法華経 / 方便品第二(3)
爾時大眾中,有諸聲聞漏盡阿羅漢阿若憍陳如、等,千二百人,及發聲聞辟支佛心、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,各作是念:「今者、世尊何故殷勤稱歎方便、而作是言,佛所得法,甚深難解,有所言說,意趣難知,一切聲聞、辟支佛、所不能及。佛說一解脫義,我等亦得此法,到於涅槃,而今不知是義所趨。」 爾時舍利弗知四眾心疑,自亦未了,而白佛言:「世尊,何因何緣,殷勤稱歎諸佛第一方便、甚深微妙、難解之法。我自昔來,未曾從佛、聞如是說,今者、四眾咸皆有疑。惟願世尊敷演斯事,世尊何故殷勤稱歎甚深微妙難解之法。」 爾時舍利弗欲重宣此義,而說偈言:
新字:爾時大衆中,有諸声聞漏尽阿羅漢阿若憍陳如、等,千二百人,及発声聞辟支仏心、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷,各作是念:「今者、世尊何故殷勤称嘆方便、而作是言,仏所得法,甚深難解,有所言説,意趣難知,一切声聞、辟支仏、所不能及。仏説一解脱義,我等亦得此法,到於涅槃,而今不知是義所趨。」 爾時舎利弗知四衆心疑,自亦未了,而白仏言:「世尊,何因何縁,殷勤称嘆諸仏第一方便、甚深微妙、難解之法。我自昔来,未曽従仏、聞如是説,今者、四衆咸皆有疑。惟願世尊敷演斯事,世尊何故殷勤称嘆甚深微妙難解之法。」 爾時舎利弗欲重宣此義,而説偈言:
書き下し
その時、大衆の中に、諸の声聞、漏尽阿羅漢、阿若憍陳如等、千二百人、及び声聞・辟支仏の心を発せる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷有り、各おの是の念を作さく、「今者、世尊、何が故ぞ殷勤に方便を称歎して、是の言を作したもう。仏の得たまえる所の法は甚深にして解し難く、言説する所有るも意趣知り難し。一切の声聞・辟支仏の及ぶこと能わざる所なり、と。仏、一解脱の義を説きたまえば、我等も亦た此の法を得て、涅槃に到れり。而るに今は是の義の趣く所を知らず」と。 その時、舎利弗、四衆の心の疑いを知り、自らも亦た未だ了せず、仏に白して言さく、「世尊、何の因、何の縁あって、殷勤に諸仏の第一の方便、甚深微妙、難解の法を称歎したもうや。我れ昔より来、未だ曾て仏より是の如き説を聞かず。今者、四衆、咸な皆な疑い有り。惟願わくは世尊、斯の事を敷演したまえ。世尊、何が故ぞ殷勤に甚深微妙難解の法を称歎したもうや」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
現代語訳
そのとき、大衆の中に、声聞の漏れの尽きた阿羅漢である阿若憍陳如ら千二百人と、声聞や辟支仏の心を起こした比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷がいて、それぞれこう考えました。「いま世尊はどうして、ていねいに方便をほめたたえて、このようなことをおっしゃるのだろう。仏が得られた法は非常に深くて理解しがたく、説かれることがあっても意味するところが知りがたい。すべての声聞や辟支仏が及ぶことのできないものだと言われる。仏は一つの解脱の意味を説かれ、私たちもその法を得て、涅槃に到ったはずである。それなのに、いまは、この意味の向かう所がわからない」。 そのとき舎利弗は、四衆の心に疑いがあるのを知り、自分もまだ理解できていなかったので、仏に申し上げました。「世尊、どのような因、どのような縁があって、ていねいに諸仏の第一の方便、非常に深く微妙で理解しがたい法をほめたたえられるのですか。私は昔から、まだ一度も仏からこのような説を聞いたことがありません。いま、四衆はみな疑いをもっています。どうか世尊、このことを詳しくお述べください。世尊はなぜ、ていねいに、非常に深く微妙で理解しがたい法をほめたたえられるのでしょうか」。 そのとき舎利弗は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説いて言いました。
解説

