抱朴子外篇 / 良規
又見廢之君,未必悉非也。或輔翼少主,作威作福,罪大惡積,慮於為後患;及尚持勢,因而易之,以延近局之禍。規定策之功,計在自利,未必為國也。取威既重,殺生決口。見廢之主,神器去矣,下流之罪,莫不歸焉。雖知其然,孰敢形言?無東牟朱虛以致其計,無南史董狐以證其罪,將來今日,誰又理之?獨見者乃能追覺桀紂之惡不若是其惡,湯武之事不若是其美也。
新字:又見廃之君,未必悉非也。或輔翼少主,作威作福,罪大悪積,慮於為後患;及尚持勢,因而易之,以延近局之禍。規定策之功,計在自利,未必為国也。取威既重,殺生決口。見廃之主,神器去矣,下流之罪,莫不帰焉。雖知其然,孰敢形言?無東牟朱虚以致其計,無南史董狐以証其罪,将来今日,誰又理之?独見者乃能追覚桀紂之悪不若是其悪,湯武之事不若是其美也。
書き下し
又、廃せらるるの君も、未だ必ずしも悉く非ならず。或いは少主を輔翼して、威を作し福を作し、罪大に悪積み、後患を為すを慮る。及び猶お勢を持するに、因りて之を易え、以て近局の禍いを延ぶ。定策の功を規り、計は自ら利するに在りて、未だ必ずしも国の為ならず。威を取ること既に重く、殺生口に決す。廃せらるるの主は、神器去り、下流の罪は、帰せざる莫し。其の然るを知ると雖も、孰か敢えて言に形さん。東牟・朱虛の以て其の計を致す無く、南史・董狐の以て其の罪を証する無し。将来今日、誰か又た之を理めん。独り見る者のみ乃ち能く追いて覚る、桀紂の悪は是の若く其れ悪ならず、湯武の事は是の若く其れ美ならざるを。
現代語訳
また、廃された君主も、必ずしもすべてが悪いとは限らない。ある者は幼い君主を補佐して、威勢を振るい福を作り、罪は大きく悪が積もって、後の患いになることを懸念する。まだ勢いを持つうちに、これを取り替えて、目前の災いを引き延ばす。定策の功を企て、計らいは自分の利益にあって、必ずしも国のためではない。威を取ること既に重く、殺生は口先で決まる。廃された君主は、神器が去り、下流の罪はすべて彼に帰される。その事情を知っていても、誰が敢えて言葉に表そうか。東牟侯や朱虚侯のように計を致す者もなく、南史氏や董狐のようにその罪を証する者もない。将来今日、誰がこれを正すだろうか。独り見抜く者だけが後から気づく、桀・紂の悪は伝えられるほど悪くなく、湯王・武王の事は伝えられるほど美しくなかったことを。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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史記 扁鵲倉公列伝潘満如の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに深く小さく弱く、其の卒然として合合するなり。是れ脾気なり。右の脈口の気至ること緊小にして、瘕気を見るなり。次を以て相乗ず。故に三十日にして死す。三陰倶に摶つ者は、法の如し。倶には摶たざる者は、決は急期に在り。一たび摶ち一たび代はる者は、近し。故に其の三陰摶ち、血を溲すること前の如くして止む。陽虚侯の相趙章病み、臣意を召す。衆医皆以て寒中と為す。臣意其の脈を診して曰く、「迵風なり」と。迵風なる者は、飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらず。法に曰く、「五日にして死す」と。而るに後十日にして乃ち死す。病は之を酒に得たり。趙章の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに、脈来ること滑なり。是れ内風の気なり。飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらざる者は、法として五日にして死す。皆前の分界の法なり。後十日にして乃ち死し、期を過ぐる所以の者は、其の人粥を嗜む。故に中蔵実す。中蔵実す、故に期を過ぐ。師言ひて曰く、「穀に安んずる者は期を過ぎ、穀に安んぜざる者は期に及ばず」と。済北王病み、臣意を召して其の脈を診せしむ。曰く、「風蹶して胸満つ」と。即ち為に薬酒を為る。三石を尽くして、病已ゆ。之を汗出でて地に伏すに得たり。済北王の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切する時、風気なり、心脈濁る。病法に「過ぎて其の陽に入り、陽気尽きて陰気入る」と。陰気入りて張れば、則ち寒気上りて熱気下る。故に胸満つ。汗出でて地に伏す者は、其の脈を切するに、気陰なり。陰気なる者は、病必ず中に入り、出づること瀺水に及ぶなり。斉の北宮司空の命婦出於病む。衆医皆以て風中に入り、病は主として肺に在りと為し、其の足の少陽の脈を刺す。臣意其の脈を診して曰く、「病は気疝にして、膀胱に客たり。前後に溲するに難くして、溺赤し。病寒気を見れば則ち遺溺し、人をして腹腫れしむ」と。出於の病は之を溺せんと欲して得ず、因りて以て接内するに得たり。
