抱朴子外篇 / 刺驕
抱樸子曰:生乎世貴之門,居乎熱烈之勢,率多不與驕期而驕自來矣。非夫超群之器,不辯於免盈溢之過也。蓋勞謙虛己,則附之者眾;驕慢倨傲,則去之者多;附之者眾,則安之徽也;去之者多,則危之診也。存亡之機,於是乎在。輕而為之,不亦蔽哉!亦有出自卑碎,由微而著,徒以翕肩斂跡,偓伊側立,低眉屈膝,奉附權豪,因緣運會,超越不次,毛成翼長,蟬蛻泉壤,便自軒昂,目不步足,器滿意得,視人猶芥。或曲晏密集,管弦嘈雜,後賓填門,不復接引。或於同造之中,偏有所見,復未必全得也。直以求之,差勤以數接其情,苞苴繼到,壺榼不曠者耳。
新字:抱樸子曰:生乎世貴之門,居乎熱烈之勢,率多不与驕期而驕自来矣。非夫超群之器,不弁於免盈溢之過也。蓋労謙虚己,則附之者衆;驕慢倨傲,則去之者多;附之者衆,則安之徽也;去之者多,則危之診也。存亡之機,於是乎在。軽而為之,不亦蔽哉!亦有出自卑砕,由微而著,徒以翕肩斂跡,偓伊側立,低眉屈膝,奉附権豪,因縁運会,超越不次,毛成翼長,蝉蛻泉壤,便自軒昂,目不歩足,器満意得,視人猶芥。或曲晏密集,管弦嘈雑,後賓填門,不復接引。或於同造之中,偏有所見,復未必全得也。直以求之,差勤以数接其情,苞苴継到,壺榼不曠者耳。
書き下し
抱樸子曰く、世貴の門に生まれ、熱烈の勢に居る者は、率ね驕りと期せずして、驕り自ら来たる。夫の超群の器に非ざれば、盈溢の過ちを免るるを弁ぜず。蓋し労謙して己を虚しくすれば、則ち之に附く者は衆く、驕慢倨傲なれば、則ち之を去る者は多し。之に附く者衆ければ、則ち安んずるの徽なり。之を去る者多ければ、則ち危うきの診なり。存亡の機は、是に於いて在り。軽しく之を為すは、亦た蔽ならずや。亦た卑碎より出で、微に由りて著れ、徒だ翕肩斂跡し、偓伊側立し、低眉屈膝して、権豪に奉附し、運会に因縁して、不次に超越し、毛成り翼長じ、蟬は泉壌に蛻して、便ち自ら軒昂し、目は足を歩ませず、器満ち意得て、人を視ること芥の猶し。或いは曲宴密集して、管弦嘈雑たり、後賓は門に填つるも、復た接引せず。或いは同造の中に於いて、偏えに見る所有り、復た未だ必ずしも全く得ざるなり。直だ之を求め、差勤して以て数ば其の情に接し、苞苴継いで到り、壺榼曠しからざる者なるのみ。
現代語訳
抱樸子は言う。世に貴ばれる家に生まれ、勢いの熱い地位にいる者は、たいてい驕りを望まなくとも、驕りが自然にやって来る。群を抜く器でなければ、満ちあふれる過ちを免れることはできない。そもそも謙虚に努めて己を虚しくすれば、慕って付く者は多く、驕り高ぶり傲慢であれば、去る者は多い。付く者が多ければ安泰の兆しであり、去る者が多ければ危うさの診断である。存亡の分かれ目はここにある。軽々しくこれを行うのは、愚かではないか。また、卑しい細民の出から、微かな地位より現れ、ただ肩をすくめ跡を潜め、身を傾けて側に立ち、眉を低くし膝を屈して、権力者にへつらい付き従い、運の巡りに乗じて、順序を飛び越えて昇り、羽毛が生え翼が伸び、蝉が土から抜け出すように、たちまち意気揚々とし、目は足元を見ず、器が満ちて得意になり、人を見ること芥のようである。曲折した宴を密かに開き、管弦が賑やかに鳴るが、後から来た客が門を埋めても、もはや迎え入れない。あるいは同じ仲間の中でも、ただ偏って見るものがあり、また必ずしも全て得ているわけでもない。ただ求めてひたすらしばしば情に接し、贈り物が絶えず届き、酒壺が空にならない者だけが相手にされるのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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