法華経 / 信解品第四(5)
「世尊,爾時長者有疾,自知將死不久。語窮子言:『我今多有金銀珍寶,倉庫盈溢,其中多少、所應取與,汝悉知之,我心如是,當體此意。所以者何。今我與汝,便為不異,宜加用心,無令漏失。』爾時窮子,即受教敕,領知眾物、金銀珍寶、及諸庫藏,而無希取一餐之意,然其所止,故在本處,下劣之心、亦未能捨。復經少時,父知子意,漸已通泰,成就大志,自鄙先心。臨欲終時、而命其子、並會親、族、國王、大臣、剎利、居士,皆悉已集,即自宣言:『諸君當知,此是我子,我之所生,於某城中、捨吾逃走,伶俜辛苦、五十餘年,其本字某,我名某甲,昔在本城、懷憂推覓,忽於此間、遇會得之,此實我子,我實其父,今我所有一切財物,皆是子有,先所出內,是子所知。世尊,是時窮子聞父此言,即大歡喜、得未曾有,而作是念,我本無心、有所希求,今此寶藏自然而至。』」
新字:「世尊,爾時長者有疾,自知将死不久。語窮子言:『我今多有金銀珍宝,倉庫盈溢,其中多少、所応取与,汝悉知之,我心如是,当体此意。所以者何。今我与汝,便為不異,宜加用心,無令漏失。』爾時窮子,即受教勅,領知衆物、金銀珍宝、及諸庫蔵,而無希取一餐之意,然其所止,故在本処,下劣之心、亦未能捨。復経少時,父知子意,漸已通泰,成就大志,自鄙先心。臨欲終時、而命其子、並会親、族、国王、大臣、刹利、居士,皆悉已集,即自宣言:『諸君当知,此是我子,我之所生,於某城中、捨吾逃走,伶俜辛苦、五十余年,其本字某,我名某甲,昔在本城、懐憂推覓,忽於此間、遇会得之,此実我子,我実其父,今我所有一切財物,皆是子有,先所出内,是子所知。世尊,是時窮子聞父此言,即大歓喜、得未曽有,而作是念,我本無心、有所希求,今此宝蔵自然而至。』」
書き下し
「世尊、爾の時、長者、疾有り、自ら死の久しからざるを知る。窮子に語りて言わく、『我、今、多く金銀珍宝有り、倉庫盈ち溢れたり。其の中の多少、取り与うべき所は、汝、悉く之を知れ。我が心、是くの如し、当に此の意を体すべし。所以は何ん。今、我と汝と、便ち異ならず、宜しく用心を加え、漏失せしむること無かれ』と。爾の時、窮子、即ち教勅を受け、衆物、金銀珍宝、及び諸の庫蔵を領知すれども、一餐を希い取る意無し。然も其の止まる所は、故に本処に在り、下劣の心も、亦未だ捨つること能わず。復少時を経て、父、子の意、漸く已に通泰して、大志を成就し、先の心を自ら鄙しむを知る。終らんと欲する時に臨みて、其の子に命じ、並びに親、族、国王、大臣、刹利、居士を会し、皆悉く已に集まるや、即ち自ら宣言す、『諸君、当に知るべし、此れは是れ我が子にして、我が生む所なり、某の城の中に於て、吾を捨てて逃走し、伶俜辛苦すること、五十余年なり、其の本の字は某、我が名は某甲、昔、本城に在りて、憂いを懐きて推覓し、忽ちに此の間に於て、遇い会いて之を得たり、此れは実に我が子、我は実に其の父なり、今、我が所有の一切の財物は、皆是れ子の有なり、先に出内する所は、是れ子の知る所なり』と。世尊、是の時、窮子、父の此の言を聞き、即ち大いに歓喜し、未曾有なることを得て、是の念を作さく、我、本心に希求する所有ること無かりしに、今、此の宝蔵、自然にして至れり、と。」
現代語訳
世尊、そのころ長者は病にかかり、死が遠くないと自ら悟りました。そこで窮子に言いました。「私には今、多くの金銀や珍しい宝があり、倉庫に満ちあふれている。その中身の多少、どれを取り、どれを与えるべきかは、君がすべて承知している。私の心もそのとおりだ、この意を汲みなさい。なぜなら、今の私と君は、もう少しも違わない。よく心を用い、失うことのないようにしなさい」。そのとき窮子はすぐこの言いつけを受け、財宝や蔵のすべてを預かり管理しましたが、わずかな食べ物ひとつさえ取ろうとする気はありませんでした。それでも住む場所は元のままで、卑しい心もまだ捨てられませんでした。しばらくして、父は子の心が次第にのびやかに通じ、大きな志を成し遂げ、かつての卑屈な心を自ら恥じるようになったことを知りました。臨終が近づくと、父は子に命じ、親族、国王、大臣、武人の階級、在家の有力者を集めました。