法華経 / 五百弟子受記品第八(7)
「世尊,譬如有人至親友家,醉酒而臥。是時親友官事當行,以無價寶珠、繫其衣裏,與之而去。其人醉臥,都不覺知。起已、遊行,到於他國。為衣食故,勤力求索,甚大艱難,若少有所得,便以為足。於後、親友會遇見之,而作是言:『咄哉、丈夫,何為衣食乃至如是。我昔欲令汝得安樂,五欲自恣,於某年月日,以無價寶珠、繫汝衣裏,今故現在。而汝不知,勤苦憂惱,以求自活,甚為癡也。汝今可以此寶、貿易所需,常可如意,無所乏短。』」 「佛亦如是,為菩薩時,教化我等,令發一切智心。而尋廢忘,不知不覺,既得阿羅漢道,自謂滅度,資生艱難,得少為足。一切智願,猶在、不失。今者、世尊覺悟我等,作如是言:『諸比丘,汝等所得,非究竟滅。我久令汝等種佛善根,以方便故,示涅槃相,而汝謂為實得滅度。』」 「世尊,我今乃知實是菩薩,得受阿耨多羅三藐三菩提記,以是因緣,甚大歡喜,得未曾有。」 爾時阿若憍陳如等,欲重宣此義,而說偈言:
新字:「世尊,譬如有人至親友家,酔酒而臥。是時親友官事当行,以無価宝珠、繋其衣裏,与之而去。其人酔臥,都不覚知。起已、遊行,到於他国。為衣食故,勤力求索,甚大艱難,若少有所得,便以為足。於後、親友会遇見之,而作是言:『咄哉、丈夫,何為衣食乃至如是。我昔欲令汝得安楽,五欲自恣,於某年月日,以無価宝珠、繋汝衣裏,今故現在。而汝不知,勤苦憂悩,以求自活,甚為痴也。汝今可以此宝、貿易所需,常可如意,無所乏短。』」 「仏亦如是,為菩薩時,教化我等,令発一切智心。而尋廃忘,不知不覚,既得阿羅漢道,自謂滅度,資生艱難,得少為足。一切智願,猶在、不失。今者、世尊覚悟我等,作如是言:『諸比丘,汝等所得,非究竟滅。我久令汝等種仏善根,以方便故,示涅槃相,而汝謂為実得滅度。』」 「世尊,我今乃知実是菩薩,得受阿耨多羅三藐三菩提記,以是因縁,甚大歓喜,得未曽有。」 爾時阿若憍陳如等,欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「世尊、譬えば人有りて、親友の家に至り、酔酒して臥す。是の時、親友、官事に当に行くべくして、無価の宝珠を以て、其の衣の裏に繋け、之を与えて去る。其の人酔臥して、都て覚知せず。起き已りて、遊行して、他国に到る。衣食の為の故に、勤力して求索するに、甚だ大いに艱難にして、若し少しく所得有らば、便ち以て足れりと為す。後に、親友、会いて遇いて之を見て、是の言を作す、『咄、哉、丈夫、何為れぞ衣食の為に乃ち是の如くなる。我昔汝をして安楽を得、五欲自恣ならしめんと欲して、某年月日に於て、無価の宝珠を以て、汝が衣の裏に繋けたり。今故現に在り。而るに汝知らずして、勤苦憂悩して、以て自活を求むること、甚だ癡なり。汝今此の宝を以て、需むる所に貿易せば、常に意の如くなるべく、乏短する所無けん。』」 「仏も亦是の如く、菩薩為りし時、我等を教化して、一切智の心を発さしむ。而るに尋いで廃忘して、知らず覚らず、既に阿羅漢道を得て、自ら滅度すと謂い、資生は艱難にして、少しを得て足れりと為す。一切智の願は、猶お在りて失せず。今者、世尊、我等を覚悟せしめて、是の如き言を作したもう、『諸の比丘、汝等の得る所は、究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして仏の善根を種えしめ、方便を以ての故に、涅槃の相を示せしに、而も汝実に滅度を得たりと謂えり。』」 「世尊、我今乃ち知りぬ、実に是れ菩薩にして、阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の因縁を以て、甚だ大いに歓喜し、未曽有なることを得たり。」 爾の時、阿若憍陳如等、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
「世尊、たとえば、ある人が親友の家に行って、酒に酔って寝ていたとします。そのとき親友は、公務で出かけなければならなくなり、値のつけられない宝珠を、その人の衣の裏に縫いつけて、与えて去りました。その人は酔って寝ていて、まったく気づきませんでした。起き上がると、あちこち歩いて、他の国へ行きました。衣食のために力を尽くして求めましたが、たいへんな苦労で、少しでも得られれば、それで十分だと思いました。のちに、親友がその人に出会って、こう言いました。『ああ、君、どうして衣食のためにそんなありさまなのか。私は以前、君に安楽を得て、思いのままに楽しんでほしいと思い、某年某月某日に、値のつけられない宝珠を、君の衣の裏に縫いつけた。今もそのままそこにある。それなのに君は知らず、苦労し悩んで、生計を立てようとしている。何と愚かなことか。いま、この宝で、必要なものと交換すれば、いつでも思いのままに、不足することはないだろう。』」 「仏もまたこのとおりです。菩薩であったとき、私たちを教化して、一切智を求める心を起こさせました。しかしやがて忘れてしまい、気づかず、すでに阿羅漢の道を得て、自分は滅度したと思い、暮らしは苦しく、少しを得て満足してしまいました。一切智を求める願いは、なおもあって失われていませんでした。今、世尊が私たちを目覚めさせ、このようにおっしゃいます。『比丘たちよ、あなたたちが得たものは、究極の滅ではない。私は久しく、あなたたちに仏の善根を植えさせてきた。方便のために涅槃の相を示したのに、あなたたちは本当に滅度を得たと思い込んだのである。』」 「世尊、私は今初めて知りました。自分が実は菩薩であり、この上ない悟りの記を受けることができるのだと。この因縁によって、たいへん大きな歓喜を得て、かつてない思いを抱いています。」 そのとき阿若憍陳如たちは、重ねてこの意義を述べようとして、偈を説いて言いました。
解説

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