抱朴子外篇 / 刺驕
昔者西施痛而臥於道側,姿顏妖麗,蘭麝芬馥,見者鹹美其容而念其疾,莫不躊躇焉。於是鄰女慕之,因偽疾伏於路間,形狀既醜,加之酷臭,行人皆憎其貌而惡其氣,莫不睨面掩鼻,疾趨而過焉。今世人無戴阮之自然,而效其倨慢,亦是醜女暗於自量之類也。帝者猶執子弟之禮於三老五更者,率人以敬也。人而無禮,其刺深矣。夫慢人必不敬其親也,
新字:昔者西施痛而臥於道側,姿顔妖麗,蘭麝芬馥,見者鹹美其容而念其疾,莫不躊躇焉。於是鄰女慕之,因偽疾伏於路間,形状既醜,加之酷臭,行人皆憎其貌而悪其気,莫不睨面掩鼻,疾趨而過焉。今世人無戴阮之自然,而効其倨慢,亦是醜女暗於自量之類也。帝者猶執子弟之礼於三老五更者,率人以敬也。人而無礼,其刺深矣。夫慢人必不敬其親也,
書き下し
昔者、西施は痛みて道側に臥す。姿顔妖麗にして、蘭麝芬馥たり。見る者は咸な其の容を美とし其の疾を念い、躊躇せざる莫し。是に於いて鄰女之を慕い、因りて疾を偽りて路間に伏す。形状既に醜く、加うるに酷臭あり。行人は皆な其の貌を憎み其の気を悪み、面を睨し鼻を掩い、疾く趨りて過ぎざる莫し。今世人は戴・阮の自然無くして、其の倨慢に效う。亦た是れ醜女の自らを量るに暗きの類なり。帝者すら猶お子弟の礼を三老五更に執るは、人を率いて敬せしむるなり。人にして礼無きは、其の刺深し。夫れ人を慢る者は必ず其の親を敬せざるなり。
現代語訳
昔、西施は胸の痛みに耐えかねて道端に横たわった。姿は妖しく美しく、蘭や麝香のよい香りが漂い、見る者は皆な彼女の容姿を美しいとし、その病を思いやり、足を止めずにはいられなかった。そこで隣の女がこれを慕い、病を偽って道に伏せた。姿はもともと醜く、さらにひどい臭いがした。行き交う人は皆な彼女の容貌を憎み、その臭いを嫌い、顔をそむけ鼻を覆い、足早に過ぎ去った。今の世の人は戴・阮の自然さがないのに、その傲慢さをまねる。これもまた醜い女が自分を量るのに暗い例と同じである。帝王でさえ三老・五更に対して子弟の礼をとるのは、人々を率いて敬わせるためである。人でありながら礼がないのは、その刺(非難)は深い。人を侮る者は、必ず自分の親を敬わない者である。
解説
この章句が説くこと
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