墨子 / 非命上
然則眀辯此之説将奈何哉?子墨子言曰:「必立儀,言而母儀,譬如運鈞之上而立朝夕者也,是非利害之辯不可得而眀知也。故言必有三表。」何謂三表?子墨子言曰:「有本之者,有原之者,有用之者。於何本之?上本之於古者聖王之事。於何原之?下原察百姓耳目之實。於何用之?發以為刑政,觀其中國家百姓人民之利。此所謂言有三表也。
新字:然則明弁此之説将奈何哉?子墨子言曰:「必立儀,言而母儀,譬如運鈞之上而立朝夕者也,是非利害之弁不可得而明知也。故言必有三表。」何謂三表?子墨子言曰:「有本之者,有原之者,有用之者。於何本之?上本之於古者聖王之事。於何原之?下原察百姓耳目之実。於何用之?発以為刑政,観其中国家百姓人民之利。此所謂言有三表也。
書き下し
然らば則ち此の説を眀辯するは将た奈何せんや。子墨子言いて曰く、「必ず儀を立てよ。言いて儀無きは、譬えば運鈞の上にして朝夕を立つる者の如きなり。是非利害の辯、得て眀らかに知る可からざるなり。故に言には必ず三表有り」と。何をか三表と謂う。子墨子言いて曰く、「之に本づくる者有り、之を原ぬる者有り、之を用うる者有り。何に於いてか之に本づく。上、之を古者聖王の事に本づく。何に於いてか之を原ぬる。下、百姓の耳目の實を原ね察す。何に於いてか之を用う。發して以て刑政と為し、其の國家百姓人民の利に中るを觀る。此れ所謂る言に三表有るなり」と。
現代語訳
では、この説をはっきり見分けるにはどうするか。墨子が言った。「必ず基準を立てよ。基準のない言葉は、回る轆轤の上に日時計を立てるようなものだ。それでは是非も利害も見分けられない。だから言葉には必ず三つの物差しがある」。三表とは何か。墨子が言った。「根拠を求めるもの、出所を尋ねるもの、用いて確かめるものである。何に根拠を求めるか。上は昔の聖王の事跡に求める。何に出所を尋ねるか。下は民衆の目と耳が実際に捉えたものを調べる。何によって用いるか。政令として施行し、それが国家と民の利に適うかを見る。これが言葉の三表である」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』非命中子墨子言いて曰く、凡そ言談を出だし、文章に由りて之れ道を為すや、則ち先ず儀法を立てずんばある可からず。若し言いて儀無くんば、譬えば猶お朝夕を運鈞の上に立つるがごときなり。則ち巧工有りと雖も、必ず正を得る能わず。然れども今、天下の情偽、未だ得て識る可からざるなり。故に言をして三法有らしむ。三法とは何ぞや。之に本づくる者有り、之を原ぬる者有り、之を用うる者有り。其の之に本づくるや、之を天鬼の志、聖王の事に考う。其の之を原ぬるや、徵するに先王の書を以てす。之を用うるは奈何。發して刑と為す。此れ言の三法を言うなり。
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