量の菩薩たちを、どのようにして短い時間のうちに教え導いて発心させ、不退の地に住させたのでしょうか。
解説

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