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抱朴子外篇 / 尚博

抱朴子曰:正經為道義之淵海,子書為增深之川流。仰而比之,則景星之佐三辰也;俯而方之,則林薄之裨嵩嶽也。雖津途殊辟,而進德同歸;雖離於舉趾,而合於興化。故通人總原本以括流末,操綱領而得一致焉。古人嘆息於才難,故謂百世為隨踵,不以璞非昆山而棄耀夜之寶,不以書不出聖而廢助教之言。是以閭陌之拙詩,軍旅之鞫誓,或詞鄙喻陋,簡不盈十,猶見撰錄,亞次典誥,百家之言,與善一揆。譬操水者,器雖異而救火同焉;猶針炙者,術雖殊而攻疾均焉。

新字:抱朴子曰:正経為道義之淵海,子書為增深之川流。仰而比之,則景星之佐三辰也;俯而方之,則林薄之裨嵩嶽也。雖津途殊辟,而進徳同帰;雖離於舉趾,而合於興化。故通人総原本以括流末,操綱領而得一致焉。古人嘆息於才難,故謂百世為随踵,不以璞非昆山而棄耀夜之宝,不以書不出聖而廃助教之言。是以閭陌之拙詩,軍旅之鞫誓,或詞鄙喩陋,簡不盈十,猶見撰録,亜次典誥,百家之言,与善一揆。譬操水者,器雖異而救火同焉;猶針炙者,術雖殊而攻疾均焉。

書き下し

抱朴子曰く、正経は道義の淵海たり、子書は増深の川流たり。仰ぎて之に比ぶれば、則ち景星の三辰を佐くるなり。俯して之に方ぶれば、則ち林薄の嵩嶽を裨くるなり。津途殊に辟くと雖も、進徳は同じく帰す。挙趾に離ると雖も、興化に合す。故に通人は原本を総べて以て流末を括り、綱領を操りて一致を得。古人は才の難きを嘆息す、故に百世を隨踵と謂う。璞の昆山ならざるを以て夜を耀らすの宝を棄てず、書の聖に出でざるを以て教を助くるの言を廃せず。是を以て閭陌の拙詩、軍旅の鞫誓、或いは詞鄙しく喩陋く、簡十に盈たずと雖も、猶お撰録せられ、典誥に亜次す。百家の言は、善と一揆なり。譬えば水を操る者の、器異なりと雖も火を救うこと同じきがごとく、猶お針灸する者の、術殊なりと雖も疾を攻むること均しきがごとし。

現代語訳

抱朴子は言う。正統の経書は道義の淵や海であり、諸子の書はそれをさらに深める川の流れである。仰いで経書に比べれば、景星が日月星を助けるようであり、見下ろして並べれば、林や茂みが嵩山の高い嶽を助けるようなものだ。通る道筋は違っても、徳を進めるという帰着は同じであり、歩み出しは離れていても、教化を興すという点では合う。だから通人は根本を総括して末流をまとめ、綱領を握って一致を得る。古人は才ある人の得がたいことを嘆き、百世を踵を継ぐほど近いと言った。玉の原石が昆山のものでないからと夜を照らす宝を捨てず、書が聖人から出たものでないからと教えを助ける言葉を廃さない。だから村の道端の拙い詩や、軍旅の誓いは、言葉が卑俗で喩えが粗く、簡が十枚に満たなくても、なお選録されて典誥に次ぐ位置に置かれた。百家の言葉は、善であるという点で一つにそろう。水を運ぶ者が、器が違っても火を消すことは同じであり、針灸をする者が、術は違っても病を攻めることは同じなのに似ている。

解説

「正経は道義の淵海たり、子書は増深の川流たり」。正統の経書を海とすれば、諸子の書はそこへ注いで深さを増す川だと言います。聖人の手になるものでなくても、村の拙い詩や軍旅の誓いのように、善を述べるものは選び残されてきました。要点は、水を運ぶ器が違っても火は消せるという喩えです。社内の知恵も、公式のマニュアルだけでなく、現場の経験則や役職のない人の一言に、同じ目的に効くものがあります。出所で切り捨てず、何に効くかで拾うという態度です。

この章句が説くこと

正経は道義の淵海たり子書は増深の川流たり書の聖に出でざるを以て器異なりと雖も火を救うこと同じき現場包摂

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