法華経 / 五百弟子受記品第八(8)
我等聞無上,安隱授記聲。歡喜未曾有,禮無量智佛, 今於世尊前,自悔諸過咎。於無量佛寶,得少涅槃分, 如無智愚人,便自以為足。譬如貧窮人,往至親友家, 其家甚大富,具設諸肴膳。以無價寶珠,繫著內衣裏, 默與而捨去,時臥不覺知。是人既已起,遊行詣他國, 求衣食自濟,資生甚艱難。得少便為足,更不願好者, 不覺內衣裏,有無價寶珠。與珠之親友,後見此貧人, 苦切責之已,示以所繫珠。貧人見此珠,其心大歡喜, 富有諸財物,五欲而自恣。我等亦如是,世尊於長夜, 常愍見教化,令種無上願。我等無智故,不覺亦不知, 得少涅槃分,自足不求餘。今佛覺悟我,言非實滅度, 得佛無上慧,爾乃為真滅。我今從佛聞授記莊嚴事, 及轉次受決,身心遍歡喜。
新字:我等聞無上,安隠授記声。歓喜未曽有,礼無量智仏, 今於世尊前,自悔諸過咎。於無量仏宝,得少涅槃分, 如無智愚人,便自以為足。譬如貧窮人,往至親友家, 其家甚大富,具設諸肴膳。以無価宝珠,繋著内衣裏, 黙与而捨去,時臥不覚知。是人既已起,遊行詣他国, 求衣食自済,資生甚艱難。得少便為足,更不願好者, 不覚内衣裏,有無価宝珠。与珠之親友,後見此貧人, 苦切責之已,示以所繋珠。貧人見此珠,其心大歓喜, 富有諸財物,五欲而自恣。我等亦如是,世尊於長夜, 常愍見教化,令種無上願。我等無智故,不覚亦不知, 得少涅槃分,自足不求余。今仏覚悟我,言非実滅度, 得仏無上慧,爾乃為真滅。我今従仏聞授記荘厳事, 及転次受決,身心遍歓喜。
書き下し
我等無上の、安隠なる授記の声を聞きて、歓喜すること未曽有なり、無量智の仏を礼したてまつる。 今世尊の前に於て、自ら諸の過咎を悔ゆ。無量の仏宝に於て、少しの涅槃の分を得て、 無智の愚人の如く、便ち自ら以て足れりと為せり。譬えば貧窮の人の、親友の家に往至するに、 其の家甚だ大いに富み、具さに諸の肴膳を設く。無価の宝珠を以て、内衣の裏に繋著し、 黙して与えて捨て去る、時に臥して覚知せず。是の人既に已に起き、遊行して他国に詣り、 衣食を求めて自ら済い、資生甚だ艱難なり。少しを得て便ち足れりと為し、更に好き者を願わず、 内衣の裏に、無価の宝珠有るを覚らず。珠を与えし親友、後に此の貧人を見て、 苦切に之を責め已りて、繋けし所の珠を示す。貧人此の珠を見て、其の心大いに歓喜し、 諸の財物に富有して、五欲自恣なり。我等も亦是の如く、世尊は長夜に於て、 常に愍れみて教化を見せしめ、無上の願を種えしむ。我等は無智なるが故に、覚らず亦知らず、 少しの涅槃の分を得て、自ら足りて余を求めず。今仏は我を覚悟せしめ、実の滅度に非ずと言う、 仏の無上慧を得て、爾して乃ち真の滅と為す。我今仏より授記と荘厳の事を聞き、 及び転次に決を受け、身心遍く歓喜す。
現代語訳
私たちは、無上の、安らかな授記の声を聞いて、かつてない喜びを覚え、無量の智慧の仏を礼拝します。今、世尊の前で、自らの諸々の過ちを悔います。無量の仏の宝にありながら、わずかな涅槃の分を得て、智慧のない愚かな人のように、それで十分だと思っていたのです。たとえば貧しい人が、親友の家に行き、その家はたいへん豊かで、さまざまなご馳走が用意されていました。親友は値のつけられない宝珠を、その人の下着の裏に縫いつけ、黙って与えて去り、その人は寝ていて気づきませんでした。この人は起き上がって、他の国に出かけ、衣食を求めて自活し、暮らしはたいへん苦しいものでした。少しを得ればそれで足りるとし、さらに良いものを願いもせず、下着の裏に、値のつけられない宝珠があることに気づきません。宝珠を与えた親友は、のちにこの貧しい人を見て、厳しく責めたうえで、縫いつけておいた宝珠を示しました。貧しい人はこの宝珠を見て、心から喜び、財物に富み、思うままに楽しむことができました。 私たちもまたこれと同じです。世尊は長い夜のあいだ、いつも憐れんで教化してくださり、無上の願いを植えさせてくださいました。私たちは智慧がないために、気づかず、知らずに、わずかな涅槃の分を得て、それで満足して他を求めませんでした。今、仏は私を目覚めさせ、本当の滅度ではないと言われます。仏の無上の智慧を得て、そこで初めて真の滅となります。私は今、仏から授記と荘厳のことを聞き、さらに順次に授記を受け、身も心もあまねく歓喜しています。
解説

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法華経・五百弟子受記品第八(7)「世尊、譬えば人有りて、親友の家に至り、酔酒して臥す。是の時、親友、官事に当に行くべくして、無価の宝珠を以て、其の衣の裏に繋け、之を与えて去る。其の人酔臥して、都て覚知せず。起き已りて、遊行して、他国に到る。衣食の為の故に、勤力して求索するに、甚だ大いに艱難にして、若し少しく所得有らば、便ち以て足れりと為す。後に、親友、会いて遇いて之を見て、是の言を作す、『咄、哉、丈夫、何為れぞ衣食の為に乃ち是の如くなる。我昔汝をして安楽を得、五欲自恣ならしめんと欲して、某年月日に於て、無価の宝珠を以て、汝が衣の裏に繋けたり。今故現に在り。而るに汝知らずして、勤苦憂悩して、以て自活を求むること、甚だ癡なり。汝今此の宝を以て、需むる所に貿易せば、常に意の如くなるべく、乏短する所無けん。』」 「仏も亦是の如く、菩薩為りし時、我等を教化して、一切智の心を発さしむ。而るに尋いで廃忘して、知らず覚らず、既に阿羅漢道を得て、自ら滅度すと謂い、資生は艱難にして、少しを得て足れりと為す。一切智の願は、猶お在りて失せず。今者、世尊、我等を覚悟せしめて、是の如き言を作したもう、『諸の比丘、汝等の得る所は、究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして仏の善根を種えしめ、方便を以ての故に、涅槃の相を示せしに、而も汝実に滅度を得たりと謂えり。』」 「世尊、我今乃ち知りぬ、実に是れ菩薩にして、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の因縁を以て、甚だ大いに歓喜し、未曽有なることを得たり。」 爾の時、阿若憍陳如等、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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