抱朴子外篇 / 譏惑
余之鄉裏,先德君子,其居重難,或並在衰老,於禮唯應衰麻在身,不成喪致毀者,皆過哀啜粥,口不經甘。時人雖不肖者,莫不企及自勉,而今人乃自取如此,何其相去之遼緬乎!又凡人不解,呼謂中國之人居喪者多皆奢溢,殊不然也。吾聞晉之宣景文武四帝,居親喪皆毀瘠逾制,又不用王氏二十五月之禮,皆行七月服,於時天下之在重哀者,鹹以四帝為法,世人何獨不聞此,而虛誣高人,不亦惑乎!
新字:余之郷裏,先徳君子,其居重難,或並在衰老,於礼唯応衰麻在身,不成喪致毀者,皆過哀啜粥,口不経甘。時人雖不肖者,莫不企及自勉,而今人乃自取如此,何其相去之遼緬乎!又凡人不解,呼謂中国之人居喪者多皆奢溢,殊不然也。吾聞晋之宣景文武四帝,居親喪皆毀瘠逾制,又不用王氏二十五月之礼,皆行七月服,於時天下之在重哀者,鹹以四帝為法,世人何独不聞此,而虚誣高人,不亦惑乎!
書き下し
余の郷里の先徳の君子は、其の居る所重難にして、或いは並びに衰老に在り。礼に於いては唯だ衰麻を身に在らしむべく、喪を成して毀を致さざる者も、皆な過ぎて哀しみ粥を啜り、口に甘きを経ず。時人の不肖の者と雖も、企て及び自ら勉めざる莫し。而るに今の人乃ち自ら取ること此の如し。何ぞ其の相去ることの遼緬たるや。又凡人は解せず、中国の人の喪に居る者を呼びて、多く皆な奢溢なりと謂う。殊に然らざるなり。吾聞く、晋の宣・景・文・武の四帝は、親の喪に居りて皆な毀瘠して制を逾え、又王氏の二十五月の礼を用いず、皆な七月の服を行う。時に天下の重哀に在る者は、咸な四帝を以て法と為す。世人は何ぞ独り此れを聞かずして、虚しく高人を誣う。亦た惑いならずや。
現代語訳
私の郷里の先代の徳ある君子たちは、その立場が重く難しく、あるいは皆が年老いて衰えていた。礼では喪服を身に着ければ足り、喪を行って身を損なうことのない者でも、皆が度を越えて悲しみ、粥をすすって、口に甘いものを入れなかった。当時の人々は、それほどでない者でも、背伸びして及ぼうと自ら励まない者はいなかった。ところが今の人は自らこのような態度を取る。なんと隔たっていることか。また、凡人は事情を知らず、中国の人の喪に服する者を、多くは皆な奢りが過ぎると言うが、まったくそうではない。私が聞くところでは、晋の宣帝・景帝・文帝・武帝の四帝は、親の喪に居て皆な痩せ衰え制度を超えて悲しみ、また王粛の二十五月の礼を用いず、皆な七か月の服を行った。当時、天下の深い哀しみの中にある者は、皆な四帝を手本とした。世人はなぜこれを聞かずに、空しく高人を誣いるのか。これも惑いではないか。
解説
この章句が説くこと
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史記 扁鵲倉公列伝潘満如の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに深く小さく弱く、其の卒然として合合するなり。是れ脾気なり。右の脈口の気至ること緊小にして、瘕気を見るなり。次を以て相乗ず。故に三十日にして死す。三陰倶に摶つ者は、法の如し。倶には摶たざる者は、決は急期に在り。一たび摶ち一たび代はる者は、近し。故に其の三陰摶ち、血を溲すること前の如くして止む。陽虚侯の相趙章病み、臣意を召す。衆医皆以て寒中と為す。臣意其の脈を診して曰く、「迵風なり」と。迵風なる者は、飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらず。法に曰く、「五日にして死す」と。而るに後十日にして乃ち死す。病は之を酒に得たり。趙章の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに、脈来ること滑なり。是れ内風の気なり。飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらざる者は、法として五日にして死す。皆前の分界の法なり。後十日にして乃ち死し、期を過ぐる所以の者は、其の人粥を嗜む。故に中蔵実す。中蔵実す、故に期を過ぐ。師言ひて曰く、「穀に安んずる者は期を過ぎ、穀に安んぜざる者は期に及ばず」と。済北王病み、臣意を召して其の脈を診せしむ。曰く、「風蹶して胸満つ」と。即ち為に薬酒を為る。三石を尽くして、病已ゆ。之を汗出でて地に伏すに得たり。