法華経 / 勸持品第十三(3)
惟願不為慮,於佛滅度後,恐怖惡世中,我等當廣說。有諸無智人,惡口罵詈等,及加刀杖者,我等皆當忍。 惡世中比丘,邪智心諂曲,未得謂為得,我慢心充滿。或有阿練若,納衣在空閒,自謂行真道,輕賤人間者。 貪著利養故,與白衣說法,為世所恭敬、如六通羅漢。是人懷惡心,常念世俗事,假名阿練若,好出我等過, 而作如是言,此諸比丘等,為貪利養故、說外道論議,自作此經典,誑惑世間人,為求名聞故。分別於是經, 常在大眾中、欲毀我等故,向國王大臣、婆羅門居士、及餘比丘眾,誹謗說我惡,謂是邪見人、說外道論議。 我等敬佛故,悉忍是諸惡。為斯所輕言、汝等皆是佛,如此輕慢言,皆當忍受之。濁劫惡世中,多有諸恐怖, 惡鬼入其身,罵詈毀辱我。我等敬信佛,當著忍辱鎧,為說是經故,忍此諸難事。我不愛身命,但惜無上道, 我等於來世,護持佛所囑,世尊自當知。濁世惡比丘,不知佛方便、隨宜所說法,惡口而顰蹙,數數見擯出, 遠離於塔寺。如是等眾惡,念佛告敕故,皆當忍是事。諸聚落城邑,其有求法者,我皆到其所,說佛所囑法。 我是世尊使,處眾無所畏,我當善說法,願佛安隱住。我於世尊前、諸來十方佛,發如是誓言,佛自知我心。
新字:惟願不為慮,於仏滅度後,恐怖悪世中,我等当広説。有諸無智人,悪口罵詈等,及加刀杖者,我等皆当忍。 悪世中比丘,邪智心諂曲,未得謂為得,我慢心充満。或有阿練若,納衣在空閒,自謂行真道,軽賤人間者。 貪著利養故,与白衣説法,為世所恭敬、如六通羅漢。是人懐悪心,常念世俗事,仮名阿練若,好出我等過, 而作如是言,此諸比丘等,為貪利養故、説外道論議,自作此経典,誑惑世間人,為求名聞故。分別於是経, 常在大衆中、欲毀我等故,向国王大臣、婆羅門居士、及余比丘衆,誹謗説我悪,謂是邪見人、説外道論議。 我等敬仏故,悉忍是諸悪。為斯所軽言、汝等皆是仏,如此軽慢言,皆当忍受之。濁劫悪世中,多有諸恐怖, 悪鬼入其身,罵詈毀辱我。我等敬信仏,当著忍辱鎧,為説是経故,忍此諸難事。我不愛身命,但惜無上道, 我等於来世,護持仏所囑,世尊自当知。濁世悪比丘,不知仏方便、随宜所説法,悪口而顰蹙,数数見擯出, 遠離於塔寺。如是等衆悪,念仏告勅故,皆当忍是事。諸聚落城邑,其有求法者,我皆到其所,説仏所囑法。 我是世尊使,処衆無所畏,我当善説法,願仏安隠住。我於世尊前、諸来十方仏,発如是誓言,仏自知我心。
書き下し
惟願わくは慮りを為したまわざれ。仏の滅度の後、恐怖悪世の中にて、我等、当に広く説くべし。諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らんも、我等皆当に忍ぶべし。 悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを得たりと謂い、我慢の心充満せん。或いは阿練若に、納衣にして空閑に在り、自ら真道を行ずと謂いて、人間を軽賤する者有らん。 利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説き、世に恭敬せらるること、六通の羅漢の如くならん。是の人は悪心を懐き、常に世俗の事を念い、阿練若に仮名して、好んで我等が過ちを出ださん。 而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貪るが故に、外道の論議を説き、自ら此の経典を作りて、世間の人を誑惑す。名聞を求むるが故に、是の経を分別して、 常に大衆の中に在りて、我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士、及び余の比丘衆に向かいて、誹謗して我が悪を説き、是れ邪見の人にして、外道の論議を説くと謂わん。 我等は仏を敬うが故に、悉く是の諸悪を忍ばん。斯れが為に軽んじて、汝等は皆是れ仏なりと言われん。此の如き軽慢の言も、皆当に之を忍受すべし。濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有り、 悪鬼、其の身に入りて、我を罵詈し毀辱せん。我等は仏を敬信して、当に忍辱の鎧を著、是の経を説かんが為の故に、此の諸の難事を忍ぶべし。我は身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ。 我等、来世に於いて、仏の囑したまう所を護持せん。世尊、自ら当に知しめせ。濁世の悪比丘は、仏の方便、宜しきに随って説きたもう所の法を知らず、悪口して顰蹙し、数数擯出せられ、 塔寺を遠離せん。是の如き等の衆悪も、仏の告敕を念ずるが故に、皆当に是の事を忍ぶべし。諸の聚落・城邑に、其れ法を求むる者有らば、我、皆、其の所に到りて、仏の囑したまう法を説かん。 我は是れ世尊の使いなり。衆に処して畏るる所無し。我、当に善く法を説くべし。願わくは仏、安穏に住したまえ。我、世尊の前、諸の来れる十方の仏に於いて、是の如き誓言を発す。仏、自ら我が心を知しめせ。
現代語訳
