法華経 / 五百弟子受記品第八(1)
爾時富樓那彌多羅尼子、從佛聞是智慧方便、隨宜說法,又聞授諸大弟子阿耨多羅三藐三菩提記,復聞宿世因緣之事,復聞諸佛有大自在神通之力,得未曾有,心淨踴躍。即從座起,到於佛前,頭面禮足,卻住一面,瞻仰尊顏、目不暫捨。而作是念:「世尊甚奇特,所為稀有。隨順世間若干種性,以方便知見、而為說法,拔出眾生處處貪著。我等於佛功德,言不能宣,惟佛世尊能知我等深心本願。」 爾時佛告諸比丘:「汝等見是富樓那彌多羅尼子否。我常稱其於說法人中、最為第一。亦常歎其種種功德,精勤護持,助宣我法,能於四眾、示教利喜,具足解釋佛之正法,而大饒益同梵行者。自捨如來,無能盡其言論之辯。」
新字:爾時富楼那弥多羅尼子、従仏聞是智慧方便、随宜説法,又聞授諸大弟子阿耨多羅三藐三菩提記,復聞宿世因縁之事,復聞諸仏有大自在神通之力,得未曽有,心浄踴躍。即従座起,到於仏前,頭面礼足,却住一面,瞻仰尊顔、目不暫捨。而作是念:「世尊甚奇特,所為稀有。随順世間若干種性,以方便知見、而為説法,抜出衆生処処貪著。我等於仏功徳,言不能宣,惟仏世尊能知我等深心本願。」 爾時仏告諸比丘:「汝等見是富楼那弥多羅尼子否。我常称其於説法人中、最為第一。亦常嘆其種種功徳,精勤護持,助宣我法,能於四衆、示教利喜,具足解釈仏之正法,而大饒益同梵行者。自捨如来,無能尽其言論之弁。」
書き下し
爾の時、富楼那弥多羅尼子、仏より是の智慧方便、随宜の説法を聞き、又諸の大弟子に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞き、復宿世因縁の事を聞き、復諸仏に大自在神通の力有るを聞きて、未曽有なることを得、心浄く踊躍す。即ち座より起ち、仏の前に到り、頭面に足を礼し、却って一面に住し、尊顔を瞻仰して、目暫くも捨てず。而も是の念を作す、「世尊は甚だ奇特にして、為したもう所は稀有なり。世間の若干種の性に随順し、方便知見を以て、為に法を説き、衆生処処の貪著を抜出したもう。我等は仏の功徳に於て、言宣ぶること能わず、惟だ仏世尊のみ能く我等が深心の本願を知りたもう。」 爾の時、仏、諸の比丘に告げたまわく、「汝等是の富楼那弥多羅尼子を見るや否や。我常に其の説法の人の中に於て、最も第一為りと称す。亦常に其の種種の功徳を歎ず。精勤して護持し、我が法を助宣し、能く四衆に於て、示教利喜し、具足して仏の正法を解釈し、而も同梵行者を大いに饒益す。如来を捨つる自りは、能く其の言論の辯を尽くす者無し。」
現代語訳
そのとき、富楼那弥多羅尼子は、仏から、この智慧と方便、相手に応じた説法を聞きました。また、大弟子たちにこの上ない悟りの記が授けられるのを聞き、さらに前の世の因縁のことを聞き、またさらに諸仏に大いなる自在の神通の力があることを聞いて、かつてない思いを得て、心は清らかに喜び躍りました。すぐに座から立って仏の前に進み、頭を地につけて足を礼拝し、一方に退いて、仏の尊顔を仰ぎ見て、片時も目を離しませんでした。そしてこう思いました。「世尊は何と不思議でいらっしゃり、なさることは稀有なことでしょう。世間のさまざまな性質に従い、方便の知と見によって、法を説き、衆生のあちこちにある執着を抜き取ってくださいます。私たちは仏の功徳を、言葉で述べ尽くすことができません。ただ仏世尊だけが、私たちの深い心の本願をご存じです。」 そのとき仏は、比丘たちに告げられました。「あなたたちは、この富楼那弥多羅尼子を見ているか。私は常に、説法する人たちの中で、彼が最も第一であると称えている。またいつも、さまざまな功徳を讃えている。励み努めて私の法を護り持ち、その宣布を助け、四衆に対して、示し、教え、利益を与え、喜ばせ、仏の正しい法を完全に解き明かし、同じ清らかな行いをする者たちを大いに利益してきた。如来を除いては、彼の言論と弁舌の見事さを言い尽くせる者はいない。」
解説

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法華経・五百弟子受記品第八(2)「汝等、富楼那は但だ能く我が法を護持助宣すとのみ謂うこと勿れ。亦過去九十億の諸仏の所に於て、仏の正法を護持助宣し、彼の説法の人の中に於ても、亦最も第一なり。又諸仏の所説の空法に於て、明了通達し、四無礙智を得て、常に能く審諦清浄に法を説き、疑惑有ること無く、具足して菩薩の神通の力あり。其の寿命に随いて、常に梵行を修す。彼の仏の世の人は、咸皆之を実に是れ声聞なりと謂えり。而も富楼那は斯の方便を以て、無量百千の衆生を饒益し、又無量阿僧祇の人を化して、阿耨多羅三藐三菩提に立たしむ。仏土を浄めんが為の故に、常に仏事を作し、衆生を教化す。諸の比丘、富楼那は亦七仏の説法の人の中に於て、第一を得たり。今我が所に於て説法の人の中に、亦第一為り。賢劫の中の当来の諸仏の、説法の人の中に於ても、亦復第一にして、皆護持助宣仏法せん。亦未来に於て、無量無辺の諸仏の法を護持助宣し、無量の衆生を教化饒益し、阿耨多羅三藐三菩提に立たしめん。仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進して、衆生を教化し、漸漸に菩薩の道を具足せん。