済北王の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切する時、風気なり、心脈濁る。病法に「過ぎて其の陽に入り、陽気尽きて陰気入る」と。陰気入りて張れば、則ち寒気上りて熱気下る。故に胸満つ。汗出でて地に伏す者は、其の脈を切するに、気陰なり。陰気なる者は、病必ず中に入り、出づること瀺水に及ぶなり。斉の北宮司空の命婦出於病む。衆医皆以て風中に入り、病は主として肺に在りと為し、其の足の少陽の脈を刺す。臣意其の脈を診して曰く、「病は気疝にして、膀胱に客たり。前後に溲するに難くして、溺赤し。病寒気を見れば則ち遺溺し、人をして腹腫れしむ」と。出於の病は之を溺せんと欲して得ず、因りて以て接内するに得たり。
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史記 孝武本紀泰一の用ゐる所は、雍の一畤の物の如く、而して醴棗脯の属を加へ、一犛牛を殺して以て俎豆の牢具と為す。而して五帝は独り俎豆醴の進有り。其の下の四方の地は、餟食の為に群神の従者及び北斗を云ふ。已に祠れば、胙の余は皆之を燎く。其の牛の色は白、鹿其の中に居り、彘鹿の中に在り、水にて之を洎(ひた)す。日を祭るに牛を以てし、月を祭るに羊彘特を以てす。泰一の祝宰は則ち紫及び繡を衣る。五帝は各々其の色の如くし、日は赤、月は白。十一月辛已朔旦冬至、昧爽、天子始めて郊して泰一を拝す。朝に日を朝し、夕に月を夕すれば、則ち揖す。而して泰一に見ゆること雍の礼の如くす。其の贊饗に曰く、「天始めて宝鼎神筴を以て皇帝に授く、朔にして又朔、終はりて復た始まる、皇帝敬ひて拝し焉に見ゆ。」と。而して衣は黄を上ぶ。其の祠火を列ねて壇に満たし、壇の旁に烹炊の具あり。有司云ふ「祠上に光有り」と。公卿言ふ「皇帝始めて泰一に雲陽に郊見す、有司瑄玉嘉牲を奉じて薦饗す。是の夜美光有り、昼に及びて、黄気上りて天に属す。」と。太史公・祠官寛舒等曰く、「神霊の休、祐福兆祥なり、宜しく此の地の光域に因りて泰畤の壇を立て以て応を明らかにすべし。太祝をして領せしめ、(祀)[秋]及び臘の間に祠らしめん。三歳に天子一たび郊見せん。」と。其の秋、南越を伐たんが為に、泰一に告禱し、牡荊を以て幡に日月北斗登龍を画き、以て天一三星に象り、泰一の鋒と為し、名づけて「霊旗」と曰ふ。兵の為に禱れば、則ち太史奉じて以て伐つ所の国を指す。而して五利将軍使ひして敢へて海に入らず、泰山に之きて祠る。上人をして微かに随ひて験せしむるに、実に見る所無し。五利妄りに其の師を見たりと言ふ、其の方尽き、多く讎(あた)らず。上乃ち五利を誅す。其の冬、公孫卿神を河南に候ひ、僊人の跡を緱氏城の上に見る、物有り雉の若く、城上を往来す。天子親ら緱氏城に幸して跡を視る。卿に問ふ、「文成・五利に効ふこと毋きを得んや。」と。
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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説苑・君道湯曰く、「薬食は先ず卑に嘗めしめ、然る後に貴に至る。薬言は先ず貴に献じ、然る後に卑に聞こゆ」と。故に薬卑に嘗めしめ、然る後に貴に至るは、教えなり。薬言貴に献じ、然る後に卑に聞こゆるは、道なり。故に人をして食を味わしめて然る後に食する者は、其の味を得ること多し。人をして言を味わしめて然る後に言を聞く者は、其の言を得ること少なし。是を以て明王の言は、必ず自ら他に之を聴かしめ、必ず自ら他に之を聞かしめ、必ず自ら他に之を択ばしめ、必ず自ら他に之を取らしめ、必ず自ら他に之を聚めしめ、必ず自ら他に之を蔵せしめ、必ず自ら他に之を行わしむ。故に道は数ば之を取るを以て明と為し、数ば之を行うを以て章と為し、数ば之を万物に施すを以て蔵と為す。是の故に道を求むる者は目を以てせずして心を以てし、道を取る者は手を以てせずして耳を以てす。
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論語・衛霊公篇子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所有らば、其れ試みる所有らん。斯の民や、三代の直道にして行いし所以なり。
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