どうかご心配なさらないでください。仏の滅度の後、恐ろしい悪世の中で、私たちは広く説きます。もろもろの無知な人が、悪口を言い罵り、さらには刀や杖を加えることがあっても、私たちはみな耐え忍びます。 悪世の比丘は、よこしまな知恵を持ち、心はへつらい曲がり、まだ得ていないのに得たと思い込み、慢心でいっぱいでしょう。あるいは人里離れた静かな所で、粗末な衣をまとって、自ら真の道を行っていると言いながら、人々を軽んじ見下す者もいるでしょう。 利益と供養に貪り執着するため、在家の人々のために法を説き、世間から尊敬されること、神通を備えた阿羅漢のようでしょう。この人は悪い心を抱き、常に世俗のことを思い、静かな修行者の名を借りて、好んで私たちの過ちを持ち出すでしょう。 そして、このように言うでしょう。この比丘たちは、利益を貪るために外道の議論を説き、自分でこの経典を作って、世間の人をだまし惑わしている。名声を求めるために、この経を解き分けて説いているのだ、と。 いつも大衆の中で、私たちを謗ろうとするため、国王や大臣、バラモン、居士、そのほかの比丘たちに向かって、私たちの悪をそしって語り、これは邪見の人で外道の議論を説いている、と言うでしょう。 私たちは仏を敬うので、これらの悪をすべて耐え忍びます。そのために軽んじられ、あなたたちはみな仏だと言われるでしょう。こうした見下した言葉も、私たちはみな耐え受けます。濁った時代の悪世には、多くの恐怖があります。 悪鬼がその身に入り込み、私を罵り辱めるでしょう。私たちは仏を敬い信じて、忍耐の鎧を着て、この経を説くために、こうした困難に耐えます。私は身命を惜しまず、ただ最高の道だけを惜しみます。 私たちは来世において、仏が託されたものを護り保ちます。世尊よ、どうかご自身でご覧ください。濁世の悪い比丘は、仏の方便、相手に応じて説かれた法を知らず、悪口を言い眉をひそめ、何度も追い出され、 塔や寺から遠ざけられるでしょう。このような数々の悪も、仏のお言葉を思って、みな耐え忍びます。村や町で、法を求める者がいれば、私はみなそのもとへ行き、仏が託された法を説きます。 私は世尊の使いです。大勢の中でも恐れることはありません。私は善く法を説きます。どうか仏が安穏にいてくださいますように。私は世尊の前で、来られた十方の仏の前で、このように誓いの言葉を述べます。仏よ、どうかご自身で私の心をご覧ください。
解説

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法華経・安樂行品第十四(3)若し菩薩有りて、後の悪世に於いて、怖畏の心無く、是の経を説かんと欲せば、応に行処、及び親近処に入るべし。常に国王、及び国王の子、 大臣・官長、凶険の戯れする者、及び旃陀羅、外道・梵志を離れよ。亦た増上慢の人、小乗に貪著する三蔵の学者に親近せざれ。 破戒の比丘、名字の羅漢、及び比丘尼の戯笑を好む者、深く五欲に著して現の滅度を求むる、諸の優婆夷には、皆親近すること勿れ。 若し是の人等、好心を以て、菩薩の所に来たりて、仏道を聞かんが為ならば、菩薩は則ち無所畏の心を以て、希望を懐かずして、為に法を説け。 寡女・処女、及び諸の不男は、皆親近して、以て親厚と為すこと勿れ。亦た屠児・魁膾、畋猟・漁捕の、利の為に殺害するに親近すること莫れ。 肉を販ぎて自活し、女色を炫売する、是の如きの人には、皆親近すること勿れ。凶険の相撲、種種の嬉戯、諸の淫女等には、尽く親近すること勿れ。 独り屏処にて、女の為に法を説くこと莫れ。若し法を説く時は、戯笑すること無かれ。里に入りて乞食するには、一の比丘を将い、若し比丘無くば、一心に仏を念ぜよ。
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法華経・安樂行品第十四(1)爾の時、文殊師利法王子菩薩摩訶薩、仏に白して言さく、「世尊、是の諸の菩薩は、甚だ稀有と為す。仏に敬順するが故に、大誓願を発して、後の悪世に於いて、是の法華経を護持し読説せん。世尊、菩薩摩訶薩は、後の悪世に於いて、云何が能く是の経を説かん。」仏、文殊師利に告げたまわく、「若し菩薩摩訶薩、後の悪世に於いて、是の経を説かんと欲せば、当に四法に安住すべし。一には、菩薩の行処及び親近処に安住して、能く衆生の為に是の経を演説す。」 「文殊師利よ、云何が菩薩摩訶薩の行処と名づくる。若し菩薩摩訶薩、忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心も亦た驚かず、又復た法に於いて行ずる所無くして、諸法の如実の相を観じ、亦た行ぜず、分別せざる、是れを菩薩摩訶薩の行処と名づく。」 「云何が菩薩摩訶薩の親近処と名づくる。菩薩摩訶薩は、国王・王子・大臣・官長に親近せず、諸の外道・梵志・尼犍子等、及び世俗の文筆、讃詠の外書を造る者、及び路伽耶陀・逆路伽耶陀の者に親近せず、亦た諸の凶戯、相叉・相撲、及び那羅等の種種の変現の戯れに親近せず、又、旃陀羅、及び猪・羊・鶏・狗を畜い、畋猟・漁捕する、諸の悪律儀の者に親近せず。是の如き人等、或る時に来たらば、則ち為に法を説いて、希望する所無し。又、声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せず、亦た問訊せず。若しは房中に於いても、若しは経行処に於いても、若しは講堂の中に在りても、共に住止せず。或る時に来たらば、宜しきに随って法を説き、希求する所無かれ。」
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