抱朴子外篇 / 辭義
抱樸子曰:屬筆之家,亦各有病,其深者則患乎譬煩言冗,申誡廣喻,欲棄而惜,不覺成煩也。其淺者則患乎妍而無據,證援不給,皮膚鮮澤而骨鯁迥弱也。繁華日韋曄,則並七曜以高麗;沈微淪妙,則儕玄淵之無測。人事靡細而不浹,王道無微而不憊,故能身賤而言貴,千載彌彰焉。
新字:抱樸子曰:属筆之家,亦各有病,其深者則患乎譬煩言冗,申誡広喩,欲棄而惜,不覚成煩也。其浅者則患乎妍而無拠,証援不給,皮膚鮮沢而骨鯁迥弱也。繁華日韋曄,則並七曜以高麗;沈微淪妙,則儕玄淵之無測。人事靡細而不浹,王道無微而不憊,故能身賤而言貴,千載弥彰焉。
書き下し
抱朴子曰く、属筆の家は、亦た各おの病有り。其の深き者は則ち譬え煩わしく言冗なるを患い、誡めを申べ喩えを広げ、棄てんと欲して惜しみ、覚えず煩を成す。其の浅き者は則ち妍にして拠無きを患い、証援給らず、皮膚は鮮沢なれども骨鯁は迥かに弱し。繁華日に韡曄たれば、則ち七曜に並んで以て高麗なり、沈微淪妙なれば、則ち玄淵の無測に儕し。人事は細なりとして浹らざる靡く、王道は微として備わらざる無し、故に能く身賤しくして言貴く、千載いよいよ彰らかなり。
現代語訳
抱朴子は言う。文章を綴る者にも、それぞれ欠点がある。深い者は、たとえが煩わしく言葉が冗長になりがちで、戒めを重ね比喩を広げ、捨てようとして惜しみ、気づかぬうちに煩雑になる。浅い者は、美しいが拠り所がなく、証拠や引用が足りず、肌はつやつやしていても骨はまるで弱い。華やかさが日々輝けば、七曜に並んで高く麗しく、奥深く微妙に沈めば、底知れぬ深い淵に並ぶ。人事は細かいものでも行きわたらないものはなく、王道は微細なものでも備わらないものがない。だから身は賤しくても言葉は貴く、千年のちにもいよいよ明らかになるのである。
解説
この章句が説くこと
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抱朴子外篇・辭義抱朴子曰く、夫れ才に清濁有り、思いに修短有り、並びに属文すと雖も、叁差たること万品、或いは浩瀁にして淵渾ならず、或いは事情にして辞鈍く、或いは物理に違えども文は工みなり。蓋し偏長の一致にして、兼通の才に非ざるなり。自ら料るに暗くして、強いて之を兼ねんと欲し、才に違いて務めを易う、故に嗤いを免れず。抱朴子曰く、五味は舛なるも並びに甘く、衆色は乖くも皆麗し。近人の情は、同じきを愛し異なるを憎み、己に合うを貴び、途を殊にするを賤しむ。夫れ文章の体は、尤も詳らかに賞し難し。苟くも耳に入るを以て佳と為し、心に適うを以て快と為さば、味を忘るるの九成、雅頌の風流を知る者鮮し。所謂塩梅の鹹酸を考えて、大羹の致さざるを知らず、飄搖の細巧を明らかにして、沈深の弘邃に蔽わるるなり。其の英異宏逸なる者は、則ち玄黄の表に網羅し、其の拘束齷齪なる者は、則ち籠罩の内に羈紲せらる。翅を振るうに利鈍有れば、則ち翔集に高卑有り。跡を騁するに遅迅有れば、則ち進趨に遠近有り。駑鋭は柱に膠して調う可からず。文は豊贍を貴ぶ、何ぞ必ずしも善を称すること一口の如くならんや。風俗の流遁、世途の凌夷を拯い、疑う者の路を通じ、貧しき者の乏しきを賑わす能わずんば、何ぞ春華の肴糧の用を為さず、茝蕙の氷寒の急を救わざるに異ならん。古詩は過失を刺る、故に益有りて貴ばる。今詩は純ら虚誉す、故に損有りて賤しまるるなり。
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抱朴子外篇・尚博或ひと曰く、「徳行は本なり、文章は末なり。故に四科の序、文は上に居らず。然らば則ち紙に著す者は、糟粕の余事、伝う可き者は、祭り畢るの芻狗なり。卑高の格、是れ識る可し。文の体略、聞くを得可きか」と。抱朴子曰く、「荃は以て棄つ可きも魚未だ獲ざれば、荃無かる可からず。文は以て廃す可きも道未だ行われざれば、文無かる可からず。若し夫れ翰跡韻略の宏促、辞を属し事を比ぶるの疎密、源流至到の修短、蘊藉汲引の深浅は、其の懸絶するや、天外毫内と雖も、以て其の遼邈を喩うるに足らず。其の相傾くや、三光の熠耀と雖も、以て其の巨細に方ぶるに足らず。龍淵鉛鋌も、未だ其の鋭鈍に譬うるに足らず。鴻羽積金も、未だ其の軽重に比ぶるに足らず。清濁は参差にして、稟くる所に主有り、朗昧は科を同じくせず、強弱は各おの気を殊にす。而るに俗士は唯だ能く毫を染め紙に画く者を見れば、便ち之を一例に概す。斯れ伯牙の永く鍾子を思い、郢人の斤を運らさざる所以なり。蓋し刻削する者は肩を比ぶるも、班狄は絶手の称を擅にし、琴を援く者は至りて衆きも、夔襄は知音の難きを専らにす。廄馬は千駟なるも、騏驥は群を邈かにするの価有り。美人は万を計うるも、威施は世を超ゆるの容有り。蓋し遠く衆に過ぐる者有るなり。
