法華経 / 方便品第二(8)
「又、舍利弗,是諸比丘、比丘尼、自謂已得阿羅漢,是最後身,究竟涅槃,便不復志求阿耨多羅三藐三菩提,當知此輩皆是增上慢人。所以者何。若有比丘、實得阿羅漢,若不信此法,無有是處。除佛滅度後,現前無佛。所以者何。佛滅度後,如是等經、受持讀誦解義者,是人難得。若遇餘佛,於此法中、便得決了。舍利弗,汝等當一心信解受持佛語。諸佛如來、言無虛妄,無有餘乘,唯一佛乘。」 爾時世尊欲重宣此義,而說偈言:
新字:「又、舎利弗,是諸比丘、比丘尼、自謂已得阿羅漢,是最後身,究竟涅槃,便不復志求阿耨多羅三藐三菩提,当知此輩皆是增上慢人。所以者何。若有比丘、実得阿羅漢,若不信此法,無有是処。除仏滅度後,現前無仏。所以者何。仏滅度後,如是等経、受持読誦解義者,是人難得。若遇余仏,於此法中、便得決了。舎利弗,汝等当一心信解受持仏語。諸仏如来、言無虚妄,無有余乗,唯一仏乗。」 爾時世尊欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
「又た、舎利弗、是の諸の比丘・比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり、是れ最後身なり、究竟涅槃なりと謂いて、便ち復た阿耨多羅三藐三菩提を志求せずんば、当に知るべし、此の輩は皆な是れ増上慢の人なり。所以は何ん。若し比丘有りて、実に阿羅漢を得ながら、若し此の法を信ぜずといわば、是の処有ること無し。仏の滅度の後、現前に仏無き時を除く。所以は何ん。仏の滅度の後には、是くの如き等の経を、受持・読誦し、義を解する者は、是の人得難ければなり。若し余仏に遇わば、此の法の中に於いて、便ち決了することを得ん。舎利弗、汝等当に一心に仏語を信解し受持すべし。諸仏如来は、言に虚妄無く、余乗有ること無し、唯だ一仏乗のみ」と。 その時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
「また、舎利弗よ、これらの比丘や比丘尼が、自分はすでに阿羅漢を得た、これが最後の身であり、究極の涅槃を得たと思って、さらにこの上ない正しい悟りを志し求めないなら、この人たちはみな思い上がった者であると知りなさい。なぜなら、もし比丘が、実際に阿羅漢を得ていながら、この法を信じないということは、あり得ないからです。ただし、仏が滅度されたのち、目の前に仏がおられない時は除きます。なぜなら、仏が滅度されたのちには、このような経を受け持ち、読誦し、意味を理解する人は得がたいからです。もし他の仏にめぐりあえば、この法の中で、はっきりと理解を得るでしょう。舎利弗よ、あなたたちは一心に仏の言葉を信じ、理解し、受け持ちなさい。諸仏如来の言葉に偽りはありません。ほかの乗はなく、ただ一仏乗だけです」。 そのとき世尊は、重ねてこの意味を述べようとして、偈を説いて言われました。
解説

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法華経・方便品第二(14)久遠劫より来、是の涅槃の法を讃え、生死の苦永く尽くと、我常に是の如く説けり。 舎利弗当に知るべし、我仏子等の、志して仏道を求むる者、無量千万億なるを見る。 咸く恭敬の心を以て、皆仏所に来至し、曾て諸仏に従いて、方便所説の法を聞けり。 我即ち是の念を作す、如来の出づる所以は、仏慧を説かんが為の故なり、今正に是れ其の時なり、と。 舎利弗当に知るべし、鈍根小智の人、相に著し憍慢なる者は、是の法を信ずること能わず。 今我は喜びて畏るる無く、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く。 菩薩是の法を聞かば、疑網皆已に除かれん。千二百の羅漢も、悉く亦当に仏と作るべし。 三世の諸仏の、説法の儀式の如く、我今も亦是の如く、無分別の法を説く。 諸仏の世に興出したまうこと、懸遠にして値遇すること難く、正使世に出でたまうとも、是の法を説きたまうこと復難し。 無量無数劫にも、是の法を聞くこと亦難く、能く是の法を聴く者も、斯の人亦復難し。 譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の稀有とする所にして、時時に乃ち一たび出づるが如し。 法を聞きて歓喜し讃え、乃至一言を発せば、則ち已に、一切三世の仏を供養すと為す。 是の人は甚だ稀有にして、優曇華に過ぎたり。汝等疑い有ること勿れ、我は諸法の王たり、 普く諸の大衆に告ぐ、但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化し、声聞の弟子無し、と。 