抱朴子外篇 / 疾謬
蓋雖有偕老之慎,不能救一朝之過,雖有陶朱之富,不能贖片言之謬。故毫厘之失,有千里之差;傷人之語,有劍戟之痛。積微致著,累淺成深,鴻羽所以沈龍舟,群輕所以折勁軸,寸飈所以燔百尋之室,蠹蠍所以仆連抱之木也。古賢何獨跼蹐恂恂之如彼,今人何其憒慢傲放之如此乎!是以高世之士,望塵而旋跡;輕薄之徒,響赴而影集。謀事無智者之助,居危無切磋之益。良史懸筆,無可書之善;談者含音,無足傳之美。令聞不著,醜聲宣流,沒有余敗,貽譏將來,始無可法,終無可紀,斯亦誌士之恥也。
新字:蓋雖有偕老之慎,不能救一朝之過,雖有陶朱之富,不能贖片言之謬。故毫厘之失,有千里之差;傷人之語,有剣戟之痛。積微致著,累浅成深,鴻羽所以沈竜舟,群軽所以折勁軸,寸飈所以燔百尋之室,蠹蠍所以仆連抱之木也。古賢何独跼蹐恂恂之如彼,今人何其憒慢傲放之如此乎!是以高世之士,望塵而旋跡;軽薄之徒,響赴而影集。謀事無智者之助,居危無切磋之益。良史懸筆,無可書之善;談者含音,無足伝之美。令聞不著,醜声宣流,没有余敗,貽譏将来,始無可法,終無可紀,斯亦誌士之恥也。
書き下し
蓋し偕老の慎み有りと雖も、一朝の過ちを救う能わず、陶朱の富有りと雖も、片言の謬りを贖う能わず。故に毫厘の失も、千里の差有り。人を傷つくるの語は、剣戟の痛み有り。微を積みて著を致し、浅を累ねて深を成す。鴻羽の龍舟を沈むる所以、群軽の勁軸を折る所以、寸飈の百尋の室を燔く所以、蠹蠍の連抱の木を仆す所以なり。古賢は何ぞ独り跼蹐恂恂たること彼の如く、今人は何ぞ憒慢傲放たること此の如きや。是を以て高世の士は、塵を望みて跡を旋らし、軽薄の徒は、響きのごとく赴き影のごとく集まる。謀事に智者の助け無く、危きに居りて切磋の益無し。良史は筆を懸けて、書す可きの善無く、談者は音を含みて、伝うるに足るの美無し。令聞著れず、醜声宣流し、没して余敗有り、譏りを将来に貽し、始めに法る可き無く、終わりに紀す可き無し。斯れ亦た誌士の恥なり。
現代語訳
夫婦が連れ添って老いるほどの慎みがあっても、一朝の過ちは救えず、陶朱公ほどの富があっても、ひとことの誤りは贖えない。だから、わずかな失敗が千里の違いを生み、人を傷つける言葉は剣や戟の痛みを与える。小さなものが積もって大きく現れ、浅いものが重なって深くなる。鴻の羽が龍の舟を沈め、軽いものが集まって頑丈な車軸を折り、小さな風の火が百尋の家を焼き、虫が幾抱えもの木を倒すのは、そのためである。昔の賢人はなぜあれほど身を縮めて慎み深かったのに、今の人はなぜこれほど乱れ、慢り、放埒なのか。そのため、世に抜きん出た士は塵を見て足を引き返し、軽薄な者たちは響きに応じるように、影が従うように集まる。事を謀っても智者の助けはなく、危うい立場にあっても切磋する益はない。良い史官は筆を懸けても記すべき善がなく、語る人は口を閉ざして伝えるに足る美がない。良い評判は現れず、悪い評判が広まり、死後にも敗れ跡が残り、後世への謗りを遺し、始めに手本とすべきものはなく、終わりに記すべきものもない。これもまた志ある士の恥である。
解説
この章句が説くこと
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史記 晋世家子圉遂に亡げて晋に帰る。十四年九月、恵公卒し、太子圉立つ。是を懐公と為す。子圉の亡ぐるや、秦之を怨み、乃ち公子重耳を求め、之を内れんと欲す。子圉の立つや、秦の伐たんことを畏る。乃ち国中の諸々の重耳に従ひて亡げし者に令して与に期し、期尽きて到らざる者は尽く其の家を滅ぼさんとす。狐突の子毛及び偃重耳に従ひて秦に在り。召すを肯ぜず。懐公怒り、狐突を囚ふ。突曰く、「臣の子重耳に事ふること年数有り。今之を召すは、是れ之に君に反くことを教ふるなり。何を以て之を教へん」と。懐公卒に狐突を殺す。秦の繆公乃ち兵を発して送りて重耳を内れ、人をして欒・郤の党に告げて内応を為さしめ、懐公を高梁に殺し、重耳を入る。重耳立つ。是を文公と為す。晋の文公重耳は、晋の献公の子なり。少きより士を好み、年十七にして、賢士五人有り。趙衰と曰ひ、狐偃咎犯、文公の舅なり、賈佗、先軫、魏武子なり。献公の太子為りし時より、重耳固より已に成人たり。献公即位するとき、重耳年二十一なり。献公の十三年、驪姫の故を以て、重耳蒲城に備へて秦を守る。献公の二十一年、献公太子申生を殺す。驪姫之を讒す。恐れて、献公に辞せずして蒲城を守る。献公の二十二年、献公宦者履鞮をして趣(すみ)やかに重耳を殺さしむ。重耳垣を踰ゆ。宦者逐ひて其の衣袪を斬る。重耳遂に狄に奔る。狄は、其の母の国なり。是の時重耳年四十三なり。此の五士に従ひ、其の余の名あらざる者数十人、狄に至る。狄咎如を伐ち、二女を得たり。長女を以て重耳に妻し、伯鯈・叔劉を生む。少女を以て趙衰に妻し、盾を生む。狄に居ること五歳にして晋の献公卒す。里克已に奚斉・悼子を殺し、乃ち人をして迎へしめ、重耳を立てんと欲す。重耳殺されんことを畏れ、因りて固く謝し、敢て入らず。已にして晋更に其の弟夷吾を迎へて之を立つ。是を恵公と為す。
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