法華経 / 序品第一(12)
比丘比丘尼,其數如恒沙,倍復加精進,以求無上道。 是妙光法師,奉持佛法藏,八十小劫中、廣宣法華經。 是諸八王子,妙光所開化,堅固無上道,當見無數佛。 供養諸佛已,隨順行大道,相繼得成佛,轉次而授記。 最後天中天,號曰燃燈佛,諸仙之導師,度脫無量眾。 是妙光法師,時有一弟子,心常懷懈怠,貪著於名利, 求名利無厭,多遊族姓家,棄捨所習誦,廢忘不通利。 以是因緣故,號之為求名。亦行眾善業,得見無數佛, 供養於諸佛,隨順行大道,具六波羅蜜,今見釋師子。 其後當作佛,號名曰彌勒,廣度諸眾生,其數無有量。 彼佛滅度後,懈怠者汝是,妙光法師者,今則我身是。 我見燈明佛,本光瑞如此,以是知今佛、欲說法華經。 今相如本瑞,是諸佛方便,今佛放光明,助發實相義。 諸人今當知,合掌一心待,佛當雨法雨,充足求道者。 諸求三乘人,若有疑悔者,佛當為除斷,令盡無有餘。
新字:比丘比丘尼,其数如恒沙,倍復加精進,以求無上道。 是妙光法師,奉持仏法蔵,八十小劫中、広宣法華経。 是諸八王子,妙光所開化,堅固無上道,当見無数仏。 供養諸仏已,随順行大道,相継得成仏,転次而授記。 最後天中天,号曰燃灯仏,諸仙之導師,度脱無量衆。 是妙光法師,時有一弟子,心常懐懈怠,貪著於名利, 求名利無厭,多遊族姓家,棄捨所習誦,廃忘不通利。 以是因縁故,号之為求名。亦行衆善業,得見無数仏, 供養於諸仏,随順行大道,具六波羅蜜,今見釈師子。 其後当作仏,号名曰弥勒,広度諸衆生,其数無有量。 彼仏滅度後,懈怠者汝是,妙光法師者,今則我身是。 我見灯明仏,本光瑞如此,以是知今仏、欲説法華経。 今相如本瑞,是諸仏方便,今仏放光明,助発実相義。 諸人今当知,合掌一心待,仏当雨法雨,充足求道者。 諸求三乗人,若有疑悔者,仏当為除断,令尽無有余。
書き下し
比丘・比丘尼の、其の数恒沙の如きも、倍復た精進を加えて、以て無上道を求む。 是の妙光法師は、仏の法蔵を奉持して、八十小劫の中、広く法華経を宣べたり。 是の諸の八王子は、妙光の開化する所にして、無上道に堅固にして、当に無数の仏を見るべし。 諸仏を供養し已りて、大道を随順して行じ、相い継いで成仏することを得て、転次に授記せらる。 最後の天中天は、号を燃燈仏と曰い、諸仙の導師として、無量の衆を度脱したまえり。 是の妙光法師に、時に一りの弟子有り、心に常に懈怠を懐き、名利に貪著せり。 名利を求めて厭くこと無く、多く族姓の家に遊び、習い誦するところを棄捨し、廃忘して通利せず。 是の因縁を以ての故に、之を号して求名と為す。亦た衆の善業を行じ、無数の仏を見ることを得、 諸仏を供養し、大道を随順して行じ、六波羅蜜を具して、今釈師子を見る。 其の後に当に作仏すべし、号を名づけて弥勒と曰い、広く諸の衆生を度すること、其の数、量有ること無からん。 彼の仏の滅度の後、懈怠せし者は汝是れなり。妙光法師は、今、則ち我が身是れなり。 我れ燈明仏の、本の光瑞の此の如くなるを見る。是を以て今の仏、法華経を説かんと欲するを知る。 今の相は本の瑞の如し、是れ諸仏の方便なり。今の仏、光明を放ちて、実相の義を助発したもう。 諸人よ、今当に知るべし、合掌し一心に待て。仏、当に法雨を雨らして、道を求むる者を充足せしめたもうべし。 諸の三乗を求むる人、若し疑悔有らば、仏、当に為に除断して、尽く余り有ること無からしめたもうべし。
現代語訳
比丘や比丘尼たちは、その数はガンジス川の砂のようでしたが、いっそう精進を加えて、この上ない道を求めました。 この妙光法師は、仏の法の宝蔵を受け持ち、八十小劫のあいだ、広く法華経を宣べ伝えました。 八人の王子は、妙光に教え導かれて、この上ない道に堅固になり、無数の仏にまみえるでしょう。 諸仏を供養し終えて、大道に従って行じ、次々と成仏することができ、順を追って授記されました。 最後の天中天は、燃燈仏と号し、多くの仙人たちの導師として、無数の衆生を救い出されました。 この妙光法師に、そのとき一人の弟子がいました。心にいつも怠け心を抱き、名声と利益に貪り着いていました。 名利を求めて飽きることなく、多く名家に出入りし、習い誦したことを捨て去り、忘れて身につけませんでした。 