法華経 / 方便品第二(5)
爾時舍利弗重白佛言:「世尊,惟願說之,惟願說之。今此會中,如我等比、百千萬億,世世已曾從佛受化。如此人等,必能敬信,長夜安隱,多所饒益。」 爾時舍利弗欲重宣此義,而說偈言: 無上兩足尊,願說第一法, 我為佛長子,惟垂分別說。 是會無量眾,能敬信此法, 佛已曾世世,教化如是等, 皆一心合掌,欲聽受佛語。 我等千二百、及餘求佛者, 願為此眾故,惟垂分別說。 是等聞此法,則生大歡喜。 爾時世尊告舍利弗:「汝已殷勤三請,豈得不說。汝今諦聽,善思念之,吾當為汝分別解說。」說此語時,會中有比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、五千人等,即從座起,禮佛而退。所以者何。此輩罪根深重,及增上慢,未得謂得,未證謂證,有如此失,是以不住。世尊默然而不制止。 爾時佛告舍利弗:「我今此眾,無復枝葉,純有貞實。舍利弗,如是增上慢人,退亦佳矣。汝今善聽,當為汝說。舍利弗言,唯、然,世尊,願樂欲聞。」 佛告舍利弗:
新字:爾時舎利弗重白仏言:「世尊,惟願説之,惟願説之。今此会中,如我等比、百千万億,世世已曽従仏受化。如此人等,必能敬信,長夜安隠,多所饒益。」 爾時舎利弗欲重宣此義,而説偈言: 無上両足尊,願説第一法, 我為仏長子,惟垂分別説。 是会無量衆,能敬信此法, 仏已曽世世,教化如是等, 皆一心合掌,欲聴受仏語。 我等千二百、及余求仏者, 願為此衆故,惟垂分別説。 是等聞此法,則生大歓喜。 爾時世尊告舎利弗:「汝已殷勤三請,豈得不説。汝今諦聴,善思念之,吾当為汝分別解説。」説此語時,会中有比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、五千人等,即従座起,礼仏而退。所以者何。此輩罪根深重,及增上慢,未得謂得,未証謂証,有如此失,是以不住。世尊黙然而不制止。 爾時仏告舎利弗:「我今此衆,無復枝葉,純有貞実。舎利弗,如是增上慢人,退亦佳矣。汝今善聴,当為汝説。舎利弗言,唯、然,世尊,願楽欲聞。」 仏告舎利弗:
書き下し
その時、舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、惟願わくは之を説きたまえ、惟願わくは之を説きたまえ。今、此の会の中に、我が等き比の如き百千万億あり、世世に已に曾て仏に従いて化を受けたり。此くの如き人等は、必ず能く敬信して、長夜に安穏にして、多く饒益する所あらん」と。 その時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 無上両足尊、願わくは第一の法を説きたまえ、 我は仏の長子たり、惟願わくは分別して説くことを垂れたまえ。 是の会の無量の衆は、能く此の法を敬信せん、 仏は已に世世に、是くの如き等を教化したまえり。 皆な一心に合掌して、仏語を聴受せんと欲す。 我等千二百、及び余の仏を求むる者、 願わくは此の衆の為の故に、惟願わくは分別して説くことを垂れたまえ。 是等、此の法を聞かば、則ち大歓喜を生ぜん。 その時、世尊、舎利弗に告げたまわく、「汝、已に殷勤に三たび請えり、豈に説かざることを得んや。汝、今、諦かに聴き、善く之を思念せよ、吾れ当に汝の為に分別して解説すべし」と。此の語を説きたもう時、会中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、五千人等有り、即ち座より起ちて、仏を礼して退く。所以は何ん。此の輩は罪根深重にして、及び増上慢にして、未だ得ざるに得たりと謂い、未だ証せざるに証したりと謂い、此くの如き失有り。是を以て住せず。世尊、黙然として制止したまわず。 その時、仏、舎利弗に告げたまわく、「我れ今、此の衆は、復た枝葉無く、純ら貞実有り。舎利弗、是くの如き増上慢の人は、退くも亦た佳し。汝、今、善く聴け、当に汝の為に説くべし」と。舎利弗言わく、「唯、然なり、世尊、願楽して聞かんと欲す」と。 仏、舎利弗に告げたまわく、
現代語訳
そのとき舎利弗は、もう一度仏に申し上げました。「世尊、どうかお説きください、どうかお説きください。いま、この会の中には、私と同じような者が百千万億おり、世々すでにかつて仏に従って教化を受けています。このような人々は、必ず敬い信じることができ、長い夜を安穏に過ごし、多くの利益を受けるでしょう」。 そのとき舎利弗は、この意味を重ねて述べようとして、偈を説いて言いました。 この上ない両足尊よ、どうか第一の法をお説きください。 私は仏の長子です。どうか区別して説き示してください。 この会の無数の大衆は、この法を敬い信じることができます。 仏はすでに世々に、このような人々を教え導かれました。 皆、一心に合掌して、仏の言葉を聴きたいと願っています。 私たち千二百人と、そのほかの仏を求める者たちは、 どうかこの人々のために、区別して説き示してください。 これらの人々がこの法を聞けば、大きな歓喜を生じるでしょう。 そのとき世尊は舎利弗に告げられました。「あなたはすでに、ていねいに三度請いました。どうして説かずにいられましょうか。あなたはいま、よく聴き、よく思い考えなさい。私はあなたのために、区別して解き明かします」。この言葉が説かれたとき、会衆の中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、合わせて五千人ほどが、すぐに座から立ち、仏を礼拝して退きました。なぜなら、この人々は罪の根が深く重く、また思い上がりがあって、まだ得ていないのに得たと思い、まだ悟っていないのに悟ったと思い、このような過ちがあったので、ここにとどまれなかったからです。世尊は黙って、止めようとはされませんでした。 そのとき仏は舎利弗に告げられました。「いま、この集まりには、もう枝葉がなく、ただ実のあるものだけがいます。舎利弗よ、このような思い上がった人たちは、退いてもよいのです。あなたはいま、よく聴きなさい。あなたのために説きましょう」。舎利弗は言いました。「はい、そのとおりです、世尊。喜んで聞きたく思います」。 仏は舎利弗に告げられました。
解説

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