みなが集まると、父は自ら宣言しました。「皆さん、知ってください。これは私の子、私が生んだ子です。ある城で私を捨てて逃げ出し、独りさまよい苦労すること五十年余り。もとの名は何々、私の名は何々。昔、もとの城で心を痛めて探し続けましたが、思いがけずこの場所で出会い、見つけました。これは本当に私の子、私は本当にその父です。今、私の持つ一切の財物はすべて子のものです。以前から出し入れしてきたことも、この子がよく知っています」。世尊、このとき窮子は父の言葉を聞くと、大いに喜び、かつてない思いに満たされて、こう考えました。「私はもともと求める心などなかったのに、今、この宝の蔵が自然に私のもとにやって来た」と。」
解説

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関連する章句
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法華経・信解品第四(2)「世尊、我等今者、譬喩を説きて以て斯の義を明らかにせんと楽う。譬えば人有りて、年既に幼稚にして、父を捨てて逃げ逝き、久しく他国に住すること、或いは十、二十、五十歳に至り、年既に長大にして、加えて復窮困し、四方に馳騁して、以て衣食を求め、漸漸に遊行して、遇たま本国に向かう。其の父は先に来たりて、子を求むれども得ず、中ごろ一城に止まれり。其の家は大富にして、財宝無量なり、金・銀・琉璃・珊瑚・琥珀・玻璃・珠等あり、其の諸の倉庫は、悉く皆盈溢し、多く僮僕・臣佐・吏民あり、象・馬・車乗・牛羊、無数なり、出入息利は、乃ち他国に遍く、商估・賈客も亦甚だ衆多なり。時に貧窮の子、諸の聚落に遊び、国邑を経歴して、遂に其の父の止まる所の城に到る。父母は子を念い、子と離別すること五十余年なるも、未だ曽て人に此の如き事を説かず、但自ら思惟して、心に悔恨を懐く、自ら念えらく、老朽して、多く財物あり、金銀珍宝、倉庫盈溢すれども、子息無し、一旦終没せば、財物散失して、委付する所無からん、是を以て殷勤に、毎に其の子を憶う、と。復是の念を作す、『我若し子を得て、財物を委付せば、坦然として快楽し、復憂慮無けん』と。」
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法華経・信解品第四(3)「世尊、爾の時窮子、傭賃して展転し、遇たま父の舎に到り、門側に住立す。遙かに其の父の、師子の床に踞し、宝几もて足を承け、諸の婆羅門・刹利・居士、皆恭敬して囲繞し、真珠の瓔珞、価値千万なるを以て、其の身を荘厳し、吏民・僮僕、手に白払を執りて、左右に侍立するを見る。覆うに宝帳を以てし、諸の華幡を垂れ、香水を地に灑ぎ、衆の名華を散らし、宝物を羅列し、出内取与す、是の如き等の種種の厳飾有りて、威徳特に尊し。窮子父の大力勢有るを見て、即ち恐怖を懐き、此に来たりしを悔ゆ。竊かに是の念を作す、此れ或いは是れ王、或いは是れ王に等しき者にして、我が傭力して物を得る処に非ず、如かず貧里に往至せんには、力を肆にするに地有り、衣食得易し、若し久しく此に住せば、或いは逼迫せられ、強いて我に作さしめん、と。是の念を作し已りて、疾く走りて去る。」 「時に富める長者は師子座に於いて、子を見て便ち識り、心に大歓喜す。即ち是の念を作す、『我が財物庫蔵、今付する所有り、我常に此の子を思念すれども、之を見るに由無し、而るに忽ち自ら来たる、甚だ我が願いに適えり、我年朽ちたりと雖も、猶故貪惜す』と。即ち傍人を遣わし、急ぎ追いて将い還らしむ。爾の時使者、疾く走りて往きて捉う。窮子驚愕し、怨みを称えて大いに喚ぶ、『我は相犯さず、何為れぞ捉えらるるや』と。使者之を執ること愈急にして、強いて牽きて将い還る。時に窮子、自ら罪無きに囚執せらると念い、此れ必ず定めて死なんと、転た更に惶怖し、悶絶して地に躄る。父遙かに之を見て、使に語りて言わく、『此の人を需いず、強いて将い来たること勿れ、冷水を以て面に灑ぎ、醒悟することを得しめよ、復与に語ること莫れ』と。所以は何ん。父其の子の、志意下劣なるを知り、自ら豪貴にして、子の難とする所と為るを知り、審らかに是れ子なりと知れども、方便を以て、他人に語らず、是れ我が子なりと云わず。使者之に語る、『我今汝を放つ、意の趨く所に随え』と。窮子歓喜し、未曽有なることを得て、地より起ちて、貧里に往至し、以て衣食を求む。」