そうした因縁により、彼は求名と呼ばれました。しかし彼も多くの善業を行い、無数の仏にまみえることができ、 諸仏を供養し、大道に従って行じ、六波羅蜜を具えて、いま釈迦牟尼仏にまみえています。 その後に仏となるでしょう。名は弥勒といい、広く多くの衆生を救うことは、その数に限りがないでしょう。 あの仏が滅度されたのち、怠けていた者は、あなたです。妙光法師は、いま私の身です。 私は燈明仏の昔の光の瑞相がこのようであったのを見ました。それで、いまの仏が法華経を説こうとされているのが分かります。 いまの相は昔の瑞相と同じで、これは諸仏の方便です。いまの仏は光明を放って、実相の義を助け現しておられます。 みなさん、いまこそ知りなさい。合掌し、一心に待ちなさい。仏は法の雨を降らせて、道を求める者を満たされるでしょう。 三乗を求める人々に、もし疑いや後悔があるなら、仏はその疑いを断ち除いて、残りなく除かれるでしょう。
解説

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法華経・序品第一(10)「弥勒当に知るべし、爾の時の妙光菩薩は、豈に異人ならんや、我が身是れなり。求名菩薩は、汝が身是れなり。今此の瑞を見るに、本と異なること無し。是の故に惟忖するに、今日、如来、当に大乗経の妙法蓮華と名づくるを説き、菩薩を教うる法にして、仏の護念したまう所なるを説きたまうべし」と。 その時、文殊師利、大衆の中に於いて、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、 我れ過去世の、無量無数劫を念うに、仏有りて人中の尊なり、号を日月燈明と曰う。 世尊、法を演説して、無量の衆生、無数億の菩薩を度し、仏の智慧に入らしめたまえり。 仏、未だ出家したまわざる時、生ぜる所の八王子は、大聖の出家したまうを見て、亦た随いて梵行を修せり。 時に仏、大乗を説きたまい、経を無量義と名づけ、諸の大衆の中に於いて、為に広く分別したまう。 仏、此の経を説き已りて、即ち法座の上に於いて、跏趺して三昧に坐したもう、無量義処と名づく。 天より曼陀華を雨らし、天鼓自然に鳴り、諸の天・龍・鬼神、人中の尊を供養す。 一切の諸の仏土、即時に大いに震動す。仏、眉間の光を放ち、諸の稀有の事を現じたもう。 此の光、東方の、万八千の仏土を照らし、一切衆生の、生死業報の処を示す。 諸の仏土の、衆宝をもって荘厳せるを見る有り、琉璃・玻璃の色なり、斯れ仏光の照らすに由る。 及び諸の天・人、龍神・夜叉の衆、乾闥・緊那羅の、各おの其の仏を供養するを見る。 又た諸の如来の、自然に仏道を成じたまえるを見る。身の色は金山の如く、端厳にして甚だ微妙なり、 浄き琉璃の中に、内に真金の像を現ずるが如し。世尊、大衆に在して、深き法義を敷演したもう。 一一の諸の仏土に、声聞の衆、無数なり。仏の光の照らす所に因りて、悉く彼の大衆を見る。 或いは諸の比丘の、山林の中に在りて、精進して浄戒を持つこと、猶し明珠を護るが如くなる有り。 又た諸の菩薩の、施・忍辱等を行ずること、其の数恒沙の如くなるを見る。斯れ仏光の照らすに由る。
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法華経・序品第一(9)「爾の時、如来、眉間の白毫相の光を放ちて、東方万八千の仏土を照らしたもうに、周ねからざる靡きこと、今見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし、爾の時、会中に二十億の菩薩有りて、法を聴かんと楽欲す。是の諸の菩薩、此の光明の普く仏土を照らすを見て、未曾有を得、此の光の為す所の因縁を知らんと欲す。時に菩薩有り、名を妙光と曰い、八百の弟子有り。是の時、日月燈明仏、三昧より起ちて、妙光菩薩に因りて、大乗経の妙法蓮華と名づくるを説き、菩薩を教うる法にして、仏の護念したまう所なり。六十小劫、座より起たず。時の会の聴者も、亦た一処に坐して、六十小劫、身心動ぜず、仏の説きたもう所を聴くこと、食頃の如しと謂えり。是の時、衆中に、一人として、若しは身、若しは心に、懈倦を生ずる者有ること無し」と。 