法華経 / 從地湧出品第十五(7)
爾時、彌勒菩薩摩訶薩、及無數諸菩薩等,心生疑惑,怪未曾有,而作是念:「云何世尊於少時間、教化如是無量無邊阿僧祇諸大菩薩,令住阿耨多羅三藐三菩提?」即白佛言:「世尊,如來為太子時,出於釋宮,去伽耶城不遠,坐於道場,得成阿耨多羅三藐三菩提,從是已來,始過四十餘年,世尊,云何於此少時、大作佛事,以佛勢力,以佛功德,教化如是無量大菩薩眾、當成阿耨多羅三藐三菩提?」 「世尊,此大菩薩眾,假使有人,於千萬億劫、數不能盡,不得其邊,斯等久遠已來,於無量無邊諸佛所、植諸善根,成就菩薩道,常修梵行。世尊,如此之事,世所難信。譬如有人、色美發黑,年二十五,指百歲人、言是我子,其百歲人,亦指年少,言是我父,生育我等,是事難信。」
新字:爾時、弥勒菩薩摩訶薩、及無数諸菩薩等,心生疑惑,怪未曽有,而作是念:「云何世尊於少時間、教化如是無量無辺阿僧祇諸大菩薩,令住阿耨多羅三藐三菩提?」即白仏言:「世尊,如来為太子時,出於釈宮,去伽耶城不遠,坐於道場,得成阿耨多羅三藐三菩提,従是已来,始過四十余年,世尊,云何於此少時、大作仏事,以仏勢力,以仏功徳,教化如是無量大菩薩衆、当成阿耨多羅三藐三菩提?」 「世尊,此大菩薩衆,仮使有人,於千万億劫、数不能尽,不得其辺,斯等久遠已来,於無量無辺諸仏所、植諸善根,成就菩薩道,常修梵行。世尊,如此之事,世所難信。譬如有人、色美発黒,年二十五,指百歳人、言是我子,其百歳人,亦指年少,言是我父,生育我等,是事難信。」
書き下し
爾の時、弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等は、心に疑惑を生じ、未曽有なりと怪しみ、是の念を作さく、「云何ぞ世尊は少時の間に於いて、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまいしや」と。即ち仏に白して言さく、「世尊、如来は太子たりし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からざる、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまいき。是れより已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作し、仏の勢力を以て、仏の功徳を以て、是の如き無量の大菩薩衆を教化して、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべからしめたまいしや」と。 「世尊、此の大菩薩衆は、假使い人有りて、千万億劫に於いて数うるとも、尽くすこと能わず、其の辺を得じ。斯れ等は久遠より已来、無量無辺の諸仏の所に於いて、諸の善根を植え、菩薩道を成就し、常に梵行を修めたり。世尊、此の如き事は、世に信じ難き所なり。譬えば人有り、色美しく髪黒く、年二十五なるが、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言い、其の百歳の人も、亦た年少を指して、是れ我が父なり、我等を生育せりと言わんに、是の事は信じ難きが如し。」
現代語訳
そのとき、弥勒菩薩摩訶薩と数えきれない菩薩たちは、心に疑いを生じ、かつてないことだと怪しんで、こう思いました。「どうして世尊は、短い時間のあいだに、これほど無量無辺阿僧祇の大菩薩たちを教え導いて、阿耨多羅三藐三菩提に住させることができたのでしょうか」と。そこで仏に申し上げました。「世尊よ、如来は太子であられたとき、釈迦族の宮殿を出て、伽耶城から遠くない道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成就されました。それから、わずか四十年あまりが過ぎただけです。世尊よ、どうしてこの短い間に、大いに仏の事を行い、仏の勢力と功徳によって、これほどの無量の大菩薩衆を教え導き、阿耨多羅三藐三菩提を成就させることができるのでしょうか」と。 「世尊よ、この大菩薩衆は、たとえ人が千万億劫のあいだ数えても、数え尽くせず、その限りを知ることができません。この方々は久遠の昔から、無量無辺の諸仏のもとで善根を植え、菩薩道を成就し、常に清らかな行を修めてきました。世尊よ、このようなことは、世の人には信じ難いことです。たとえば、色白で美しく髪が黒い二十五歳の若者が、百歳の人を指して、これは私の子だと言い、その百歳の人もまた若者を指して、これは私の父で、私たちを育てたと言うようなもので、信じ難いことです。」
解説

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