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法華経・信解品第四(7)我等、今日、仏の音教を聞き、歓喜踊躍して、未曾有なることを得たり。仏は説きたまう、声聞も、当に作仏することを得べし、と。無上の宝聚、求めずして自ら得たり。 譬えば童子の、幼稚にして無識なる、父を捨てて逃げ逝き、遠く他土に到り、諸国を周流すること、五十余年なるが如し。其の父は憂念し、四方に推求す、 之を求むること既に疲れて、頓に一城に止まり、舎宅を造立し、五欲もて自ら娯しむ。其の家は巨富にして、多く金銀、硨磲、瑪瑙、真珠、瑠璃、 象馬牛羊、輦輿車乗、田業僮僕あり、人民衆多にして、出内息利、乃ち他国に遍く、商估賈人、処として有らざる無し、 千万億の衆、囲繞し恭敬し、常に王者の愛念する所と為り、群臣豪族、皆共に宗重す。諸の縁を以ての故に、往来する者衆し、 豪富なること是くの如く、大力勢有り。而も年朽邁して、益々子を憂念し、夙夜に惟念すらく、死する時将に至らんとす、癡子、我を捨てて、五十余年なり、 庫蔵の諸物、当に之を如何すべき、と。爾の時、窮子、衣食を求索し、邑より邑に、国より国に至り、或いは得る所有り、或いは得る所無く、 飢餓羸瘦して、体に瘡癬を生じ、漸次に経歴して、父の住む城に到り、傭賃展転して、遂に父の舎に至る。爾の時、長者、其の門内に於て、 大宝帳を施し、師子座に処し、眷属囲繞し、諸人侍衛し、或いは計算する有り、金銀宝物、財産を出内し、券疏に注記す。 窮子、父の豪貴尊厳なるを見て、謂えらく、是れ国王、若しくは国王に等しき者ならん、と。驚怖して自ら怪しむ、何が故に此に至れるや、と。覆た自ら念言すらく、我、若し久しく住まらば、 或いは逼迫せられ、強いて駆り使い作さしめられん、と。思惟し是れ已りて、馳せ走りて去り、貧里を借問して、往きて傭作せんと欲す。長者、是の時、師子座に在りて、
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法華経・信解品第四(4)「爾の時、長者、将に其の子を誘引せんと欲して、方便を設け、密かに二人を遣わす。形色憔悴して、威徳無き者なり。『汝、彼に詣りて、徐ろに窮子に語れ、此に作す処有り、倍して汝に値を与えん、と。窮子、若し許さば、将い来りて、作さしめよ。若し、何の作す所をか欲すると言わば、便ち之に語るべし、汝を雇いて糞を除かしむ、我ら二人も、亦汝と共に作さん、と。』時に二使人、即ち窮子を求め、既に已に之を得て、具に上の事を陳ぶ。爾の時、窮子、先ず其の価を取り、尋いで糞を除く。其の父、子を見て、愍れみて之を怪しむ。又他日を以て、窓牖の中より、遙かに子の身を見るに、羸瘦憔悴し、糞土塵坌して、汚穢不浄なり。即ち瓔珞、細軟の上服、厳飾の具を脱ぎ、更に粗敝垢膩の衣を著け、塵土身に坌し、右手に除糞の器を執持し、状、畏るる所有るが如し。諸の作人に語る、『汝等、勤めて作せ、懈息することを得る勿れ』と。方便を以ての故に、其の子に近づくことを得たり。後に復告げて言わく、『咄、男子よ、汝、常に此に作せ、復余に去ること勿れ、当に汝が価を加うべし。諸有る所需、盆器、米麺、塩酢の属、自ら疑難すること莫れ、亦老敝の使人有り、需むる者には相給せん、好く自ら意を安んぜよ、我、汝が父の如し、復憂慮すること勿れ。所以は何ん。我は年老大にして、汝は少壮なり、汝、常に作す時、欺怠、瞋恨、怨言有ること無く、都て汝に此の諸悪有ること、余の作人の如きを見ず、自今已後は、所生の子の如くせん』と。即時に長者、更に字を与え、之を名づけて児と為す。爾の時、窮子、此の遇を欣ぶと雖も、猶故自ら謂えらく、客作の賤人なりと。是の故に由りて、二十年の中に於て、常に糞を除かしむ。是を過ぎて已後、心相体信し、入出に難無けれども、然も其の止まる所は、猶本処に在り。」
