抱朴子外篇 / 尚博
「且夫文章之與德行,猶十尺之與一丈,謂之余事,未之前聞。夫上天之所以垂象,唐虞之所以為稱,大人虎炳,君子豹蔚,昌旦定聖謚於一字,仲尼從周之郁,莫非文也。八卦生鷹隼之所被,六甲出靈龜之所負,文之所在,雖賤猶貴,犬羊之鞟,未得比焉。且夫本不必皆珍,末不必悉薄。譬若錦繡之因素地,珠玉之居蚌石,雲雨生於膚寸,江河始於咫尺爾。則文章雖為德行之弟,未可呼為余事也。」
新字:「且夫文章之与徳行,猶十尺之与一丈,謂之余事,未之前聞。夫上天之所以垂象,唐虞之所以為称,大人虎炳,君子豹蔚,昌旦定聖謚於一字,仲尼従周之郁,莫非文也。八卦生鷹隼之所被,六甲出霊亀之所負,文之所在,雖賤猶貴,犬羊之鞟,未得比焉。且夫本不必皆珍,末不必悉薄。譬若錦繍之因素地,珠玉之居蚌石,雲雨生於膚寸,江河始於咫尺爾。則文章雖為徳行之弟,未可呼為余事也。」
書き下し
「且つ夫れ文章の徳行に於けるは、猶お十尺の一丈に於けるがごとし。之を余事と謂うは、未だ前に聞かず。夫れ上天の象を垂るる所以、唐虞の称を為す所以、大人は虎のごとく炳らかに、君子は豹のごとく蔚ん、昌旦は聖の謚を一字に定め、仲尼は周の郁郁たるに従う。文に非ざる莫し。八卦は鷹隼の被る所に生じ、六甲は霊亀の負う所に出づ。文の在る所は、賤しと雖も猶お貴し。犬羊の鞟は未だ比ぶるを得ず。且つ夫れ本は必ずしも皆な珍ならず、末は必ずしも悉く薄からず。譬えば錦繡の素地に因り、珠玉の蚌石に居り、雲雨の膚寸に生じ、江河の咫尺に始まるがごときのみ。則ち文章は徳行の弟たりと雖も、未だ呼びて余事と為す可からず」と。
現代語訳
「そもそも文章と徳行の関係は、十尺と一丈のようなものである。これを余事と呼ぶことは、まだ聞いたことがない。天が象を垂れる理由も、唐や虞が称えられた理由も、大人が虎のように鮮やかで君子が豹のように美しいのも、昌や旦が聖人の謚を一字に定めたのも、孔子が周の盛んな文物に従ったのも、文でないものはない。八卦は鷹や隼の羽の文様から生じ、六甲は霊亀の背負うものから出た。文のあるところは、賤しくてもなお貴い。犬や羊のなめし皮は比べることができない。そのうえ、本は必ずしもすべて珍しくなく、末は必ずしもすべて薄くない。たとえば錦繡が素地によって成り、珠玉が蚌や石の中にあり、雲や雨がわずかな隙間から生じ、大河が咫尺の源から始まるようなものにすぎない。そうであれば、文章は徳行の弟ではあっても、余事と呼んではならない」と。
解説
この章句が説くこと
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