法華経 / 信解品第四(10)
調伏其心,乃教大智。我等今日、得未曾有,非先所望,而今自得,如彼窮子,得無量寶。 世尊我今,得道得果,於無漏法、得清淨眼。我等長夜、持佛淨戒,始於今日,得其果報, 法王法中、久修梵行,今得無漏、無上大果。我等今者、真是聲聞,以佛道聲、令一切聞。 我等今者、真阿羅漢,於諸世間、天人魔梵,普於其中、應受供養。世尊大恩,以稀有事, 憐愍教化、利益我等,無量億劫、誰能報者。手足供給,頭頂禮敬,一切供養,皆不能報。 若以頂戴,兩肩荷負,於恒沙劫、盡心恭敬,又以美膳、無量寶衣、及諸臥具、種種湯藥, 牛頭栴檀、及諸珍寶、以起塔廟,寶衣布地,如斯等事,以用供養,於恒沙劫,亦不能報。 諸佛稀有、無量無邊、不可思議、大神通力,無漏無為,諸法之王,能為下劣、忍於斯事, 取相凡夫,隨宜為說。諸佛於法,得最自在,知諸眾生,種種欲樂、及其志力,隨所堪任, 以無量喻、而為說法,隨諸眾生,宿世善根,又知成熟、未成熟者,種種籌量,分別知已, 於一乘道、隨宜說三。
新字:調伏其心,乃教大智。我等今日、得未曽有,非先所望,而今自得,如彼窮子,得無量宝。 世尊我今,得道得果,於無漏法、得清浄眼。我等長夜、持仏浄戒,始於今日,得其果報, 法王法中、久修梵行,今得無漏、無上大果。我等今者、真是声聞,以仏道声、令一切聞。 我等今者、真阿羅漢,於諸世間、天人魔梵,普於其中、応受供養。世尊大恩,以稀有事, 憐愍教化、利益我等,無量億劫、誰能報者。手足供給,頭頂礼敬,一切供養,皆不能報。 若以頂戴,両肩荷負,於恒沙劫、尽心恭敬,又以美膳、無量宝衣、及諸臥具、種種湯薬, 牛頭栴檀、及諸珍宝、以起塔廟,宝衣布地,如斯等事,以用供養,於恒沙劫,亦不能報。 諸仏稀有、無量無辺、不可思議、大神通力,無漏無為,諸法之王,能為下劣、忍於斯事, 取相凡夫,随宜為説。諸仏於法,得最自在,知諸衆生,種種欲楽、及其志力,随所堪任, 以無量喩、而為説法,随諸衆生,宿世善根,又知成熟、未成熟者,種種籌量,分別知已, 於一乗道、随宜説三。
書き下し
其の心を調伏して、乃ち大智を教えたまう。我等、今日、未曾有なることを得たり、先に望む所に非ざるに、而も今、自ら得ること、彼の窮子の、無量の宝を得るが如し。 世尊、我、今、道を得、果を得て、無漏の法に於て、清浄の眼を得たり。我等は長夜に、仏の浄戒を持ち、始めて今日に於て、其の果報を得たり、 法王の法の中に、久しく梵行を修し、今、無漏の、無上の大果を得たり。我等、今は、真に是れ声聞なり、仏道の声を以て、一切をして聞かしむ。 我等、今は、真の阿羅漢なり、諸の世間の、天、人、魔、梵に於て、普く其の中に於て、応に供養を受くべし。世尊の大恩、稀有の事を以て、 憐愍して教化し、我等を利益したまう、無量億劫にも、誰か能く報ゆる者あらん。手足もて供給し、頭頂もて礼敬し、一切の供養も、皆報ゆること能わず。 若し頂戴を以てし、両肩もて荷負し、恒沙劫に於て、心を尽くして恭敬し、又、美膳、無量の宝衣、及び諸の臥具、種種の湯薬を以てし、 牛頭栴檀、及び諸の珍宝をもて、以て塔廟を起て、宝衣もて地に布き、斯くの如き等の事を、以て供養に用いて、恒沙劫に於てすとも、亦報ゆること能わず。 諸仏は稀有なり、無量無辺、不可思議なる、大神通力あり、無漏無為にして、諸法の王なり、能く下劣の為に、斯の事を忍び、 相に取る凡夫に、宜しきに随いて為に説きたまう。諸仏は法に於て、最も自在を得て、諸の衆生の、種種の欲楽、及び其の志力を知り、堪任する所に随い、 無量の喩を以て、而も為に法を説き、諸の衆生の、宿世の善根に随い、又、成熟せると未だ成熟せざる者とを知り、種種に籌量し、分別し知り已りて、 一乗の道に於て、宜しきに随いて三を説きたまう。
現代語訳
その心を調え従わせたうえで、はじめて大いなる智慧を教えてくださいました。私たちは今日、かつてない思いを得ました。以前に望んでいたものではないのに、今こうして自ら得たのは、あの窮子が量り知れない宝を得たのと同じです。 世尊、私は今、道を得て果を得、煩悩のない法において清らかな眼を得ました。私たちは長い夜の間、仏の清らかな戒を守り、今日はじめてその報いを得ました。法王の法の中で長く清らかな行を修め、今、煩悩のない、この上ない大きな果を得ました。私たちは今、真の声聞です。仏道の声によって、一切の人に聞かせます。私たちは今、真の阿羅漢です。世間の天、人、魔、梵天の中で、あまねくその中で、供養を受けるにふさわしい者です。世尊の大恩は、稀有なことであり、憐れんで教え導き、私たちに利益を与えてくださいました。量り知れない億劫の間にも、誰がこの恩に報いることができるでしょうか。手足を使って尽くし、頭を下げて礼拝し、あらゆる供養をしても、すべて報いきれません。もし頭の上に戴き、両肩に背負って、ガンジス川の砂の数ほどの劫のあいだ、心を尽くして恭しく仕え、また美味しい食べ物、量り知れない宝の衣、寝具、さまざまな薬湯を供え、牛頭栴檀や珍宝で塔廟を建て、宝の衣を地に敷くなど、このようなことで供養しても、ガンジス川の砂の数ほどの劫を経ても、報いることはできません。 諸仏は稀有で、量り知れず限りなく、思いはかることもできず、大いなる神通の力があります。煩悩を離れ、はたらきを超え、諸法の王であって、劣った者のためにもこのことを耐え、形に捉われる凡夫に、ふさわしいやり方で説かれます。諸仏は法において最も自在であり、人々のさまざまな願いと、その志や力を知り、堪えられるものに合わせ、量り知れない譬えで法を説かれ、人々の前世の善い根を見て、また成熟した者と未熟な者を知り、さまざまに推し量り、見分けて知り終えて、一乗の道について、状況に応じて三乗を説かれます。
解説

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