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抱朴子外篇・辭義或ひと曰く、「乾坤の方円は、規定の功に非ず。三辰の景を摛ぶは、瑩磨の力に非ず。春華の粲煥は、漸染の辨に非ず。茝蕙の芬馥は、容気の仮る所に非ず。夫の至真を知るは、天然を貴ぶ。義は罕に覿るを以て異と為し、辞は常ならざるを以て美と為す。而るに古今属文の家を歴観するに、能く逸麗を毫端に挺ずる者は鮮く、多く前言を斟酌す。何ぞや」と。抱朴子曰く、「清音は雅韻の克く諧うを貴び、著作は微を判ち理を析つを珍とす。故に八音は器を形して異なるも鍾律は同じ、黼黻は文物殊なるも五色は均し。徒だ閑澀に主賓有り、妍媸に歩驟有り。是れ則ち総章に常の曲無く、大庖に定味無し。夫れ梓豫山のごとく積むも、班匠に非ざれば機巧を成す能わず。衆書限り無きも、英才に非ざれば膏腴を収む能わず。何ぞ必ずしも木を千里に尋ねて、乃ち大廈を構えん。鬼神の言にして、乃ち篇章を著さんや」と。
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抱朴子外篇・文行或ひと曰く、「徳行は本なり。文章は末なり。故に四科の序、文は上に居らず。然らば則ち紙に著す者は、糟粕の余事、伝う可き者は、祭り畢わるの芻狗なり。卑高の格、是れ譏る可し」と。抱朴子答えて曰く、「荃は棄つ可きも魚未だ獲ざれば、則ち荃無かる可からず。文は廃す可きも道未だ行われざれば、則ち文無かる可からず。夫の翰跡韻略の広逼、辞を属し義を比ぶるの妍媸、源流至到の修短、韞藉汲引の深浅の若きは、其の懸絶するや、天外毫内と雖も、以て其の遼邈を喩うるに足らず、三光熠耀と雖も、以て其の巨細に方ぶるに足らず。龍淵鉛鋌も、未だ以て其の鋭鈍を譬うるに足らず。鴻羽積金も、未だ以て其の軽重に方ぶるに足らず。而るに俗士は唯だ能く毫を染め紙に画くを見て、便ち概ね一例を以てす。斯れ伯氏の永く鍾子を思う所以、郢人の斤を運らさざるを格む所以なり。夫れ斫削する者は肩を比ぶれども、班狄は絶手の名を擅にし、琴を援く者は至って多けれども、夔襄は清声の称を専らにす。廄馬千駟なれども、騏騮は群を邈かにするの価有り。美人万もて計うれども、威施は世を超ゆるの色有るは、蓋し遠く衆に過ぐればなり。且つ文章の徳行に於けるは、猶お十尺の一丈に於けるがごとし。之を余事と謂うは、未だ之を聞かざるなり。八卦は鷹隼の飛ぶに生じ、六甲は霊亀の負うに出ず。文の在る所、且つ貴ぶと雖も、本は必ずしも便ち疏ならず、末は必ずしも皆薄からず。錦繡の素地に因り、珠玉の蟲奉石に托するに譬う。雲雨は膚寸に生じ、江河は咫尺に始まる。理の誠に茲の若くんば、則ち雅論病めり」と。
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抱朴子外篇・尚博或ひと曰く、「著述は繁しと雖も、適に以て辞を騁せ藻を耀らすべきのみ、得失を補救する無し。未だ徳行不言の訓に若かず。故に顔閔を上と為して游夏は乃ち次なり。四科の格は、本を学び末を行う。然らば則ち綴文は固より余事と為す、而るに吾子は其の源を褒崇せず、独り其の流を貴ぶ、可ならんや」と。抱朴子答えて曰く、「徳行は事有りと為し、優劣見易し。文章は微妙にして、其の体は識り難し。夫れ見易き者は粗なり、識り難き者は精なり。夫れ唯だ粗なり、故に銓衡に定まり有り。夫れ唯だ精なり、故に品藻一なり難し。吾れ故に見易きの粗を舍てて、識り難きの精を論ず、亦た可ならずや」と。
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抱朴子外篇・博喻抱朴子曰く、波を止むるの修鱗は、窮谷の隘きより出でず、鸞の棲む峻木は、培螻の卑きに秀でず、九疇の格言は、庸猥の口より吐かれず、金版の高算は、恒民の懐より出でず。百抱の支を睹れば、則ち以て其の本の細からざるを知るに足り、汪濊の文を睹れば、則ち以て其の人の淵邃なるを覚るに足る。
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