法華経 / 信解品第四(6)
「世尊,大富長者、則是如來,我等皆似佛子,如來常說、我等為子。世尊,我等以三苦故,於生死中、受諸熱惱,迷惑無知,樂著小法。今日世尊,令我等思惟捐除諸法戲論之糞,我等於中勤加精進,得至涅槃一日之價,既得此已,心大歡喜,自以為足,便自謂言:『於佛法中勤精進故,所得宏多。』然世尊先知我等心著敝欲,樂於小法,便見縱捨,不為分別、汝等當有如來知見寶藏之分。世尊以方便力、說如來智慧,我等從佛,得涅槃一日之價,以為大得,於此大乘,無有志求。我等又因如來智慧,為諸菩薩,開示演說,而自於此無有志願。所以者何。佛知我等心樂小法,以方便力、隨我等說,而我等不知真是佛子。今我等方知世尊於佛智慧、無所吝惜。所以者何。我等昔來真是佛子,而但樂小法,若我等有樂大之心,佛則為我說大乘法。於此經中、唯說一乘,而昔於菩薩前、毀呰聲聞樂小法者,然佛實以大乘教化,是故我等說、本無心有所希求。今法王大寶自然而至,如佛子所應得者、皆已得之。」 爾時摩訶迦葉欲重宣此義,而說偈言:
新字:「世尊,大富長者、則是如来,我等皆似仏子,如来常説、我等為子。世尊,我等以三苦故,於生死中、受諸熱悩,迷惑無知,楽著小法。今日世尊,令我等思惟捐除諸法戯論之糞,我等於中勤加精進,得至涅槃一日之価,既得此已,心大歓喜,自以為足,便自謂言:『於仏法中勤精進故,所得宏多。』然世尊先知我等心著敝欲,楽於小法,便見縦捨,不為分別、汝等当有如来知見宝蔵之分。世尊以方便力、説如来智慧,我等従仏,得涅槃一日之価,以為大得,於此大乗,無有志求。我等又因如来智慧,為諸菩薩,開示演説,而自於此無有志願。所以者何。仏知我等心楽小法,以方便力、随我等説,而我等不知真是仏子。今我等方知世尊於仏智慧、無所吝惜。所以者何。我等昔来真是仏子,而但楽小法,若我等有楽大之心,仏則為我説大乗法。於此経中、唯説一乗,而昔於菩薩前、毀呰声聞楽小法者,然仏実以大乗教化,是故我等説、本無心有所希求。今法王大宝自然而至,如仏子所応得者、皆已得之。」 爾時摩訶迦葉欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「世尊、大富の長者は、則ち是れ如来なり、我等は皆、仏子に似たり、如来は常に説きたまわく、我等を子と為す、と。世尊、我等は三苦を以ての故に、生死の中に於て、諸の熱悩を受け、迷惑無知にして、小法を楽著す。今日、世尊、我等をして諸法の戯論の糞を思惟し捐除せしめたまう、我等、其の中に於て勤めて精進を加え、涅槃の一日の価を得るに至れり、既に此れを得已りて、心大いに歓喜し、自ら以て足れりと為し、便ち自ら謂いて言わく、仏法の中に於て勤め精進せるが故に、得る所宏多なり、と。然るに世尊、先に我等が心の敝欲に著し、小法を楽うを知りて、便ち縦捨せられ、為に分別せず、汝等、当に如来の知見の宝蔵の分有るべし、と。世尊、方便力を以て、如来の智慧を説きたまうに、我等、仏に従いて、涅槃の一日の価を得て、以て大いに得たりと為し、此の大乗に於て、志求有ること無し。我等、又、如来の智慧に因りて、諸の菩薩の為に、開示演説すれども、自ら此に於て志願有ること無し。所以は何ん。仏は我等が心の小法を楽うを知り、方便力を以て、我等に随いて説きたまうに、我等は真に是れ仏子なることを知らず。今、我等、方に世尊の仏智慧に於て、吝惜する所無きことを知れり。所以は何ん。我等、昔より来、真に是れ仏子なるに、但だ小法を楽えり、若し我等、大を楽う心有らば、仏は則ち我が為に大乗の法を説きたまわん。此の経の中に於て、唯だ一乗を説きたまう、而るに昔、菩薩の前に於て、声聞の小法を楽う者を毀呰したまいしは、然も仏は実に大乗を以て教化したまえるなり、是の故に我等、本より心に希求する所有ること無し、と説く。今、法王の大宝、自然にして至れり、仏子の応に得べき所の如きは、皆已に之を得たり。」 爾の時、摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
現代語訳
世尊、大富の長者とは如来のことであり、私たちはみな仏の子に似ています。如来はいつも、私たちを子であるとおっしゃいます。世尊、私たちは三つの苦しみのために、生死の世界で様々な熱い悩みを受け、迷い、無知で、小さな教えを好んでそれに執着してきました。今日、世尊は、私たちにあらゆる理屈のこねまわし、つまり戯論という糞を思い量って捨てさせてくださいました。私たちはその中で励んで精進を重ね、涅槃という一日分の賃金を得るに至りました。これを得て大いに喜び、これで足りたと思い、仏の教えで励んだから得たものは大きい、と自ら言ってきました。ところが世尊は、以前から、私たちの心が粗末な欲に執着し、小さな教えを好むことを知っておられ、放っておいて、区別を示してくださいませんでした。あなたたちには如来の知見という宝の蔵の分け前がある、とも言われませんでした。世尊は方便の力で如来の智慧を説かれ、私たちは仏に従って涅槃という一日分の賃金を得て、それを大きな収穫だと思い、この大乗に求める志を持ちませんでした。私たちはまた、如来の智慧にもとづいて、菩薩たちのために説き示してきましたが、自分ではそれに志願を持ちませんでした。なぜでしょうか。仏は、私たちが小さな教えを好むと知り、方便の力で私たちに合わせて説かれたのに、私たちは自分が本当に仏の子であることを知らなかったからです。今、私たちはようやく、世尊が仏の智慧について少しも惜しまれないことを知りました。なぜなら、私たちは昔から本当に仏の子でありながら、ただ小さな教えを好んでいただけで、もし私たちに大きなものを願う心があれば、仏は私たちのために大乗の教えを説かれたはずだからです。この経では、ただ一乗だけが説かれています。以前、菩薩たちの前で、小さな教えを好む声聞を叱り咎められたのも、実は仏が大乗によって教え導いておられたのです。ですから私たちは、本来求める心などなかったのに、と申すのです。今、法王の大いなる宝が自然に届き、仏の子として得るべきものを、すべて得ました。」 そのとき摩訶迦葉は、この意味をもう一度述べようとして、偈を説いて言いました。
解説

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