抱朴子外篇 / 用刑
或人曰:「刑辟之興,蓋存叔世。立人之道,唯仁與義。我清靜而民自正,我無欲而民自樸,烹鮮之戒,不欲其煩。寬以愛人則得眾,悅以使人則下附。故孟子以體仁為安,揚子雲謂申韓為屠宰。夫繁策急轡,非造父之禦;嚴刑峻罰,非三五之道。故有虞手不指揮,口不煩言,恭己南面,而治化雍熙矣。宓生政以率俗,彈琴詠詩,身不下堂,而漁者宵肅矣。
新字:或人曰:「刑辟之興,蓋存叔世。立人之道,唯仁与義。我清静而民自正,我無欲而民自樸,烹鮮之戒,不欲其煩。寛以愛人則得衆,悦以使人則下附。故孟子以体仁為安,揚子雲謂申韓為屠宰。夫繁策急轡,非造父之禦;厳刑峻罰,非三五之道。故有虞手不指揮,口不煩言,恭己南面,而治化雍熙矣。宓生政以率俗,弾琴詠詩,身不下堂,而漁者宵粛矣。
書き下し
或る人曰く、「刑辟の興るは、蓋し叔世に存す。人を立つるの道は、唯だ仁と義のみ。我清静にして民自ら正し、我無欲にして民自ら樸なり。鮮を烹るの戒めは、其の煩わしきを欲せず。寛にして以て人を愛すれば則ち衆を得、悦びて以て人を使えば則ち下附く。故に孟子は仁を体するを以て安と為し、揚子雲は申・韓を屠宰と謂う。夫れ策を繁くし轡を急にするは、造父の御に非ず。有虞は手に指揮せず。故に有虞は手に指揮せず、口に煩言せず、己を恭しくして南面するのみにして、治化雍熙たり。宓生は政を以て俗を率い、琴を弾じ詩を詠じ、身は堂を下らずして、漁者宵に粛なり。
現代語訳
ある人が言う。「刑罰が起こるのは、おそらく末世においてである。人を立てる道は、ただ仁と義だけである。我が清静であれば民は自ら正しく、我が無欲であれば民は自ら素朴になる。小魚を煮るときは、いじり回さないのを戒めとするように、政治も煩わしくしないのがよい。寛大で人を愛すれば衆望を得、悦ばせて使えば下は懐く。だから孟子は仁を体することを安らぎとし、揚子雲は申不害・韓非を屠殺人と呼んだ。鞭を繁く振るい手綱を締め上げるのは、造父の御ではない。厳しい刑や重い罰は、三皇五帝の道ではない。だから有虞(舜)は手で指図せず、口でうるさく言わず、身を恭しくして南面するだけで、治化は和らぎ栄えた。宓子賤は政治によって風俗を率い、琴を弾き詩を詠み、堂を下りずに治め、漁をする者も夜に慎んだ。
解説
この章句が説くこと
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