法華経 / 五百弟子受記品第八(6)
憍陳如比丘,當見無量佛,過阿僧祇劫,乃成等正覺。 常放大光明,具足諸神通,名聞遍十方,一切之所敬。 常說無上道,故號為普明,其國土清淨,菩薩皆勇猛。 咸升妙樓閣,遊諸十方國,以無上供具,奉獻於諸佛。 作是供養已,心懷大歡喜,須臾還本國,有如是神力。 佛壽六萬劫,正法住倍壽,像法復倍是,法滅天人憂。 其五百比丘,次第當作佛,同號曰普明,轉次而授記。 我滅度之後,某甲當作佛,其所化世間,亦如我今日。 國土之嚴淨,及諸神通力,菩薩聲聞眾,正法及像法。 壽命劫多少,皆如上所說,迦葉汝已知,五百自在者。 餘諸聲聞眾,亦當復如是,其不在此會,汝當為宣說。 爾時五百阿羅漢、於佛前得受記已,歡喜踴躍,即從座起,到於佛前,頭面禮足,悔過自責:「世尊,我等常作是念,自謂已得究竟滅度,今乃知之、如無智者。所以者何。我等應得如來智慧,而便自以小智為足。」
新字:憍陳如比丘,当見無量仏,過阿僧祇劫,乃成等正覚。 常放大光明,具足諸神通,名聞遍十方,一切之所敬。 常説無上道,故号為普明,其国土清浄,菩薩皆勇猛。 咸升妙楼閣,遊諸十方国,以無上供具,奉献於諸仏。 作是供養已,心懐大歓喜,須臾還本国,有如是神力。 仏寿六万劫,正法住倍寿,像法復倍是,法滅天人憂。 其五百比丘,次第当作仏,同号曰普明,転次而授記。 我滅度之後,某甲当作仏,其所化世間,亦如我今日。 国土之厳浄,及諸神通力,菩薩声聞衆,正法及像法。 寿命劫多少,皆如上所説,迦葉汝已知,五百自在者。 余諸声聞衆,亦当復如是,其不在此会,汝当為宣説。 爾時五百阿羅漢、於仏前得受記已,歓喜踴躍,即従座起,到於仏前,頭面礼足,悔過自責:「世尊,我等常作是念,自謂已得究竟滅度,今乃知之、如無智者。所以者何。我等応得如来智慧,而便自以小智為足。」
書き下し
憍陳如比丘は、当に無量の仏を見たてまつるべし、阿僧祇劫を過ぎて、乃ち等正覚を成ぜん。 常に大光明を放ち、諸の神通を具足し、名聞十方に遍く、一切の敬う所と為らん。 常に無上道を説く、故に号して普明と為す。其の国土は清浄にして、菩薩皆勇猛なり。 咸く妙なる楼閣に升り、諸の十方の国に遊び、無上の供具を以て、諸仏に奉献す。 是の供養を作し已りて、心に大歓喜を懐き、須臾にして本国に還る、是の如き神力有り。 仏の寿は六万劫、正法の住すること寿に倍し、像法は復是れに倍す。法滅すれば天人憂えん。 其の五百の比丘は、次第に当に仏と作るべし、同じく号して普明と曰い、転次して授記す。 我が滅度の後に、某甲当に仏と作るべし、其の化する所の世間も、亦我が今日の如くならん。 国土の厳浄なること、及び諸の神通力、菩薩声聞の衆、正法及び像法、 寿命劫の多少は、皆上に説く所の如し。迦葉汝已に知れり、五百の自在なる者を。 余の諸の声聞衆も、亦当に復是の如くなるべし。其の此の会に在らざる者は、汝当に為に宣説すべし。 爾の時、五百の阿羅漢、仏前に於て授記を受け已りて、歓喜踊躍し、即ち座より起ち、仏の前に到り、頭面に足を礼し、悔過自責す、「世尊、我等常に是の念を作し、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂えり。今乃ち之を知るに、無智の者の如し。所以は何ん。我等応に如来の智慧を得べくして、便ち自ら小智を以て足れりとせり。」
現代語訳
