抱朴子外篇 / 吳失
吳主不此之思,不加夕惕,佞諂凡庸,委以重任,危機急於弓廣弩,亡徵著於日月,而自謂安於峙嶽,唐虞可仰也。目力疲於綺粲,而不以覽庶事之得失;耳聰盡於淫音,而不以證獻言之邪正;谷帛靡於不爭,而不以賑戰士之凍餒;心神悅於愛媚,而不以念存亡之弘理。蓋輕乎崇替之源,而忽乎宗廟之重者也。鄭君又稱,其師左先生隱居天柱,出不營祿利,不友諸侯,然心願太平,竊憂桑梓,乃慨然永嘆於蓬屋之下,告其門生曰:「漢必被耀,黃精載起,纘樞紐於太微,回紫蓋於鶉首。聯天理物,光宅東夏,惠風被於區外,玄澤洽乎宇內。重譯接武,貢楛盈庭,蕩蕩巍巍,格於上下,承平守文,因循甚易,而五弦謐響,南風不詠,上不獲恭己之逸,下不聞康哉之歌。飛龍翔而不集,淵虬蟠而不躍,騶虞翳於冥昧,朱華牙而未秀,陰陽相沴,寒燠繆節,七政告兇,陵谷易所,殷雷車訇磕。於龍潛之月,凝霜肅殺乎朱明之運。玉燭不照,沈醴不湧,郊聲多壘,嘉生不遂夫豈他哉?誠由四兇不去,元凱不舉,用者不賢,賢者不用也。
新字:呉主不此之思,不加夕惕,佞諂凡庸,委以重任,危機急於弓広弩,亡徴著於日月,而自謂安於峙嶽,唐虞可仰也。目力疲於綺粲,而不以覧庶事之得失;耳聰尽於淫音,而不以証献言之邪正;谷帛靡於不争,而不以賑戦士之凍餒;心神悦於愛媚,而不以念存亡之弘理。蓋軽乎崇替之源,而忽乎宗廟之重者也。鄭君又称,其師左先生隠居天柱,出不営禄利,不友諸侯,然心願太平,窃憂桑梓,乃慨然永嘆於蓬屋之下,告其門生曰:「漢必被耀,黄精載起,纘枢紐於太微,回紫蓋於鶉首。聯天理物,光宅東夏,恵風被於区外,玄沢洽乎宇内。重訳接武,貢楛盈庭,蕩蕩巍巍,格於上下,承平守文,因循甚易,而五弦謐響,南風不詠,上不獲恭己之逸,下不聞康哉之歌。飛竜翔而不集,淵虬蟠而不躍,騶虞翳於冥昧,朱華牙而未秀,陰陽相沴,寒燠繆節,七政告兇,陵谷易所,殷雷車訇磕。於竜潜之月,凝霜粛殺乎朱明之運。玉燭不照,沈醴不湧,郊声多塁,嘉生不遂夫豈他哉?誠由四兇不去,元凱不舉,用者不賢,賢者不用也。
書き下し
呉主は此れを思わず、夕に惕るるを加えず、佞諂の凡庸に、委ぬるに重任を以てし、危機は弓の弩を張るより急に、亡徴は日月に著れて、自ら岳に峙つより安く、唐虞も仰ぐ可しと謂う。目力は綺粲に疲れて、以て庶事の得失を覧ず、耳聡は淫音に尽きて、以て献言の邪正を証せず、谷帛は争わざるに靡され、而して以て戦士の凍餒を賑わさず、心神は愛媚に悦びて、以て存亡の弘理を念わず。蓋し崇替の源を軽んじて、宗廟の重きを忽せにする者なり。鄭君又た称す、其の師左先生は天柱に隠居し、出でて禄利を営まず、諸侯と友とせず、然れども心は太平を願い、窃かに桑梓を憂え、乃ち慨然として蓬屋の下に永嘆し、其の門生に告げて曰く、「漢は必ず耀を被り、黄精は載ち起こらん。枢紐を太微に纘ぎ、紫蓋を鶉首に回らす。天に聯なり物を理め、光く東夏に宅し、恵風は区外に被い、玄沢は宇内に洽からん。重訳して武を接ぎ、貢楛は庭に盈ち、蕩蕩巍巍として、上下に格り、承平にして文を守り、因循すること甚だ易し。而るに五弦は響きを謐め、南風は詠ぜず、上は恭己の逸を獲ず、下は康哉の歌を聞かず。飛龍は翔けて集まらず、淵虬は蟠りて躍らず、騶虞は冥昧に翳われ、朱華は牙して未だ秀でず、陰陽は相沴し、寒燠は節を繆り、七政は凶を告げ、陵谷は所を易え、殷雷は車の訇磕たり。龍潜の月に於いて、凝霜は朱明の運に肅殺す。玉燭は照らさず、沈醴は湧かず、郊声は塁多く、嘉生は遂げず。夫れ豈に他ならんや。誠に四凶去らず、元凱挙げられず、用うる者は賢ならず、賢なる者は用いられざるに由るなり。
現代語訳
呉の君主はこれを思わず、夕べに慎み恐れることもせず、へつらう凡庸な者に重い任を委ね、危機は弓や弩を張るより急に迫り、滅亡の兆しは日月に現れていたのに、自らは山のようにそびえて安泰であり、唐虞にも並べると言った。目の力は美しい飾りに疲れ果て、諸事の得失を見ることに使わず、耳の聡さは淫らな音楽に尽き、献言の邪正を確かめることに使わず、穀物や布は無用の争わぬ者に費やされ、戦う兵士の凍えと飢えを救わず、心は愛らしい媚びに喜び、存亡にかかわる大きな道理を思わない。思うに、興廃の源を軽んじ、宗廟の重さをおろそかにする者である。鄭君はまた言った。その師の左先生は天柱山に隠居し、出ても禄や利を求めず、諸侯とも交わらなかったが、心は太平を願い、ひそかに故郷を憂え、あばら屋の下でため息をつき、門下の者に告げて言った。「漢は必ず光を受け、黄精が起こるだろう。枢紐を太微に継ぎ、紫の車蓋を鶉首に巡らす。天に連なって物を治め、広く東夏に居を定め、恵みの風は区域の外に及び、玄い恩沢は天下に行き渡る。幾重にも通訳を重ねて使者が続き、貢物の楛矢は庭に満ち、広大で高々として、上下に至り、平和に文を守り、従来のままに進むのはきわめて易しい。それなのに五弦の琴は響きを潜め、南風の歌は詠われず、上は己を慎んで安らぐ逸楽を得られず、下は康らかなるかなという歌を聞かない。飛龍は翔けても集まらず、淵の虬は蟠って躍らず、騶虞は暗がりに隠れ、朱い花は芽吹いても秀でず、陰陽は互いに乱れ、寒暑は節度を違え、七政は凶を告げ、丘と谷は場所を変え、大きな雷が車のように轟く。龍が潜む月に、厳しい霜が朱明の運をそこなう。玉燭は照らさず、沈醴は湧かず、郊外の声には砦が多く、よい実りは遂げられない。これはまさに他でもない。まことに四凶が去らず、元凱が挙げられず、用いる者は賢くなく、賢い者は用いられないからである。
解説
この章句が説くこと
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