抱朴子外篇 / 行品
士有控弦命中,空拳入白,倒乘立騎,五兵畢習;而體輕慮淺,手剿心怯,虛試無對,而實用無驗。望塵奔北,聞敵失魄。蓋難分之六也。士有梗概簡緩,言希貌樸,細行闕漏,不為小勇,跼蹐拘檢,犯而不校,握爪垂翅,名為弱願。然而膽勁心方,不畏強禦,義正所在,視死猶歸,支解寸斷,不易所守。蓋難分之七也。士有孝友溫淑,恂恂平雅,履信思順,非禮不蹈,安困潔誌,操清冰霜;而疏遲迂闊,不達事要,見機不作,所為無成,居己梁倡,受任不舉。蓋難分之八也。
新字:士有控弦命中,空拳入白,倒乗立騎,五兵畢習;而体軽慮浅,手剿心怯,虚試無対,而実用無験。望塵奔北,聞敵失魄。蓋難分之六也。士有梗概簡緩,言希貌樸,細行闕漏,不為小勇,跼蹐拘検,犯而不校,握爪垂翅,名為弱願。然而胆勁心方,不畏強禦,義正所在,視死猶帰,支解寸断,不易所守。蓋難分之七也。士有孝友温淑,恂恂平雅,履信思順,非礼不蹈,安困潔誌,操清冰霜;而疏遅迂闊,不達事要,見機不作,所為無成,居己梁倡,受任不舉。蓋難分之八也。
書き下し
士に弦を控きて命中し、空拳もて白に入り、倒乗立騎し、五兵畢く習う有り。而も体軽く慮浅く、手は剿く心は怯え、虚試には対無けれども、実用には験無し。塵を望みて奔北し、敵を聞きて魄を失う。蓋し分かち難きの六なり。士に梗概簡緩、言希に貌樸にして、細行闕漏し、小勇を為さず、跼蹐拘検して、犯されても校せず、爪を握り翅を垂れ、名づけて弱願と為す有り。然れども胆は勁く心は方にして、強禦を畏れず、義の正に在る所、死を視ること帰するが猶く、支解寸断せらるとも、守る所を易えず。蓋し分かち難きの七なり。士に孝友温淑、恂恂として平雅、信を履み順を思い、礼に非ざれば蹈まず、困に安んじ志を潔くし、操は冰霜より清き有り。而も疏遅迂闊にして、事の要に達せず、機を見て作さず、為す所成る無く、己に居りては梁倡、任を受けては挙がらず。蓋し分かち難きの八なり。
現代語訳
士のなかには、弓を引けば命中し、素手で白刃の中に入り、馬の上で逆立ちし立ち乗りもし、五種の武器をすべて習熟している者がいる。しかし体は軽く思慮は浅く、手は早いが心は臆病で、見せかけの試しでは並ぶ者がないが、実戦では効果がない。敵の塵を望んで敗走し、敵の声を聞いて魂を失う。これが見分けがたい第六の例である。また士のなかには、気風は大まかでゆったりとし、言葉少なく容貌は素朴で、細かな行いに欠けがあり、小さな勇を示さず、身をすくめて控えめにし、侮られても争わず、爪を握り翼を垂れ、弱腰の願いの人と呼ばれる者がいる。しかし胆は強く心は正しく、強い者を恐れず、義の正しさがあるところでは、死を帰郷のように見て、手足を裂かれ寸断されても守るところを変えない。これが見分けがたい第七の例である。また士のなかには、孝行で友愛深く、穏やかで淑やか、慎み深くして平らかで雅やか、信を踏み順を思い、礼でなければ行かず、困窮にも安んじて志を清め、操が氷霜より清い者がいる。しかしのろまで回りくどく、事の要に達せず、機を見ても動かず、何も成さず、自分の身の処し方には定まりがなく、任を受けても挙げられない。これが見分けがたい第八の例である。
解説
この章句が説くこと
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