「日月燈明仏、六十小劫に於いて是の経を説き已りて、即ち梵・魔・沙門・婆羅門、及び天・人・阿修羅の衆中に於いて、而も此の言を宣べたまう、如来は今日の中夜に於いて、当に無余涅槃に入るべし、と。時に菩薩有り、名を徳蔵と曰う。日月燈明仏、即ち其の記を授けたまう。諸の比丘に告げたまわく、是の徳蔵菩薩、次に当に作仏すべし、号を浄身、多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀と曰わん、と。仏、授記し已りて、便ち中夜に於いて、無余涅槃に入りたまえり。仏の滅度の後、妙光菩薩、妙法蓮華経を持して、八十小劫を満たして、人の為に演説す。日月燈明仏の八子、皆な妙光を師とす。妙光、教化して、其れをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ。是の諸の王子、無量百千万億の仏を供養し已りて、皆な仏道を成ず。其の最後に成仏する者を、名づけて燃燈と曰う。八百の弟子の中に、一人有り、号を求名と曰う。利養に貪著し、復た衆経を読誦すと雖も、而も通利せず、忘失する所多し。故に求名と号す。是の人も亦た、諸の善根を種うる因縁を以ての故に、無量百千万億の諸仏に値うことを得て、供養・恭敬・尊重・讃歎せり」と。
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法華経・序品第一(11)又た諸の菩薩の、深く諸の禅定に入り、身心寂として動ぜず、以て無上道を求むるを見る。 又た諸の菩薩の、法の寂滅の相を知りて、各おの其の国土に於いて、法を説いて仏道を求むるを見る。 その時、四部の衆、日月燈仏の、大神通力を現じたもうを見て、其の心皆な歓喜し、 各各自ら相い問う、是の事、何の因縁ぞ、と。天人の奉る所の尊、適に三昧より起ちて、 妙光菩薩を讃えたまわく、汝は世間の眼なり、一切の帰信する所なり、能く法蔵を奉持す、 我が所説の法の如きは、唯だ汝のみ能く証知せん、と。世尊既に讃歎して、妙光をして歓喜せしめ、 是の法華経を説きたもうこと、六十小劫を満たして、此の座より起たず。所説の上妙の法を、 是の妙光法師、悉く皆な能く受持せり。仏、是の法華を説きて、衆をして歓喜せしめ已りて、 尋ち即ち是の日に於いて、天人の衆に告げたまわく、諸法実相の義は、已に汝等が為に説きぬ、 我れ今、中夜に於いて、当に涅槃に入るべし。汝、一心に精進して、当に放逸を離るべし、 諸仏は甚だ値い難し、億劫に時に一たび遇う、と。世尊の諸子等、仏の涅槃に入りたまうを聞きて、 各各悲悩を懐き、仏の滅したまうこと、一に何ぞ速やかなる、と。聖主法の王、無量の衆を安慰したまわく、 我れ若し滅度せん時、汝等憂怖すること勿かれ。是の徳蔵菩薩は、無漏の実相に於いて、 心已に通達することを得たり。其の次に当に作仏すべし、号を浄身と為し、亦た無量の衆を度せん、と。 仏、此の夜に滅度したもうこと、薪尽きて火の滅するが如し。諸の舎利を分布して、無量の塔を起つ。
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法華経・序品第一(8)「次に復た仏有り、亦た日月燈明と名づく。次に復た仏有り、亦た日月燈明と名づく。是くの如く二万の仏、皆な同一の字にして、号を日月燈明と曰い、又た同一の姓にして、姓は頗羅堕なり。弥勒当に知るべし、初仏も後仏も、皆な同一の字にして、名を日月燈明と曰い、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初・中・後、善し。其の最後の仏、未だ出家したまわざる時、八王子有り。一を有意と名づけ、二を善意と名づけ、三を無量意と名づけ、四を宝意と名づけ、五を増意と名づけ、六を除疑意と名づけ、七を向意と名づけ、八を法意と名づく。是の八王子、威徳自在にして、各おの四天下を領す。是の諸の王子、父の出家して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえるを聞き、悉く王位を捨てて、亦た随いて出家し、大乗の意を発し、常に梵行を修し、皆な法師と為りて、已に千万の仏所に於いて、諸の善本を植えたり」と。 