憍陳如比丘は、無量の仏にお会いし、阿僧祇劫を過ぎて、ようやく正しい悟りを成就するであろう。いつも大きな光明を放ち、諸の神通を具え、名声は十方にあまねく広がり、すべての人から敬われるであろう。いつも無上の道を説くので、号を普明という。その国土は清浄で、菩薩たちはみな勇猛である。みな美しい楼閣に昇り、十方の国々に遊び、無上の供養の品をもって、諸仏に捧げる。この供養を終えると、心に大きな歓喜を抱き、わずかな間に自分の国に帰る。このような神通の力がある。 仏の寿命は六万劫、正法が世にとどまる期間は寿命の倍、像法はさらにその倍である。法が滅びると、天と人は憂えるであろう。その五百人の比丘は、順次に仏となり、同じく普明と号し、次々に授記を受ける。私が亡くなった後に、だれそれが仏となり、その教化する世間は、今日の私のところと同じようであろう。国土の厳かな清らかさ、諸の神通力、菩薩と声聞の衆、正法と像法、寿命と劫の長さは、みな上に説いたとおりである。迦葉よ、あなたはすでに知っている、この五百人の自在な者たちを。ほかの声聞の衆も、またこのようになるであろう。この会にいない者がいれば、あなたが彼らのために宣べ伝えなさい。 そのとき、五百人の阿羅漢は、仏の前で授記を受けると、歓喜して躍り、すぐに座から立って仏の前に進み、頭を地につけて足を礼拝し、過ちを悔い、自らを責めました。「世尊、私たちはいつもこう思っていました。自分はすでに究極の滅度を得たのだと。しかし今初めて分かりました。私たちは知恵のない者のようでした。なぜなら、私たちは如来の智慧を得るべきであったのに、小さな智慧で自分は十分だと思い込んでいたからです。」
解説

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法華経・五百弟子受記品第八(5)爾の時、千二百の阿羅漢の心自在なる者、是の念を作さく、「我等歓喜して、未曽有なることを得たり。若し世尊、各授記せられんこと、余の大弟子の如くならば、亦快からずや。」仏、此れ等の心の念う所を知り、摩訶迦葉に告げたまわく、「是の千二百の阿羅漢に、我今当に現前に次第に阿耨多羅三藐三菩薩の記を授与すべし。此の衆の中に於て、我が大弟子憍陳如比丘は、当に六万二千億の仏を供養して、然して後に成りて仏と為ることを得べし。号を普明如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰わん。其の五百の阿羅漢、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕楼駄、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀等は、皆当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。尽く同一号にして、名づけて普明と曰わん。」 爾の時、世尊重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・授記品第六(2)諸の比丘に告ぐ、我、仏眼を以て、是の迦葉を見るに、未来世に於て、 無数劫を過ぎて、当に作仏することを得べし。而も来世に於て、供養し奉覲すること、 三百万億の、諸仏世尊に、仏の智慧の為に、浄く梵行を修せん。 最上の、二足尊を供養し已りて、一切の、無上の慧を修習し、 最後身に於て、成仏することを得ん。其の土は清浄にして、瑠璃を地と為し、 多く諸の宝樹あり、道の側に行列し、金縄もて道を界い、見る者歓喜す。 常に好き香を出し、衆の名華を散らし、種種の奇妙なるを、以て荘厳と為す。 其の地は平正にして、丘坑有ること無し。諸の菩薩衆は、称計すべからず、 其の心は調柔にして、大神通に逮び、諸仏の、大乗経典を奉持す。 諸の声聞衆は、無漏の後身にして、法王の子なり、亦計るべからず、 乃ち天眼を以てするも、数え知ること能わず。其の仏の当に寿なるべきは、十二小劫、 正法の世に住すること、二十小劫、像法も亦住すること、二十小劫なり。 