抱朴子外篇 / 審舉
抱朴子答曰:「知人則哲,上聖所難。今使牧守皆能審良才於未用,保性履之始終,誠未易也。但共遣其私情,竭其聰明,不為利欲動,不為屬托屈。所欲舉者,必澄思以察之,博訪以詳之,修其名而考其行,校同異以備虛飾。令親族稱其孝友,邦閭歸其信義。嘗小仕者,有忠清之效,治事之幹,則寸錦足以知巧,刺鼠足以觀勇也。「又,秀孝皆宜如舊試經答策,防其罪對之奸,當令必絕其不中者勿署,吏加罰禁錮。其所舉書不中者,刺史太守免官,不中左遷。中者多不中者少,後轉不得過故。若受賕而舉所不當,發覺有驗者除名,禁錮終身,不以赦令原,所舉與舉者同罪。今試用此法,治一二歲之間,秀孝必多不行者,亦足以知天下貢舉不精之久矣。過此,則必多修德而勤學者矣。
新字:抱朴子答曰:「知人則哲,上聖所難。今使牧守皆能審良才於未用,保性履之始終,誠未易也。但共遣其私情,竭其聰明,不為利欲動,不為属托屈。所欲舉者,必澄思以察之,博訪以詳之,修其名而考其行,校同異以備虚飾。令親族称其孝友,邦閭帰其信義。嘗小仕者,有忠清之効,治事之幹,則寸錦足以知巧,刺鼠足以観勇也。「又,秀孝皆宜如旧試経答策,防其罪対之奸,当令必絶其不中者勿署,吏加罰禁錮。其所舉書不中者,刺史太守免官,不中左遷。中者多不中者少,後転不得過故。若受賕而舉所不当,発覚有験者除名,禁錮終身,不以赦令原,所舉与舉者同罪。今試用此法,治一二歳之間,秀孝必多不行者,亦足以知天下貢舉不精之久矣。過此,則必多修徳而勤学者矣。
書き下し
抱朴子答えて曰く、「人を知れば則ち哲、上聖すら難しとす。今牧守をして皆な良才を未だ用いざるに審らかにし、性履の始終を保たしむるは、誠に未だ易からず。但だ共に其の私情を遣り、其の聡明を竭くし、利欲に動かされず、属托に屈せず、挙げんと欲する所は、必ず思いを澄まして以て之を察し、博く訪ねて以て之を詳らかにし、其の名を修めて其の行を考え、同異を校べて以て虚飾に備う。親族をして其の孝友を称し、邦閭をして其の信義に帰せしむ。嘗て小仕せし者は、忠清の効、事を治むるの幹有らば、則ち寸錦以て巧みを知るに足り、刺鼠以て勇を観るに足るなり。「又、秀孝は皆な宜しく旧の如く経を試み策に答えしめ、其の罪対の奸を防ぎ、当に其の中らざる者は署せざるを必絶し、吏に罰禁錮を加えしむべし。其の挙ぐる所の書の中らざる者は、刺史・太守は官を免じ、中らざれば左遷す。中る者多く中らざる者少なければ、後の転は故に過ぐるを得ず。若し賕を受けて当たらざる所を挙げ、発覚して験有らば、名を除き、終身禁錮し、赦令を以て原さず、挙ぐる所と挙ぐる者と罪を同じくす。今試みに此の法を用い、治むること一二歳の間にして、秀孝の必ず行かざる者多からん、亦た以て天下の貢挙の精ならざること久しきを知るに足る。此を過ぎれば、則ち必ず徳を修めて学に勤むる者多からん。
現代語訳
抱朴子は答えて言う。「人を知るのは智であり、至高の聖人ですら難しいとした。いま、太守たちにみな良才を未だ用いないうちに見極めさせ、その性格や行いを最後まで保証させるのは、まことに容易ではない。ただ、ともに私情を捨て、聡明さを尽くし、利欲に動かされず、頼み事に屈せず、推挙しようとする人は、必ず心を澄ませて察し、広く尋ねて詳しく調べ、評判を確かめて行いを考え、異同を比べて虚飾に備える。親族にはその孝行や友愛を称えさせ、郷里の人にはその信義を認めさせる。かつて小さな役職に就いた者は、忠実清廉の成果や事務を処理する才があれば、一寸の錦で巧みさが分かり、鼠を刺すほどの小事でも勇気が見られる。また、秀才・孝廉の推挙はみな、昔のとおり経書を試験し策問に答えさせ、不正の答えを防ぎ、適格でない者は署名させずきっぱり退け、役人には禁錮の罰を加えるべきである。推挙した者の答案が適格でなければ、刺史や太守は官を免じ、適格でなければ左遷する。適格な者が多く不適格な者が少なければ、後の異動は以前を超えさせない。もし賄賂を受けて不適格な者を挙げ、発覚して証拠があれば、名を除き、終身禁錮し、恩赦でも許さず、推挙された者と推挙した者に同罪を課す。今試みにこの法を行って一、二年たてば、秀才・孝廉のうち必ず行かない者が多く出て、それだけでも天下の推挙が長く精密でなかったことが分かる。それを過ぎれば、必ず徳を修め学問に励む者が多くなる。
解説
この章句が説くこと
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