「是の時、日月燈明仏、大乗経の無量義と名づくるを説き、菩薩を教うる法にして、仏の護念したまう所なり。是の経を説き已りて、即ち大衆の中に於いて、結跏趺坐し、無量義処三昧に入り、身心動じたまわず。是の時、天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散ず。普く仏の世界、六種に震動す。爾の時、会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人非人、及び諸の小王・転輪聖王等、是の諸の大衆、未曾有を得て、歓喜合掌し、一心に仏を観たてまつる」と。
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法華経・序品第一(7)その時、文殊師利、弥勒菩薩摩訶薩、及び諸の大士、善男子等に語る、「我が惟忖するが如きは、今、仏世尊、大法を説かんと欲し、大法の雨を雨らし、大法の螺を吹き、大法の鼓を撃ち、大法の義を演べんとす。諸の善男子、我れ過去の諸仏に於いて、曾て此の瑞を見る。斯の光を放ち已りて、即ち大法を説きたまえり。是の故に当に知るべし、今、仏の光を現ずるも、亦復た是くの如し。衆生をして、咸な一切世間の難信の法を聞知することを得しめんと欲す。故に斯の瑞を現じたもう」と。 「諸の善男子、過去の無量無辺不可思議阿僧祇劫の如き、爾の時に仏有り、号を日月燈明如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰う。正法を演説したもうに、初めも善く、中も善く、後も善く、其の義深遠に、其の語巧妙にして、純一無雑、清白の梵行の相を具足したまえり。声聞を求むる者の為には、応ずる四諦の法を説いて、生老病死を度し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者の為には、応ずる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には、応ずる六波羅蜜を説いて、阿耨多羅三藐三菩提を得しめ、一切種智を成ぜしめたまえり」と。
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法華経・序品第一(6)名衣上服の、価値千万なる、或いは無価の衣をもって、仏及び僧に施す。千万億種の、栴檀の宝舎、衆の妙なる臥具をもって、仏及び僧に施す。 清浄の園林の、華果茂盛し、流泉浴池あるを、仏及び僧に施す。是くの如き等の施、種々の果微妙にして、歓喜して厭うこと無く、無上道を求む。 或いは菩薩有りて、寂滅の法を説き、種種に教詔して、無数の衆生を度す。或いは菩薩の、諸法の性を観じて、二相有ること無く、猶し虚空の如くなるを見る。 又た仏子の、心に所著無く、此の妙慧を以て、無上道を求むるを見る。文殊師利、又た菩薩有り、仏の滅度の後、舎利を供養す。 又た仏子の、諸の塔廟を造ること、無数恒沙にして、国界を厳飾し、宝塔高妙にして、五千由旬、縦広正等にして、二千由旬なるを見る。 一一の塔廟に、各おの千の幢幡あり、珠をもて交露せる幔あり、宝鈴和し鳴る。諸天・龍神、人及び非人、香華・伎楽をもって、常に以て供養す。 文殊師利、諸の仏子等、舎利を供せんが為に、塔廟を厳飾すれば、国界自然に、殊特妙好なること、天の樹王の如く、其の華開敷するが如し。 仏、一光を放ちたもう。我れ及び衆会、此の国界の、種種に殊妙なるを見る。諸仏の神力、智慧稀有なり。一の浄光を放ちて、無量の国を照らしたもう。 我等此れを見て、未曾有を得たり。仏子文殊、願わくは衆の疑いを決したまえ。四衆欣仰して、仁と我とを瞻る。世尊何が故ぞ、斯の光明を放ちたもう。 仏子、時に答えて、疑いを決し喜ばしめよ。何の饒益する所ありてか、斯の光明を演べたもう。仏、道場に坐して得たまえる所の妙法を、此を説かんと欲するが為なるか、当に授記すべきが為なるか、 諸の仏土の、衆宝をもって厳浄なるを示し、及び諸仏を見せしむるは。此れ小縁に非ず。文殊当に知るべし。四衆・龍神、仁者を瞻察して、何等をか説きたもうと為さん。