光明世尊、其の事、是くの如し。 爾の時、大目犍連、須菩提、摩訶迦旃延等、皆悉く悚慄し、一心に合掌して、尊顔を瞻仰し、目を暫くも捨てず、即ち共に同声に偈を説きて言わく、 大雄猛世尊、諸釈の法王、我等を哀愍するが故に、而も仏の音声を賜え。 若し我が深心を知り、見て授記を為さば、甘露を以て灑ぎ、熱を除きて清涼を得るが如し。 饑国より来りて、忽ちに大王の膳に遇い、心猶お疑懼を懐き、未だ敢て即便ち食わず、 若し復た王の教えを得ば、然して後に乃ち敢て食らうが如し。我等も亦是くの如し、毎に小乗の過ちを惟い、 当に云何にして、仏の無上の慧を得べきかを知らず。仏の音声を聞くと雖も、我等作仏せんと言いたまうに、 心尚お憂懼を懐き、未だ敢て便ち食わざるが如し、若し仏の授記を蒙らば、爾して乃ち快く安楽ならん。 大雄猛世尊、常に世間を安んぜんと欲したまう、願わくは我等に記を賜え、饑えて教えを需めて食らうが如し。
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法華経・授記品第六(1)爾の時、世尊、是の偈を説き已りて、諸の大衆に告げ、是くの如き言を唱えたまわく、「我が此の弟子、摩訶迦葉は、未来世に於て、当に三百万億の諸仏世尊に奉覲し、供養、恭敬、尊重、讃歎して、広く諸仏の無量の大法を宣ぶべし。最後身に於て、成仏することを得、名づけて光明如来、応供、正遍知、明行足、善逝世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰わん。国を光徳と名づけ、劫を大荘厳と名づく。仏の寿は十二小劫、正法の世に住すること二十小劫、像法も亦二十小劫住せん。国界は厳飾にして、諸の穢悪、瓦礫荊棘、便利の不浄無し。其の土は平正にして、高下、坑坎堆阜有ること無し。瑠璃を地と為し、宝樹行列し、黄金を縄と為して、以て道の側を界い、諸の宝華を散らして、周遍して清浄なり。其の国の菩薩は無量千億にして、諸の声聞衆も亦無数なり、魔事有ること無し、魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん。」 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
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法華経・五百弟子受記品第八(4)諸の比丘諦かに聴け、仏子の行ずる所の道は、善く方便を学ぶが故に、思議すること得べからず。 衆の小法を楽い、而も大智を畏るるを知るが故に、是の故に諸の菩薩、声聞縁覚と作る。 無数の方便を以て、諸の衆生の類を化し、自ら是れ声聞なりと説き、仏道を去ること甚だ遠しとす。 無量の衆を度脱し、皆悉く成就することを得せしむ。小欲懈怠なりと雖も、漸く当に作仏せしむべし。 内には菩薩の行を秘し、外には是れ声聞なりと現ず。少欲にして生死を厭い、実には自ら仏土を浄む。 衆に三毒有ることを示し、又邪見の相を現ず。我が弟子は是の如く、方便して衆生を度す。 若し我具足して、種種の化事を現ずることを説かば、衆生是れを聞かば、心則ち疑惑を懐かん。 今此の富楼那は、昔千億の仏に於て、勤修して行ずる所の道、諸仏の法を宣護す。 無上慧を求めんが為に、而も諸仏の所に於て、現じて弟子の上に居し、多聞にして智慧あり。 説く所無所畏にして、能く衆をして歓喜せしめ、未だ曽て疲倦有らず、而も以て仏事を助く。 已に大神通を度し、四無礙智を具し、諸根の利鈍を知り、常に清浄の法を説く。 是の如き義を演暢し、諸の千億の衆を教え、大乗の法に住せしめ、而も自ら仏土を浄む。 