法華経 / 五百弟子受記品第八(5)
爾時千二百阿羅漢心自在者、作是念:「我等歡喜,得未曾有,若世尊各見授記、如餘大弟子者,不亦快乎。」佛知此等心之所念,告摩訶迦葉:「是千二百阿羅漢,我今當現前次第與授阿耨多羅三藐三菩薩記。於此眾中,我大弟子憍陳如比丘,當供養六萬二千億佛,然後得成為佛,號曰普明如來、應供、正遍知、明行足、善逝世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。其五百阿羅漢、優樓頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕樓馱、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀、等,皆當得阿耨多羅三藐三菩提,盡同一號,名曰普明。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:爾時千二百阿羅漢心自在者、作是念:「我等歓喜,得未曽有,若世尊各見授記、如余大弟子者,不亦快乎。」仏知此等心之所念,告摩訶迦葉:「是千二百阿羅漢,我今当現前次第与授阿耨多羅三藐三菩薩記。於此衆中,我大弟子憍陳如比丘,当供養六万二千億仏,然後得成為仏,号曰普明如来、応供、正遍知、明行足、善逝世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊。其五百阿羅漢、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕楼馱、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀、等,皆当得阿耨多羅三藐三菩提,尽同一号,名曰普明。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
爾の時、千二百の阿羅漢の心自在なる者、是の念を作さく、「我等歓喜して、未曽有なることを得たり。若し世尊、各授記せられんこと、余の大弟子の如くならば、亦快からずや。」仏、此れ等の心の念う所を知り、摩訶迦葉に告げたまわく、「是の千二百の阿羅漢に、我今当に現前に次第に阿耨多羅三藐三菩薩の記を授与すべし。此の衆の中に於て、我が大弟子憍陳如比丘は、当に六万二千億の仏を供養して、然して後に成りて仏と為ることを得べし。号を普明如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と曰わん。其の五百の阿羅漢、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕楼駄、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀等は、皆当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。尽く同一号にして、名づけて普明と曰わん。」 爾の時、世尊重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
そのとき、千二百人の、心が自在となった阿羅漢たちは、こう思いました。「私たちは歓喜して、かつてない思いを得ました。もし世尊が、他の大弟子たちのように、私たち一人ひとりにも授記してくださるなら、それは何と喜ばしいことでしょう。」仏はこの人々の心の思いを知り、摩訶迦葉に告げられました。「この千二百の阿羅漢に、私は今、目の前で順番に、この上ない悟りの記を授けよう。この衆の中で、私の大弟子である憍陳如比丘は、六万二千億の仏を供養して、その後に仏となることができる。号を普明如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊という。その五百の阿羅漢である、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿冕楼駄、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀たちは、みなこの上ない悟りを得るであろう。みな同じ号で、普明というのである。」 そのとき世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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