法華経 / 序品第一(8)
「次復有佛、亦名日月燈明,次復有佛、亦名日月燈明,如是二萬佛、皆同一字,號日月燈明,又同一姓,姓頗羅墮。彌勒當知,初佛後佛,皆同一字,名日月燈明,十號具足。所可說法,初中後善。其最後佛,未出家時、有八王子,一名有意,二名善意,三名無量意,四名寶意,五名增意,六名除疑意,七名向意,八名法意。是八王子,威德自在,各領四天下。是諸王子,聞父出家,得阿耨多羅三藐三菩提。悉捨王位,亦隨出家,發大乘意,常修梵行,皆為法師,已於千萬佛所、植諸善本。」 「是時日月燈明佛說大乘經,名無量義、教菩薩法、佛所護念。說是經已,即於大眾中、結跏趺坐,入於無量義處三昧,身心不動。是時、天雨曼陀羅華,摩訶曼陀羅華,曼殊沙華,摩訶曼殊沙華,而散佛上、及諸大眾。普佛世界,六種震動。爾時會中,比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人、及諸小王、轉輪聖王、等。是諸大眾,得未曾有,歡喜合掌,一心觀佛。」
新字:「次復有仏、亦名日月灯明,次復有仏、亦名日月灯明,如是二万仏、皆同一字,号日月灯明,又同一姓,姓頗羅堕。弥勒当知,初仏後仏,皆同一字,名日月灯明,十号具足。所可説法,初中後善。其最後仏,未出家時、有八王子,一名有意,二名善意,三名無量意,四名宝意,五名增意,六名除疑意,七名向意,八名法意。是八王子,威徳自在,各領四天下。是諸王子,聞父出家,得阿耨多羅三藐三菩提。悉捨王位,亦随出家,発大乗意,常修梵行,皆為法師,已於千万仏所、植諸善本。」 「是時日月灯明仏説大乗経,名無量義、教菩薩法、仏所護念。説是経已,即於大衆中、結跏趺坐,入於無量義処三昧,身心不動。是時、天雨曼陀羅華,摩訶曼陀羅華,曼殊沙華,摩訶曼殊沙華,而散仏上、及諸大衆。普仏世界,六種震動。爾時会中,比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人、及諸小王、転輪聖王、等。是諸大衆,得未曽有,歓喜合掌,一心観仏。」
書き下し
「次に復た仏有り、亦た日月燈明と名づく。次に復た仏有り、亦た日月燈明と名づく。是くの如く二万の仏、皆な同一の字にして、号を日月燈明と曰い、又た同一の姓にして、姓は頗羅堕なり。弥勒当に知るべし、初仏も後仏も、皆な同一の字にして、名を日月燈明と曰い、十号具足したまえり。説きたもう所の法、初・中・後、善し。其の最後の仏、未だ出家したまわざる時、八王子有り。一を有意と名づけ、二を善意と名づけ、三を無量意と名づけ、四を宝意と名づけ、五を増意と名づけ、六を除疑意と名づけ、七を向意と名づけ、八を法意と名づく。是の八王子、威徳自在にして、各おの四天下を領す。是の諸の王子、父の出家して、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえるを聞き、悉く王位を捨てて、亦た随いて出家し、大乗の意を発し、常に梵行を修し、皆な法師と為りて、已に千万の仏所に於いて、諸の善本を植えたり」と。 「是の時、日月燈明仏、大乗経の無量義と名づくるを説き、菩薩を教うる法にして、仏の護念したまう所なり。是の経を説き已りて、即ち大衆の中に於いて、結跏趺坐し、無量義処三昧に入り、身心動じたまわず。是の時、天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上及び諸の大衆に散ず。普く仏の世界、六種に震動す。爾の時、会中の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人非人、及び諸の小王・転輪聖王等、是の諸の大衆、未曾有を得て、歓喜合掌し、一心に仏を観たてまつる」と。
現代語訳
「そのあとにも仏がおられ、やはり日月燈明という名でした。さらにそのあとにも仏がおられ、やはり日月燈明という名でした。このように二万の仏がみな同じ名で、日月燈明と号し、また同じ姓で、姓は頗羅堕でした。弥勒よ、知りなさい。最初の仏も後の仏も、すべて同じ名で、日月燈明といい、十の称号を備えておられました。説かれた法は、初めも中も終わりも善いものでした。その最後の仏が、まだ出家されなかったころ、八人の王子がおられました。第一を有意、第二を善意、第三を無量意、第四を宝意、第五を増意、第六を除疑意、第七を向意、第八を法意といいます。この八人の王子は威徳が自在で、それぞれ四つの天下を治めていました。王子たちは、父が出家してこの上ない正しい悟りを得たと聞くと、みな王位を捨て、父に従って出家しました。大乗の心を起こし、常に清らかな行いを修め、皆、法師となって、すでに千万の仏のもとで多くの善の根を植えていました」。 「このとき、日月燈明仏は、大乗の経で無量義という名のものを説かれました。それは菩薩を教える法で、仏が心にかけて守られるものです。この経を説き終えると、大衆の中で結跏趺坐し、無量義処三昧に入って、身も心も動かずにおられました。このとき天から曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華が降り、仏の上と大衆の上に散りました。仏の世界は六通りに震え動きました。そのとき会衆の中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人間や人間でないもの、小国の王や転輪聖王たちは、いまだかつてない体験に歓喜し、合掌して、一心に仏を見つめていました」。
解説

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