未来にも亦無量無数の仏を供養し、正法を護助宣べ、亦自ら仏土を浄む。 常に諸の方便を以て、説法無所畏にして、不可計の衆を度し、一切智を成就せん。 諸の如来を供養し、法宝蔵を護持し、其の後に成仏することを得て、号して名づけて法明と曰わん。 其の国を善浄と名づけ、七宝の合成する所にして、劫を名づけて宝明と為し、菩薩衆甚だ多し。 其の数無量億にして、皆大神通を度し、威徳力具足して、其の国土に充満せり。 声聞も亦無数にして、三明八解脱あり、四無礙智を得て、是れ等を以て僧と為す。 其の国の諸の衆生は、淫欲皆已に断ち、純一に変化して生じ、相を具して身を荘厳す。 法喜禅悦の食あり、更に余の食想無く、諸の女人無く、亦諸の悪道無し。 富楼那比丘は、功徳悉く成満し、当に斯の浄土を得べく、賢聖の衆甚だ多し。 是の如き無量の事を、我今但だ略して説く。
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法華経・五百弟子受記品第八(3)無量阿僧祇劫を過ぎて、当に此の土に於て阿耨多羅三藐三菩提を得べし。号を法明如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰う。」其の仏は、恒河沙等の三千大千世界を以て一仏土と為し、七宝を地と為し、地の平らかなること掌の如く、山陵、渓澗、溝壑無く、七宝の台観、其の中に充満し、諸天の宮殿は、近く虚空に処し、人天交接して、両つながら相見ることを得。諸の悪道無く、亦女人無し。一切衆生は、皆化生を以てし、淫欲有ること無し。大神通を得て、身より光明を出し、飛行自在にして、志念堅固に、精進智慧あり、普く皆金色にして、三十二相もて自ら荘厳す。其の国の衆生は、常に二食を以てす。一には法喜食、二には禅悦食なり。無量阿僧祇千万億那由他の諸の菩薩衆有りて、大神通、四無礙智を得て、善く衆生の類を教化す。其の声聞衆は、算数校計して知ること能わざる所にして、皆六通、三明、及び八解脱を具足することを得たり。其の仏の国土には、是の如き等の無量の功徳荘厳成就すること有り。劫を宝明と名づけ、国を善浄と名づく。其の仏の寿命は無量阿僧祇劫なり。 法の住すること甚だ久しく、仏の滅度の後、七宝の塔を起てて、其の国に遍満す。 爾の時、世尊重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・五百弟子受記品第八(8)我等無上の、安隠なる授記の声を聞きて、歓喜すること未曽有なり、無量智の仏を礼したてまつる。 今世尊の前に於て、自ら諸の過咎を悔ゆ。無量の仏宝に於て、少しの涅槃の分を得て、 無智の愚人の如く、便ち自ら以て足れりと為せり。譬えば貧窮の人の、親友の家に往至するに、 其の家甚だ大いに富み、具さに諸の肴膳を設く。無価の宝珠を以て、内衣の裏に繋著し、 黙して与えて捨て去る、時に臥して覚知せず。是の人既に已に起き、遊行して他国に詣り、 衣食を求めて自ら済い、資生甚だ艱難なり。少しを得て便ち足れりと為し、更に好き者を願わず、 内衣の裏に、無価の宝珠有るを覚らず。珠を与えし親友、後に此の貧人を見て、 苦切に之を責め已りて、繋けし所の珠を示す。貧人此の珠を見て、其の心大いに歓喜し、 諸の財物に富有して、五欲自恣なり。我等も亦是の如く、世尊は長夜に於て、 常に愍れみて教化を見せしめ、無上の願を種えしむ。我等は無智なるが故に、覚らず亦知らず、 少しの涅槃の分を得て、自ら足りて余を求めず。今仏は我を覚悟せしめ、実の滅度に非ずと言う、 仏の無上慧を得て、爾して乃ち真の滅と為す。我今仏より授記と荘厳の事を聞き、 及び転次に決を受け、身心遍く歓喜す。