法華経 / 譬喻品第三(5)
舍利弗來世,成佛普智尊,號名曰華光,當度無量眾。供養無數佛,具足菩薩行、十力等功德,證於無上道。 過無量劫已,劫名大寶嚴,世界名離垢,清淨無瑕穢。以琉璃為地,金繩界其道,七寶雜色樹,常有華果實。 彼國諸菩薩,志念常堅固,神通波羅蜜,皆已悉具足。於無數佛所,善學菩薩道,如是等大士,華光佛所化。 佛為王子時,棄國捨世榮,於最末後身,出家成佛道。華光佛住世、壽十二小劫,其國人民眾,壽命八小劫。 佛滅度之後,正法住於世,三十二小劫,廣度諸眾生。正法滅盡已,像法三十二,舍利廣流布,天人普供養。 華光佛所為,其事皆如是,其兩足聖尊,最勝無倫匹。彼即是汝身,宜應自欣慶。 爾時四部眾,比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩侯羅伽、等大眾,見舍利弗於佛前受阿耨多羅三藐三菩提記,心大歡喜,踴躍無量,各各脫身所著上衣、以供養佛。釋提桓因、梵天王、等,與無數天子,亦以天妙衣、天曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、等,供養於佛。所散天衣,住虛空中,而自回轉。諸天伎樂、百千萬種,於虛空中、一時俱作,雨眾天華。而作是言:「佛昔於波羅奈、初轉法輪,今乃復轉無上最大法輪。」 爾時諸天子欲重宣此義,而說偈言:
新字:舎利弗来世,成仏普智尊,号名曰華光,当度無量衆。供養無数仏,具足菩薩行、十力等功徳,証於無上道。 過無量劫已,劫名大宝厳,世界名離垢,清浄無瑕穢。以琉璃為地,金縄界其道,七宝雑色樹,常有華果実。 彼国諸菩薩,志念常堅固,神通波羅蜜,皆已悉具足。於無数仏所,善学菩薩道,如是等大士,華光仏所化。 仏為王子時,棄国捨世栄,於最末後身,出家成仏道。華光仏住世、寿十二小劫,其国人民衆,寿命八小劫。 仏滅度之後,正法住於世,三十二小劫,広度諸衆生。正法滅尽已,像法三十二,舎利広流布,天人普供養。 華光仏所為,其事皆如是,其両足聖尊,最勝無倫匹。彼即是汝身,宜応自欣慶。 爾時四部衆,比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,天竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩侯羅伽、等大衆,見舎利弗於仏前受阿耨多羅三藐三菩提記,心大歓喜,踴躍無量,各各脱身所著上衣、以供養仏。釈提桓因、梵天王、等,与無数天子,亦以天妙衣、天曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、等,供養於仏。所散天衣,住虚空中,而自回転。諸天伎楽、百千万種,於虚空中、一時倶作,雨衆天華。而作是言:「仏昔於波羅奈、初転法輪,今乃復転無上最大法輪。」 爾時諸天子欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
舎利弗の来世に、成仏して普智の尊となり、号を名づけて華光と曰い、当に無量の衆を度すべし。無数の仏を供養し、菩薩の行、十力等の功徳を具足して、無上道を証せん。 無量劫を過ぎ已りて、劫を大宝厳と名づけ、世界を離垢と名づけ、清浄にして瑕穢無し。琉璃を以て地と為し、金縄をもて其の道を界い、七宝雑色の樹に、常に華果実有らん。 彼の国の諸の菩薩は、志念常に堅固にして、神通波羅蜜を、皆已に悉く具足せり。無数の仏の所にして、善く菩薩道を学べり。是の如き等の大士は、華光仏の化する所なり。 仏の王子たりし時、国を棄て世栄を捨て、最末後身に於いて、出家して仏道を成ぜん。華光仏の世に住したまうこと、寿十二小劫、其の国の人民衆は、寿命八小劫なり。 仏の滅度の後、正法世に住すること、三十二小劫、広く諸の衆生を度せん。正法滅尽し已りて、像法三十二、舎利広く流布し、天人普く供養せん。 華光仏の所為、其の事皆是の如し。其の両足聖尊は、最勝にして倫匹無し。彼れ即ち是れ汝が身なり、宜しく応に自ら欣慶すべし。 爾の時、四部の衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽等の大衆、舎利弗の仏前に於いて阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心に大歓喜し、踴躍すること無量にして、各各身に著たる上衣を脱ぎて、以て仏を供養す。釈提桓因・梵天王等、無数の天子と与に、亦天の妙衣・天の曼陀羅華・摩訶曼陀羅華等を以て、仏を供養す。散ずる所の天衣は、虚空の中に住して、自ら回転す。諸天の伎楽、百千万種、虚空の中に於いて、一時に倶に作し、衆の天華を雨らす。而して是の言を作す、「仏は昔波羅奈に於いて、初めて法輪を転じ、今乃ち復無上最大の法輪を転じたまう」と。 爾の時、諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく、
現代語訳
舎利弗は未来世において、仏となり、あまねき智慧をもつ尊者となります。名を華光といい、無量の衆を救うでしょう。無数の仏を供養し、菩薩の行や十力などの功徳を備え、無上の道を証します。無量劫を過ぎた後、劫の名は大宝厳、世界の名は離垢といい、清らかで汚れがありません。瑠璃を地とし、金の縄でその道を区切り、七宝の色とりどりの樹には、常に花と果実があります。その国の菩薩たちは、志と念が常に堅固で、神通と波羅蜜をすべて備えています。無数の仏のもとで、菩薩道をよく学んだ、このような大士たちは、華光仏が教化した者たちです。仏が王子であった時には、国を捨て世の栄華を捨て、最後の身において、出家して仏道を成就します。華光仏が世におられる寿命は十二小劫、その国の人民の寿命は八小劫です。仏が滅度した後、正法は三十二小劫の間世にあって、広く衆生を救います。正法が滅び尽きた後、像法が三十二小劫、仏舎利は広く流布し、天人があまねく供養します。華光仏のなさることは、すべてこのようです。その両足尊(人天の最尊)は最も勝れ、並ぶ者がありません。それはまさにあなた自身です。自ら喜び祝いなさい。そのとき、四部の衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽などの大衆は、舎利弗が仏の前で阿耨多羅三藐三菩提の授記を受けるのを見て、心に大いに喜び、躍り上がること限りなく、それぞれ身につけた上着を脱いで仏に供養しました。釈提桓因、梵天王などは、無数の天子とともに、天の妙なる衣、天の曼陀羅華、摩訶曼陀羅華などで、仏を供養しました。撒いた天の衣は虚空にとどまり、自ら回転しました。諸天の楽は百千万種、虚空の中で一度に一斉に鳴り、天の華を雨のように降らせました。そして言いました。「仏は昔、波羅奈で初めて法輪を転じ、今またこの無上最大の法輪を転じられます」と。そのとき諸天子は、重ねてこの意味を述べようとして、偈を説いて言いました。
解説

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