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法華経・方便品第二(4)慧日大聖尊、久しくして乃ち是の法を説きたもう。自ら説きたまわく、是くの如き力・無畏・三昧、 禅定・解脱等の、不可思議の法を得たり、と。道場にて得たまえる所の法は、能く発問する者無し。 我が意は測るべきこと難く、亦た能く問う者無し。問う無きに自ら説きたまい、行じたまえる道を称歎したもう。 智慧は甚だ微妙にして、諸仏の得たまえる所なり。無漏の諸の羅漢、及び涅槃を求むる者、 今、皆な疑網に堕ちぬ、仏、何が故ぞ是れを説きたもう。其の縁覚を求むる者、比丘・比丘尼、 諸の天・龍・鬼神、及び乾闥婆等、相い視て猶予を懐き、両足尊を瞻仰す。 是の事、云何と為すや、願わくは仏、為に解説したまえ。諸の声聞衆の中に、仏、我を第一なりと説きたまう。 我れ今、自ら智に於いて、疑惑して了すること能わず。為た是れ究竟の法なるか、為た是れ行ずる所の道なるか。 仏口より生ずる子、合掌して瞻仰して待つ。願わくは微妙の音を出だして、時に為に如実に説きたまえ。 諸の天・龍神等、其の数恒沙の如し。仏を求むる諸の菩薩、大数八万有り。 又た諸の万億の国の、転輪聖王の至れる、合掌して敬心を以て、具足の道を聞かんと欲す。 その時、仏、舎利弗に告げたまわく、「止みね、止みね、復た説くことを須いず。若し是の事を説かば、一切世間の諸天、及び人、皆な当に驚疑すべし」と。舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、惟願わくは之を説きたまえ、惟願わくは之を説きたまえ。所以は何ん。是の会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、曾て諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なれば、仏の所説を聞かば、則ち能く敬信せん」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 法王無上尊、惟説きたまえ、慮ること勿かれ。 是の会の無量の衆に、能く敬信する者有り。 仏、復た舎利弗を止めたまわく、「若し是の事を説かば、一切世間の天・人・阿修羅、皆な当に驚疑すべし。増上慢の比丘は、将に大坑に墜つべし」と。 その時、世尊、重ねて偈を説いて言わく、 止みね止みね、説くことを須いず。我が法は妙にして思い難し。 諸の増上慢の者は、聞かば必ず敬信せじ。
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法華経・方便品第二(5)その時、舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、惟願わくは之を説きたまえ、惟願わくは之を説きたまえ。今、此の会の中に、我が等き比の如き百千万億あり、世世に已に曾て仏に従いて化を受けたり。此くの如き人等は、必ず能く敬信して、長夜に安穏にして、多く饒益する所あらん」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 無上両足尊、願わくは第一の法を説きたまえ、 我は仏の長子たり、惟願わくは分別して説くことを垂れたまえ。 是の会の無量の衆は、能く此の法を敬信せん、 仏は已に世世に、是くの如き等を教化したまえり。 皆な一心に合掌して、仏語を聴受せんと欲す。 我等千二百、及び余の仏を求むる者、 願わくは此の衆の為の故に、惟願わくは分別して説くことを垂れたまえ。 是等、此の法を聞かば、則ち大歓喜を生ぜん。 その時、世尊、舎利弗に告げたまわく、「汝、已に殷勤に三たび請えり、豈に説かざることを得んや。汝、今、諦かに聴き、善く之を思念せよ、吾れ当に汝の為に分別して解説すべし」と。此の語を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、五千人等有り、即ち座より起ちて、仏を礼して退く。所以は何ん。此の輩は罪根深重にして、及び増上慢にして、未だ得ざるに得たりと謂い、未だ証せざるに証したりと謂い、此くの如き失有り。是を以て住せず。世尊、黙然として制止したまわず。 その時、仏、舎利弗に告げたまわく、「我れ今、此の衆は、復た枝葉無く、純ら貞実有り。舎利弗、是くの如き増上慢の人は、退くも亦た佳し。汝、今、善く聴け、当に汝の為に説くべし」と。舎利弗言わく、「唯、然なり、世尊、願楽して聞かんと欲す」と。 仏、舎利弗に告げたまわく、
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