法華経 / 化城喻品第七(14)
「諸比丘,如來亦復如是,今為汝等作大導師,知諸生死煩惱惡道,險難長遠,應去應度。若眾生但聞一佛乘者,則不欲見佛,不欲親近,便作是念:『佛道長遠,久受勤苦,乃可得成。』佛知是心,怯弱下劣,以方便力,而於中道為止息故,說二涅槃。若眾生住於二地,如來爾時即便為說:『汝等所作未辦,汝所住地、近於佛慧,當觀察籌量所得涅槃,非真實也。但是如來方便之力,於一佛乘、分別說三。』如彼導師,為止息故,化作大城。既知息已,而告之言:『寶處在近,此城非實,我化作耳。』」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:「諸比丘,如来亦復如是,今為汝等作大導師,知諸生死煩悩悪道,険難長遠,応去応度。若衆生但聞一仏乗者,則不欲見仏,不欲親近,便作是念:『仏道長遠,久受勤苦,乃可得成。』仏知是心,怯弱下劣,以方便力,而於中道為止息故,説二涅槃。若衆生住於二地,如来爾時即便為説:『汝等所作未辦,汝所住地、近於仏慧,当観察籌量所得涅槃,非真実也。但是如来方便之力,於一仏乗、分別説三。』如彼導師,為止息故,化作大城。既知息已,而告之言:『宝処在近,此城非実,我化作耳。』」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「諸の比丘、如来も亦復是の如し。今汝等が為に大導師と作り、諸の生死煩悩の悪道は、険難長遠にして、応に去るべく応に度すべきを知る。若し衆生、但だ一仏乗を聞かば、則ち仏を見んと欲せず、親近せんと欲せず、便ち是の念を作さん、『仏道は長遠にして、久しく勤苦を受けて、乃ち成ずべし。』仏は是の心の怯弱下劣なるを知りて、方便力を以て、中道に於て止息せんが為の故に、二涅槃を説く。若し衆生、二地に住せば、如来爾の時即便ち為に説かん、『汝等の所作は未だ辦ぜず、汝が住する地は、仏慧に近し。当に観察籌量すべし、得る所の涅槃は、真実に非ず。但だ是れ如来の方便の力にして、一仏乗に於て、分別して三を説くのみ。』彼の導師の、止息せんが為に、大城を化作し、既に息み已れるを知りて、之に告げて言わく、『宝処は近きに在り、此の城は実に非ず、我が化作するのみ』というが如し。」 爾の時、世尊重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
「比丘たちよ、如来もまたこれと同じである。今あなたたちのために大導師となり、生死と煩悩の悪道が、険しく困難で長く遠く、越えなければならない道であることを知っている。もし衆生がただ一仏乗だけを聞けば、仏に会いたいとも、親しみ近づきたいとも思わず、こう考えるだろう。『仏道は長く遠く、長いあいだ苦労を重ねて、ようやく成就できるものだ。』仏は、この心が臆病で劣っていることを知り、方便の力で、道の途中で休ませるために、二つの涅槃を説く。もし衆生が二乗の境地にいるなら、如来はそのとき、すぐに彼らのために説く。『あなたたちのなすべきことはまだ終わっていない。あなたたちのいる境地は、仏の智慧に近い。得た涅槃を、よく観察し、はかってみなさい。それは真実のものではない。ただ如来の方便の力で、一仏乗を、分けて三つとして説いただけである。』それは、あの導師が、休ませるために大きな城を化作し、すでに休んだと知って、『宝のある所は近い、この城は実のものではなく、私が化作しただけだ』と告げたのと同じである。」 そのとき世尊は、重ねてこの意義を述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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