汝等舎利弗、声聞及び菩薩よ、当に知るべし、是の妙法は、諸仏の秘要なり。 五濁悪世を以て、但諸欲に楽著す。是の如き等の衆生は、終に仏道を求めず。 当来世の悪人は、仏の一乗を説きたまうを聞きて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん。 慚愧有り清浄にして、志して仏道を求むる者には、当に是の如き等の為に、広く一乗の道を讃むべし。 舎利弗当に知るべし、諸仏の法は是の如く、万億の方便を以て、宜しきに随いて法を説きたまう。 其の習学せざる者は、此れを暁了すること能わず。汝等既に已に知れり、諸仏は世の師にして、 宜しきに随う方便の事なりと。復諸の疑惑無く、心に大歓喜を生じ、自ら当に仏と作るべきを知れ。
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法華経・方便品第二(9)比丘・比丘尼の、増上慢を懐くもの有り、優婆塞の我慢なる、優婆夷の不信なる、 是くの如き四衆等の、其の数五千有り。自ら其の過ちを見ず、戒に於いて欠漏有り、 其の瑕疵を護り惜しむ。是の小智の者は已に出ず、衆中の糟糠なり、仏の威徳の故に去る、 斯の人は福徳鮮く、是の法を受くるに堪えず。此の衆に枝葉無く、唯だ諸の貞実有るのみ。 舎利弗よ、善く聴け。諸仏の得たまえる法は、無量の方便力をもって、衆生の為に説きたまう。 衆生の心の念う所、種種の行ずる所の道、若干の諸の欲性、先世の善悪の業を、 仏、悉く是れを知り已りて、諸の縁・譬喩、言辞・方便力をもって、一切をして歓喜せしむ。 或いは修多羅、伽陀、及び本事、本生、未曾有を説き、亦た因縁、 譬喩、并びに祇夜、優波提舎経を説く。鈍根にして小法を楽い、生死に貪著し、 諸の無量の仏に於いて、深妙の道を行ぜず、衆苦に悩乱せらるる者には、是の為に涅槃を説く。 我れ是の方便を設けて、仏慧に入ることを得しむるも、未だ曾て汝等が、当に仏道を成ずることを得べしと説かず。 未だ曾て説かざる所以は、説く時未だ至らざるが故なり。今正に是れ其の時なり、決定して大乗を説く。 我が此の九部の法は、衆生に随順して説く。大乗に入るを本と為す、以ての故に是の経を説く。 仏子の心浄く、柔軟にして亦た利根に、無量の諸仏の所にして、深妙の道を行ずる有り。 此の諸の仏子の為に、是の大乗経を説く。我れ是くの如き人は、来世に仏道を成ぜんと記す、 深心をもって仏を念じ、浄戒を修持するが故に。此れ等、仏を得べしと聞きて、大喜、身に充遍す。 仏、彼の心行を知れり、故に為に大乗を説く。声聞若しは菩薩、我が所説の法を聞かば、 乃至一偈なるも、皆な成仏すること疑い無し。十方の仏土の中に、唯だ一乗の法のみ有り、 二も無く亦た三も無し。仏の方便の説を除き、但だ仮の名字を以て、衆生を引導して、 仏の智慧を説かんが為の故なり。諸仏の世に出でたもうは、唯だ此の一事のみ実なり、余の二は則ち真に非ず、
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法華経・化城喻品第七(12)「諸の比丘、我等沙弥為りし時、各各無量百千万億恒河沙等の衆生を教化し、我より法を聞きて、阿耨多羅三藐三菩提の為にせしむ。此の諸の衆生、今に於て声聞地に住する者有り、我常に阿耨多羅三藐三菩提を教化す。是の諸人等は、応に是の法を以て、漸く仏道に入るべし。所以は何ん。如来の智慧は信じ難く解し難ければなり。爾の時、化する所の無量恒河沙等の衆生とは、汝等諸の比丘、及び我が滅度の後の未来世の中の声聞の弟子、是れなり。我が滅度の後、復弟子有りて、是の経を聞かず、菩薩の所行を知らず覚らずして、自ら所得の功徳に於て、滅度の想を生じ、当に涅槃に入るべし。我、余国に於て作仏し、更に異名有らん。是の人、滅度の想を生じ、涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て、仏の智慧を求め、是の経を聞くことを得て、惟だ仏乗を以てのみ滅度を得、更に余乗無し。諸の如来の方便説法を除く。」 「諸の比丘、若し如来、自ら涅槃の時到り、衆又清浄にして、信解堅固に、空の法を了達し、深く禅定に入ると知れば、便ち諸の菩薩及び声聞衆を集めて、為に是の経を説く。世間に二乗にして滅度を得ること有ること無し。惟だ一仏乗にして滅度を得るのみ。比丘当に知るべし、如来の方便は、深く衆生の性に入る。其の小法を志楽し、深く五欲に著するが如きは、是れ等の為の故に、涅槃を説く。是の人若し聞かば、則ち便ち信受す。」
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