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法華経・五百弟子受記品第八(4)諸の比丘諦かに聴け、仏子の行ずる所の道は、善く方便を学ぶが故に、思議すること得べからず。 衆の小法を楽い、而も大智を畏るるを知るが故に、是の故に諸の菩薩、声聞縁覚と作る。 無数の方便を以て、諸の衆生の類を化し、自ら是れ声聞なりと説き、仏道を去ること甚だ遠しとす。 無量の衆を度脱し、皆悉く成就することを得せしむ。小欲懈怠なりと雖も、漸く当に作仏せしむべし。 内には菩薩の行を秘し、外には是れ声聞なりと現ず。少欲にして生死を厭い、実には自ら仏土を浄む。 衆に三毒有ることを示し、又邪見の相を現ず。我が弟子は是の如く、方便して衆生を度す。 若し我具足して、種種の化事を現ずることを説かば、衆生是れを聞かば、心則ち疑惑を懐かん。 今此の富楼那は、昔千億の仏に於て、勤修して行ずる所の道、諸仏の法を宣護す。 無上慧を求めんが為に、而も諸仏の所に於て、現じて弟子の上に居し、多聞にして智慧あり。 説く所無所畏にして、能く衆をして歓喜せしめ、未だ曽て疲倦有らず、而も以て仏事を助く。 已に大神通を度し、四無礙智を具し、諸根の利鈍を知り、常に清浄の法を説く。 是の如き義を演暢し、諸の千億の衆を教え、大乗の法に住せしめ、而も自ら仏土を浄む。 未来にも亦無量無数の仏を供養し、正法を護助宣べ、亦自ら仏土を浄む。 常に諸の方便を以て、説法無所畏にして、不可計の衆を度し、一切智を成就せん。 諸の如来を供養し、法宝蔵を護持し、其の後に成仏することを得て、号して名づけて法明と曰わん。 其の国を善浄と名づけ、七宝の合成する所にして、劫を名づけて宝明と為し、菩薩衆甚だ多し。 其の数無量億にして、皆大神通を度し、威徳力具足して、其の国土に充満せり。 声聞も亦無数にして、三明八解脱あり、四無礙智を得て、是れ等を以て僧と為す。 其の国の諸の衆生は、淫欲皆已に断ち、純一に変化して生じ、相を具して身を荘厳す。 法喜禅悦の食あり、更に余の食想無く、諸の女人無く、亦諸の悪道無し。 富楼那比丘は、功徳悉く成満し、当に斯の浄土を得べく、賢聖の衆甚だ多し。 是の如き無量の事を、我今但だ略して説く。
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法華経・五百弟子受記品第八(8)我等無上の、安隠なる授記の声を聞きて、歓喜すること未曽有なり、無量智の仏を礼したてまつる。 今世尊の前に於て、自ら諸の過咎を悔ゆ。無量の仏宝に於て、少しの涅槃の分を得て、 無智の愚人の如く、便ち自ら以て足れりと為せり。譬えば貧窮の人の、親友の家に往至するに、 其の家甚だ大いに富み、具さに諸の肴膳を設く。無価の宝珠を以て、内衣の裏に繋著し、 黙して与えて捨て去る、時に臥して覚知せず。是の人既に已に起き、遊行して他国に詣り、 衣食を求めて自ら済い、資生甚だ艱難なり。少しを得て便ち足れりと為し、更に好き者を願わず、 内衣の裏に、無価の宝珠有るを覚らず。珠を与えし親友、後に此の貧人を見て、 苦切に之を責め已りて、繋けし所の珠を示す。貧人此の珠を見て、其の心大いに歓喜し、 諸の財物に富有して、五欲自恣なり。我等も亦是の如く、世尊は長夜に於て、 常に愍れみて教化を見せしめ、無上の願を種えしむ。我等は無智なるが故に、覚らず亦知らず、 少しの涅槃の分を得て、自ら足りて余を求めず。今仏は我を覚悟せしめ、実の滅度に非ずと言う、 仏の無上慧を得て、爾して乃ち真の滅と為す。我今仏より授記と荘厳の事を聞き、 及び転次に決を受け、身心遍く歓喜す。