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法華経・信解品第四(8)遙かに其の子を見て、黙して之を識り、即ち使者に敕して、追い捉えて将い来らしむ。窮子、驚き喚び、迷悶して地に躄れ、是の人、我を執う、必ず当に殺さるべし、何ぞ衣食を用って、我をして此に至らしむるや、と。 長者、子の愚癡狭劣にして、我が言を信ぜず、是れ父なりと信ぜざるを知り、即ち方便を以て、更に余人を遣わす。 眇目矬陋にして、威徳無き者なり、汝、之に語るべし、当に相雇いて、諸の糞穢を除かしむべし、倍して汝に価を与えん、と。窮子、之を聞き、歓喜して随い来り、 為に糞穢を除き、諸の房舎を浄む。長者、牖に於て、常に其の子を見、子の愚劣にして鄙事を楽うを念い、是に於て長者、敝垢の衣を著、 除糞の器を執り、子の所に往到して、方便して附近し、語りて勤め作さしむ。既に汝が価を益し、並びに足に塗る油を与え、飲食充足し、薦席厚く暖かなり、 是くの如き苦言、汝、当に勤め作すべし、又、軟語を以て、我が子の若く如くせん、と。長者は智有り、漸く出入せしめ、二十年を経て、家事を執作せしむ、 其の金銀、真珠、玻瓈、諸物の出入を示して、皆知らしむ。猶お門外に処し、草庵に止宿して、自ら貧事を念う、我に此の物無し、と。 父、子の心の漸く已に広大なるを知り、財物を与えんと欲して、即ち親族、国王、大臣、刹利、居士を聚め、此の大衆に於て、是れ我が子なり、と説く、 我を捨てて他行し、五十歳を経たり、子の来るを見てより、已に二十年なり、昔、某城に於て、是の子を失い、周行して求索し、遂に来りて此に至れり、 凡そ我が所有の舎宅、人民、悉く以て之に付す、其の用うる所を恣にせしむ、と。子は昔の貧にして、志意下劣なるを念い、今、父の所に於て、大いに珍宝を獲、 並びに舎宅、一切の財物を及ぼして、甚だ大いに歓喜し、未曾有なることを得たり。仏も亦是くの如く、我が小を楽うを知りて、未だ曾て説いて言わず、汝等作仏すべし、と、
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法華経・信解品第四(6)「世尊、大富の長者は、則ち是れ如来なり、我等は皆、仏子に似たり、如来は常に説きたまわく、我等を子と為す、と。世尊、我等は三苦を以ての故に、生死の中に於て、諸の熱悩を受け、迷惑無知にして、小法を楽著す。今日、世尊、我等をして諸法の戯論の糞を思惟し捐除せしめたまう、我等、其の中に於て勤めて精進を加え、涅槃の一日の価を得るに至れり、既に此れを得已りて、心大いに歓喜し、自ら以て足れりと為し、便ち自ら謂いて言わく、仏法の中に於て勤め精進せるが故に、得る所宏多なり、と。然るに世尊、先に我等が心の敝欲に著し、小法を楽うを知りて、便ち縦捨せられ、為に分別せず、汝等、当に如来の知見の宝蔵の分有るべし、と。世尊、方便力を以て、如来の智慧を説きたまうに、我等、仏に従いて、涅槃の一日の価を得て、以て大いに得たりと為し、此の大乗に於て、志求有ること無し。我等、又、如来の智慧に因りて、諸の菩薩の為に、開示演説すれども、自ら此に於て志願有ること無し。所以は何ん。仏は我等が心の小法を楽うを知り、方便力を以て、我等に随いて説きたまうに、我等は真に是れ仏子なることを知らず。今、我等、方に世尊の仏智慧に於て、吝惜する所無きことを知れり。所以は何ん。我等、昔より来、真に是れ仏子なるに、但だ小法を楽えり、若し我等、大を楽う心有らば、仏は則ち我が為に大乗の法を説きたまわん。此の経の中に於て、唯だ一乗を説きたまう、而るに昔、菩薩の前に於て、声聞の小法を楽う者を毀呰したまいしは、然も仏は実に大乗を以て教化したまえるなり、是の故に我等、本より心に希求する所有ること無し、と説く。今、法王の大宝、自然にして至れり、仏子の応に得べき所の如きは、皆已に之を得たり。」 爾の時、摩訶迦葉、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、