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史記 孝武本紀泰一の用ゐる所は、雍の一畤の物の如く、而して醴棗脯の属を加へ、一犛牛を殺して以て俎豆の牢具と為す。而して五帝は独り俎豆醴の進有り。其の下の四方の地は、餟食の為に群神の従者及び北斗を云ふ。已に祠れば、胙の余は皆之を燎く。其の牛の色は白、鹿其の中に居り、彘鹿の中に在り、水にて之を洎(ひた)す。日を祭るに牛を以てし、月を祭るに羊彘特を以てす。泰一の祝宰は則ち紫及び繡を衣る。五帝は各々其の色の如くし、日は赤、月は白。十一月辛已朔旦冬至、昧爽、天子始めて郊して泰一を拝す。朝に日を朝し、夕に月を夕すれば、則ち揖す。而して泰一に見ゆること雍の礼の如くす。其の贊饗に曰く、「天始めて宝鼎神筴を以て皇帝に授く、朔にして又朔、終はりて復た始まる、皇帝敬ひて拝し焉に見ゆ。」と。而して衣は黄を上ぶ。其の祠火を列ねて壇に満たし、壇の旁に烹炊の具あり。有司云ふ「祠上に光有り」と。公卿言ふ「皇帝始めて泰一に雲陽に郊見す、有司瑄玉嘉牲を奉じて薦饗す。是の夜美光有り、昼に及びて、黄気上りて天に属す。」と。太史公・祠官寛舒等曰く、「神霊の休、祐福兆祥なり、宜しく此の地の光域に因りて泰畤の壇を立て以て応を明らかにすべし。太祝をして領せしめ、(祀)[秋]及び臘の間に祠らしめん。三歳に天子一たび郊見せん。」と。其の秋、南越を伐たんが為に、泰一に告禱し、牡荊を以て幡に日月北斗登龍を画き、以て天一三星に象り、泰一の鋒と為し、名づけて「霊旗」と曰ふ。兵の為に禱れば、則ち太史奉じて以て伐つ所の国を指す。而して五利将軍使ひして敢へて海に入らず、泰山に之きて祠る。上人をして微かに随ひて験せしむるに、実に見る所無し。五利妄りに其の師を見たりと言ふ、其の方尽き、多く讎(あた)らず。上乃ち五利を誅す。其の冬、公孫卿神を河南に候ひ、僊人の跡を緱氏城の上に見る、物有り雉の若く、城上を往来す。天子親ら緱氏城に幸して跡を視る。卿に問ふ、「文成・五利に効ふこと毋きを得んや。」と。
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『塩鉄論』伐功篇文學曰く、古の師を用うるは、壤土の利を貪るに非ず、民の患いを救うなり。民之を思うこと、旱の雨を望むが若く、簞食壺漿して、以て王師を逆う。故に人の患いを憂うる者は、民一心にして之に歸す。湯・武是れなり。民の死を愛まず、力盡きて潰叛せらるる者は、秦王是れなり。孟子曰く、「君、道に鄉わず、仁義に由らずして、之が為に強いて戰わば、克つと雖も必ず亡ぶ」と。此れ中國の擾亂せし所以にして、蒙恬死して諸侯秦に叛きしに非ず。昔、周室の盛んなるや、越裳氏來り獻じ、百蠻貢を致す。其の後、周衰えて諸侯力征し、蠻・貊分散して、各々聚黨有り、能く相一なる莫し。是を以て燕・趙意を得ること能えり。其の後、匈奴稍く強く、諸侯を蠶食す。故に月氏を破り走らせ、兵威に因りて小國を徙し、引弓の民、幷せて一家と為り、意を一にし力を同じくす。故に制し難きなり。前に君、先帝の為に匈奴の策を畫きて曰く、「兵を西域に據え、之が便勢の地を奪い、以て其の變を候たん。漢の強きを以て、匈奴の眾を攻むるは、強弩を以て癰疽を潰るが若し。越の吳を禽にせしも、豈に道うに足らんや」と。上以て然りと為す。君の義を用い、君の計を聽くこと、越王の種・蠡に任ずるも過ぎず。搜粟都尉を以て御史大夫と為し、政を持すること十有餘年。未だ種・蠡の功を見ずして、而も靡弊の效を見る。匈奴は為に俛を加えずして、百姓黎民は以て敝れたり。是れ君の策、匈奴を弱むる能わずして、反って中國を衰えしむるなり。善く計を為す者、固より此くの若きか。
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論語・衛霊公篇子曰く、衆之を悪むも、必ず察す。衆之を好むも、必ず察す。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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