抱朴子外篇 / 博喻
抱樸子曰:瓊艘瑤緝,無涉川之用;金弧玉弦,無激乖之能。是以介潔而無政事者,非撥亂之器,儒雅而乏治略者,非翼亮之才。
新字:抱樸子曰:瓊艘瑤緝,無渉川之用;金弧玉弦,無激乖之能。是以介潔而無政事者,非撥乱之器,儒雅而乏治略者,非翼亮之才。
書き下し
抱朴子曰く、瓊艘瑤緝は川を渉るの用無く、金弧玉弦は乖を激するの能無し。是を以て介潔にして政事無き者は、乱を撥むるの器に非ず、儒雅にして治略に乏しき者は、翼亮の才に非ず。
現代語訳
抱朴子は言う。玉で飾った舟や玉の綱は、川を渡る用には立たず、金の弓や玉の弦は、的を射抜く力がない。だから、身を清く保っていても政治の実務のない者は、乱を治める器ではなく、教養があって雅やかでも治める策略に乏しい者は、君主を助ける才ではない。
解説
飾りの立派な舟や弓は、実際の役には立たない、というたとえです。「介潔にして政事無き者は、乱を撥むるの器に非ず」。清廉で教養のある人物でも、実務の力がなければ、乱れた世を立て直す器にはならないと言い切ります。人柄のよさと仕事の力は別の物差しだ、という指摘は、昇進や抜擢の場面で耳が痛いものです。誠実で評判のよい人を、実行力の確認なしに管理職へ上げる失敗は、どの会社にも覚えがあります。評価の軸を二つに分けて見ることが、この句の実用になります。
この章句が説くこと
介潔にして政事無き者は乱を撥むるの器に非ず儒雅にして治略に乏しき者は金弧玉弦は乖を激するの能無し実務抜擢
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