法華経 / 方便品第二(4)
慧日大聖尊,久乃說是法,自說得如是,力無畏三昧、 禪定解脫等,不可思議法。道場所得法,無能發問者。 我意難可測,亦無能問者。無問而自說,稱歎所行道, 智慧甚微妙,諸佛之所得。無漏諸羅漢、及求涅槃者, 今皆墮疑網,佛何故說是。其求緣覺者、比丘比丘尼、 諸天龍鬼神、及乾闥婆等,相視懷猶豫,瞻仰兩足尊, 是事為云何,願佛為解說。於諸聲聞眾,佛說我第一。 我今自於智、疑惑不能了,為是究竟法,為是所行道。 佛口所生子,合掌瞻仰待,願出微妙音,時為如實說。 諸天龍神等,其數如恒沙,求佛諸菩薩,大數有八萬, 又諸萬億國、轉輪聖王至,合掌以敬心,欲聞具足道。 爾時佛告舍利弗:「止,止,不須復說。若說是事,一切世間諸天、及人、皆當驚疑。」舍利弗重白佛言:「世尊,惟願說之,惟願說之。所以者何。是會無數百千萬億阿僧祇眾生,曾見諸佛,諸根猛利,智慧明了,聞佛所說,則能敬信。」 爾時舍利弗欲重宣此義,而說偈言: 法王無上尊,惟說願勿慮。 是會無量眾,有能敬信者。 佛復止舍利弗:「若說是事,一切世間天、人、阿修羅、皆當驚疑,增上慢比丘、將墜於大坑。」 爾時世尊重說偈言: 止止不須說,我法妙難思, 諸增上慢者,聞必不敬信。
新字:慧日大聖尊,久乃説是法,自説得如是,力無畏三昧、 禅定解脱等,不可思議法。道場所得法,無能発問者。 我意難可測,亦無能問者。無問而自説,称嘆所行道, 智慧甚微妙,諸仏之所得。無漏諸羅漢、及求涅槃者, 今皆堕疑網,仏何故説是。其求縁覚者、比丘比丘尼、 諸天竜鬼神、及乾闥婆等,相視懐猶予,瞻仰両足尊, 是事為云何,願仏為解説。於諸声聞衆,仏説我第一。 我今自於智、疑惑不能了,為是究竟法,為是所行道。 仏口所生子,合掌瞻仰待,願出微妙音,時為如実説。 諸天竜神等,其数如恒沙,求仏諸菩薩,大数有八万, 又諸万億国、転輪聖王至,合掌以敬心,欲聞具足道。 爾時仏告舎利弗:「止,止,不須復説。若説是事,一切世間諸天、及人、皆当驚疑。」舎利弗重白仏言:「世尊,惟願説之,惟願説之。所以者何。是会無数百千万億阿僧祇衆生,曽見諸仏,諸根猛利,智慧明了,聞仏所説,則能敬信。」 爾時舎利弗欲重宣此義,而説偈言: 法王無上尊,惟説願勿慮。 是会無量衆,有能敬信者。 仏復止舎利弗:「若説是事,一切世間天、人、阿修羅、皆当驚疑,增上慢比丘、将墜於大坑。」 爾時世尊重説偈言: 止止不須説,我法妙難思, 諸增上慢者,聞必不敬信。
書き下し
慧日大聖尊、久しくして乃ち是の法を説きたもう。自ら説きたまわく、是くの如き力・無畏・三昧、 禅定・解脱等の、不可思議の法を得たり、と。道場にて得たまえる所の法は、能く発問する者無し。 我が意は測るべきこと難く、亦た能く問う者無し。問う無きに自ら説きたまい、行じたまえる道を称歎したもう。 智慧は甚だ微妙にして、諸仏の得たまえる所なり。無漏の諸の羅漢、及び涅槃を求むる者、 今、皆な疑網に堕ちぬ、仏、何が故ぞ是れを説きたもう。其の縁覚を求むる者、比丘・比丘尼、 諸の天・龍・鬼神、及び乾闥婆等、相い視て猶予を懐き、両足尊を瞻仰す。 是の事、云何と為すや、願わくは仏、為に解説したまえ。諸の声聞衆の中に、仏、我を第一なりと説きたまう。 我れ今、自ら智に於いて、疑惑して了すること能わず。為た是れ究竟の法なるか、為た是れ行ずる所の道なるか。 仏口より生ずる子、合掌して瞻仰して待つ。願わくは微妙の音を出だして、時に為に如実に説きたまえ。 諸の天・龍神等、其の数恒沙の如し。仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り。 又た諸の万億の国の、転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞かんと欲す。 その時、仏、舎利弗に告げたまわく、「止みね、止みね、復た説くことを須いず。若し是の事を説かば、一切世間の諸天、及び人、皆な当に驚疑すべし」と。舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、惟願わくは之を説きたまえ、惟願わくは之を説きたまえ。所以は何ん。是の会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、曾て諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なれば、仏の所説を聞かば、則ち能く敬信せん」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 法王無上尊、惟説きたまえ、慮ること勿かれ。 是の会の無量の衆に、能く敬信する者有り。 仏、復た舎利弗を止めたまわく、「若し是の事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆な当に驚疑すべし。増上慢の比丘は、将に大坑に墜つべし」と。 その時、世尊、重ねて偈を説いて言わく、 止みね止みね、説くことを須いず。我が法は妙にして思い難し。 諸の増上慢の者は、聞かば必ず敬信せじ。
現代語訳
智慧の日である大聖尊は、久しい時を経て、はじめてこの法を説かれました。自ら説かれたところでは、このような力、畏れのなさ、三昧、 禅定や解脱などの、不可思議な法を得たとのことです。道場で得られた法については、問いを発する者がいませんでした。 私の心では、はかり知りがたく、問える者もいません。問われていないのに、自ら説かれ、行じられた道をほめたたえられます。 その智慧はたいへん微妙で、諸仏が得られたものです。漏れのない阿羅漢たちや涅槃を求める者たちは、 いまみな疑いの網に落ちています。仏はなぜこのことを説かれるのでしょうか。縁覚を求める者や比丘、比丘尼、 天や龍や鬼神、乾闥婆たちは、互いに見合ってためらい、両足尊を仰ぎ見ています。 これはどういうことなのでしょう。どうか仏よ、説明してください。多くの声聞の中で、仏は私を第一と説かれました。 その私が、いま自分の智慧において、疑い惑って、理解できません。これは究極の法なのでしょうか。それとも行ずべき道なのでしょうか。 仏の口から生まれた子である弟子たちは、合掌して仰ぎ見て待っています。どうか、微妙な声を出して、時に応じて如実に説いてください。 天や龍神たちは、その数がガンジス川の砂のようです。仏を求める菩薩たちも、大きな数で八万います。 さらに、多くの万億の国の転輪聖王も来ており、合掌し、敬いの心で、完全な道を聞きたいと望んでいます。 そのとき仏は舎利弗に告げられました。「やめなさい、やめなさい。これ以上説く必要はありません。もしこの事を説けば、すべての世間の天と人は、みな驚き疑うでしょう」。舎利弗はもう一度仏に申し上げました。「世尊、どうかお説きください、どうかお説きください。なぜなら、この会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、かつて諸仏を見たことがあり、感覚と機根が鋭く、智慧が明らかなので、仏の説かれることを聞けば、きっと敬い信じるからです」。 そのとき舎利弗は、重ねてこの意味を述べようとして、偈を説いて言いました。 法王であり無上の尊い方よ、どうかお説きください、ためらわないでください。 この会の無数の大衆の中には、敬い信じることのできる者がいます。 仏はまた舎利弗を止められました。「もしこの事を説けば、すべての世間の天、人、阿修羅は、みな驚き疑うでしょう。思い上がった比丘は、大きな穴に落ちるでしょう」。 そのとき世尊は、重ねて偈を説いて言われました。 やめなさい、やめなさい、説く必要はありません。私の法は妙で、思いはかりがたいものです。 思い上がった者たちは、聞いても必ず敬い信じないでしょう。
解説

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