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法華経・五百弟子受記品第八(5)爾の時、千二百の阿羅漢の心自在なる者、是の念を作さく、「我等歓喜して、未曽有なることを得たり。若し世尊、各授記せられんこと、余の大弟子の如くならば、亦快からずや。」仏、此れ等の心の念う所を知り、摩訶迦葉に告げたまわく、「是の千二百の阿羅漢に、我今当に現前に次第に阿耨多羅三藐三菩薩の記を授与すべし。此の衆の中に於て、我が大弟子憍陳如比丘は、当に六万二千億の仏を供養して、然して後に成りて仏と為ることを得べし。号を普明如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰わん。其の五百の阿羅漢、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕楼駄、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀等は、皆当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。尽く同一号にして、名づけて普明と曰わん。」 爾の時、世尊重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・五百弟子受記品第八(6)憍陳如比丘は、当に無量の仏を見たてまつるべし、阿僧祇劫を過ぎて、乃ち等正覚を成ぜん。 常に大光明を放ち、諸の神通を具足し、名聞十方に遍く、一切の敬う所と為らん。 常に無上道を説く、故に号して普明と為す。其の国土は清浄にして、菩薩皆勇猛なり。 咸く妙なる楼閣に升り、諸の十方の国に遊び、無上の供具を以て、諸仏に奉献す。 是の供養を作し已りて、心に大歓喜を懐き、須臾にして本国に還る、是の如き神力有り。 仏の寿は六万劫、正法の住すること寿に倍し、像法は復是れに倍す。法滅すれば天人憂えん。 其の五百の比丘は、次第に当に仏と作るべし、同じく号して普明と曰い、転次して授記す。 我が滅度の後に、某甲当に仏と作るべし、其の化する所の世間も、亦我が今日の如くならん。 国土の厳浄なること、及び諸の神通力、菩薩声聞の衆、正法及び像法、 寿命劫の多少は、皆上に説く所の如し。迦葉汝已に知れり、五百の自在なる者を。 余の諸の声聞衆も、亦当に復是の如くなるべし。其の此の会に在らざる者は、汝当に為に宣説すべし。 爾の時、五百の阿羅漢、仏前に於て授記を受け已りて、歓喜踊躍し、即ち座より起ち、仏の前に到り、頭面に足を礼し、悔過自責す、「世尊、我等常に是の念を作し、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂えり。今乃ち之を知るに、無智の者の如し。所以は何ん。我等応に如来の智慧を得べくして、便ち自ら小智を以て足れりとせり。」
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法華経・法師品第十(1)爾の時、世尊、薬王菩薩に因りて、八万の大士に告げたまわく、「薬王、汝是の大衆の中の、無量の諸天、竜王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と非人、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是の如き等の類、咸仏前に於て、妙法華経の一偈一句、乃至一念も随喜する者は、我皆授記を与う、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」 仏、薬王に告げたまわく、「又如来の滅度の後に、若し人有りて、妙法華経の乃至一偈一句を聞き、一念も随喜せば、我も亦阿耨多羅三藐三菩提の記を授与す。若し復人有りて、妙法華経を受持し、読誦し、解説し、書写し、乃至一偈をも、此の経巻に於て、敬い視ること仏の如くし、種種に供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、乃至合掌恭敬せば、薬王、当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於て、大願を成就し、衆生を愍れむが故に、此の人間に生ぜり。」 「薬王、若し人有りて問わん、何等の衆生か、未来世に於て、当に作仏することを得べきと。応に是の諸人等は、未来世に於て、必ず作仏することを得べしと示すべし。何を以ての故に。若し善男子、善女人、法華経に於て、乃至一句も、受持し、読誦し、解説し、書写し、種種に経巻を供養し、華、香、瓔珞、末香、塗香、焼香、繒蓋、幢幡、衣服、伎楽、合掌恭敬せば、是の人は、一切世間の応に瞻奉すべき所にして、応に如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩にして、阿耨多羅三藐三菩提を成就し、衆生を哀愍して、願って此の間に生まれ、広く妙法華経を演べ分別す。何ぞ況んや尽く能く受持して、種種に供養せんをや。」